マラガCF

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テンプレート:サッカークラブ マラガ・クルブ・デ・フトボルテンプレート:Lang-esテンプレート:IPA-es)は、スペインマラガに本拠地を置くプロサッカークラブ。2012-13シーズンはリーガ・エスパニョーラプリメーラ・ディビシオン(1部)に所属している。アンダルシア州で最も歴史あるクラブのひとつである。

歴史

1992年のチーム交替

1948年5月25日、CDマラガはジュニアクラブのCDサント・トマスを引き継ぐ形でリザーブチームを立ち上げた。CDマラガは1933年にCAマラゲーニョ(Club Atlético Malagueño)を含むマラガの2つのクラブが合併して結成されているが、リザーブチームはこの際に消滅したCAマラゲーニョという名称を譲り受けた。1959-60シーズン、リザーブチームのCAマラゲーニョとトップチームのCDマラガはともにテルセーラ・ディビシオン(当時3部相当)に在籍することになったが、前者は本来ならばリーグ規定により降格するはずであった。これを回避するために、彼らは母体となるクラブから分割され、リザーブチームではなく独立したひとつのクラブとしてスペインサッカー連盟(RSFF)に登録された。

1992年、CDマラガは財政難により解散し、リザーブチームのCAマラゲーニョがCDマラガのリーグ参戦資格を譲り受けて存続した。1992-93シーズンの彼らはテルセーラ・ディビシオン(現4部相当)のグループ9に参戦して成功を収め、セグンダ・ディビシオンB(3部相当)昇格を果たした。しかし、翌シーズンには再びテルセーラに降格となり、さらに財政難に直面して活動停止の危機に追い込まれた。1993年12月19日、クラブのメンバー間の投票によってクラブ名称の変更が選択された。1994年6月29日、CAマラゲーニョはマラガCF(Málaga Club de Fútbol S.A.D.)に改名し、かつてCDマラガと呼ばれていたクラブが公式に前身クラブとなった。また、1990年にCAマラゲーニョのリザーブチームとしてSDマラシターナ(Sociedad Deportiva Malacitana)が設立され、トップチームのマラガCFへの改名と同時にマラガCF Bとなった。なお、2009年からはトップチームの旧称であるCAマラゲーニョを名乗っている。

2000年代初頭の台頭

2000年代初頭のマラガは有望な若手とトップレベルの選手たちを抱えており、より近代的で先進的なスタジアムの所有を誇っていた。UEFAチャンピオンズリーグ出場権には届かなかったが、大きな支持を集めたホアキン・ペイロ監督の下で常に成功を収めた。2002年にはUEFAインタートトカップに出場し、KAAヘント(ベルギー)、ヴィレムII(オランダ)、躍進中のビジャレアルCF(スペイン)を破り、クラブ史上初となる国際大会でのトロフィーを獲得した。2002-03シーズンのUEFAカップではFKゼレズニチャル・サライェヴォ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)、AEKアテネFC(ギリシャ)などを撃破し、準々決勝でボアヴィスタFC(ポルトガル)にPK戦の末に敗れたものの、大会前の期待以上のベスト8という成功を収めた。ペイロ監督の引退後にはチームの解体が緩やかに始まり、ダリオ・シルバキキ・ムサンパフリオ・デリー・バルデスペドロ・コントレラスなどがクラブを去った。2003年夏にはファンデ・ラモス監督が就任した。2003-04シーズンのホームでのFCバルセロナ戦ではサルバがハットトリックを達成するなどし、クラブ史上最高の5-1というスコアでカタルーニャの巨人を粉砕した。また、テルセーラ・ディビシオンに所属していたBチームが2002年にはセグンダB、2003年にセグンダ・ディビシオンと立て続けに昇格を果たしその後3シーズンをセグンダで戦った。

緩やかな後退と財政難

2004年夏にはファンデ・ラモス監督が就任からわずか1シーズンでセビージャFCに去り、グレゴリオ・マンサーノ監督が就任した。経営難によって主力のホセミやサルバを放出せざるを得ず、新戦力のマルシオ・アモローゾパウロ・ワンチョペは使い物にならなかった。10節からの9試合で8敗を喫して降格圏に沈んでいたクラブを救ったのはアントニオ・タピア監督だった。マンサーノ監督からチームを引き継ぐとカンテラ(下部組織)からセサル・ナバスを引き上げ、最終ラインに安定感をもたらした。若手のフアン・ロドリゲスや新戦力のフェルナンド・バイアーノらの攻撃陣を積極的に起用し、最終的に10位に食い込んでみせた。2005年夏にはサルバを買い戻し、ウルグアイ代表リカルド・モラレスを獲得したが、主力の大量放出の穴は埋まらなかった。2005-06シーズンは開幕から黒星を積み重ね、わずか勝ち点24しか挙げられずに最下位でシーズンを終えてセグンダ降格となった。また、セグンダに所属していたBチームも同シーズンは21位に終わり、トップチームの降格とは無関係にセグンダBに降格となった。Bチームは翌シーズンもさらに降格で元のテルセーラに戻ってしまい、その後も度々昇格プレーオフに顔を出しながらいまだ再昇格には至っていない。

2006年、かつてレアル・マドリードの会長を務めたロレンソ・サンスがクラブの株式の97%を取得し、かつて選手としてキャプテンを務めたロレンソの息子フェルナンド・サンスが会長に就任した。2006-07シーズンは良いスタートを切ったが、彼らの調子は劇的に落ち込んだ。ラスト6節のうち2節はセグンダB降格圏に沈んだが、この困難な状況を何とか打開し、セグンダ降格初年度を乗り切って残留を果たした。2007-08シーズンも7連勝するなどしてスタートダッシュを決め、昇格への軌道に乗っているように思われたが、やはり調子を崩し、首位の座をCDヌマンシアに奪われた。最終節はホームでのCDテネリフェ戦であり、プリメーラ昇格を決定づけるには勝利が必要であったが、アントニオ・イダルゴの2得点で2-1と勝利して2位の座を守り、3シーズンぶりのプリメーラ復帰を決めた。

2008年夏にはタピア監督を復帰させ、プリメーラ昇格に貢献したDFヘスス・ガメスやMFアポーニョを引き留めつつ、以前に所属経験のあるMFセルジオ・ドゥダ、FWアルベルト・ルケなどを獲得。2008-09シーズン開幕から4試合は無得点で1分3敗と苦戦したが、5節のバリャドリード戦で初勝利を挙げると、8節のアウェーでのセビージャ戦まで4連勝し、その後は安定して一桁順位をキープした。A・ルケは途中出場が多いながらも8得点と復活し、ドゥダはチームトップの8アシストを決めるなど、シーズン前に補強した選手が期待に応えた。プリメーラ初挑戦のアポーニョとFWナビル・バハはそれぞれ9得点を挙げ、55得点はリーグ6位の成績だった。最終的に8位でシーズンを終え、昇格組として最高の成績を残した。2009年にアンダルシア州のセビージャウエルバヘレス・デ・ラ・フロンテーラマラガを開催地として行われたピース・カップでは、アストン・ヴィラFC(イングランド)に勝利したが、アトランテFC(メキシコ)に敗れ、グループリーグ最下位に終わった。2009-10シーズンのリーグ戦は前シーズンと一転して17位と苦戦した。

シェイク・アル=タニの到着

2010年6月11日、カタール王室の一員でもあるシェイク・アブドゥラ・ビン・ナッサル・アル=タニが、3600万ユーロ(約39億8000円)と報じられる金額でF・サンス会長からクラブを買収した[1]。7月28日、アル=タニはクラブの会長に就任した[2][3]FCポルトなどを率いた経験のあるジェズアウド・フェレイラ監督が登用されたが、低迷が続いたために2010-11シーズン途中で解任された。ビジャレアルCFレアル・マドリードを率いた経験があるマヌエル・ペレグリーニ監督が後任監督に就任し、2011年1月にエンツォ・マレスカマルティン・デミチェリスジュリオ・バティスタなどを獲得すると、シーズン終盤戦に一気に順位を上げて11位でシーズンを終えた[1]。2011年夏にはマラガ出身であるフェルナンド・イエロをGMとして招聘し、11人の選手を放出するとともに、ルート・ファン・ニステルローイヨリス・マタイセンジェレミー・トゥラランサンティ・カソルラホアキン・サンチェスなど、確かな実力のあるベテランを中心に補強を施した。ペレグリーニが初めてフルシーズン指揮した2011-12シーズンは、カソルラの大活躍もあってリーグ4位となり、クラブ史上初めてUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。

一方でオーナーを筆頭とする経営陣の怠慢な資金繰りによる給与や移籍金の未払いが2012年頃より表面化し始め、2011-12シーズン終了後には主力であったカソルラをアーセナルFCへ売却した。2012-13シーズンの戦力低下は不可避であったが、それでもホアキンや新加入のハビエル・サビオラらベテラン勢の活躍やペレグリーニの戦術の浸透もあり、CLではプレーオフを勝ち抜くだけでなくACミランFCゼニト・サンクトペテルブルクといった強豪を抑えグループリーグを首位突破した。しかしながら資金難が改善されることはなく、UEFAによって今後4シーズンの欧州カップ戦参加禁止の処分が下されることとなった。

対外関係

東アンダルシア・ダービー

同じアンダルシア州内に本拠地を置くグラナダCFとライバル関係にあり、彼らとの対戦は東アンダルシア・ダービー(デルビ・オリエンタル、デルビ・アンダルス)と呼ばれる。プリメーラ・ディビシオン(1部)での対戦成績は互角であるが、通算対戦成績ではグラナダCFが優位である。

トロフェオ・コスタ・デル・ソル

1961年から1983年までプレシーズンにトロフェオ・コスタ・デル・ソルというトーナメント大会を組織していた。当時のCDマラガは決勝でレアル・マドリードレッドスター・ベオグラード(ユーゴスラビア)、ダービー・カウンティFC(イングランド)を破って3回優勝している。この大会は2003年に復活し、マラガCFは決勝でニューカッスル・ユナイテッドFC(イングランド)、レアル・ベティスパルマFC(イタリア)を破って3回優勝している。マラガCFのトロフィールームには、CDマラガ時代の3個も含めて計6個のトロフィーが飾られている。

スポンサー

2009年8月27日、イギリスのブックメーカーであるウィリアム・ヒルと3年契約を結んだと発表し、ウィリアム・ヒルがユニフォームの胸スポンサーとなった[4]。しかし、イスラーム教徒である新オーナーが宗教上の理由から契約を履行することを拒否したため、この契約は2010年9月17日に打ち切られ、2011年6月に国連教育科学文化機関(UNESCO)が新スポンサーとなった。

提携クラブ

以下のクラブはマラガCFと提携関係にある。

成績

近年の成績

シーズン ディビジョン 順位 試合数 勝利 引分 敗北 得点 失点 勝ち点 コパ・デル・レイ 欧州カップ戦 備考
1999-00 プリメーラ 12 38 11 15 12 55 50 48 2回戦敗退
2000–01 プリメーラ 8 38 16 8 14 60 61 56 2回戦敗退
2001–02 プリメーラ 10 38 13 14 11 44 44 53 ベスト32
2002–03 プリメーラ 14 38 11 13 14 44 49 46 ベスト32 UC ベスト8
2003–04 プリメーラ 10 38 15 6 17 50 55 51 ベスト16
2004–05 プリメーラ 10 38 15 6 17 40 48 51 ベスト32
2005–06 プリメーラ 20 38 5 9 24 36 68 24 3回戦敗退 降格
2006–07 セグンダ 15 42 14 13 15 49 50 55 ベスト16
2007–08 セグンダ 2 42 20 12 10 58 42 72 ベスト32 昇格
2008–09 プリメーラ 8 38 15 10 13 55 59 55 ベスト32
2009–10 プリメーラ 17 38 7 16 15 42 48 37 ベスト16
2010–11 プリメーラ 11 38 13 7 18 54 68 46 ベスト16
2011−12 プリメーラ 4 38 17 7 14 54 53 58 ベスト16
2012–13 プリメーラ 6 38 16 9 13 53 50 57 ベスト16 CL ベスト8

過去の成績

FCマラゲーニョとして
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1929/30 テルセーラ 2位
1930/31 テルセーラ 2位
1931/32 テルセーラ 3位
1932/33 テルセーラ 1位
CDマラシターノとして
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1933/34 テルセーラ 3位
1934/35 セグンダ 5位 5回戦敗退
1935/36 セグンダ 5位 3回戦敗退
1939/40 セグンダ 3位 1回戦敗退
1940/41 セグンダ 5位 3回戦敗退
CDマラガとして
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1941/42 セグンダ 4位 ベスト32
1942/43 セグンダ 5位 ベスト32
1943/44 テルセーラ 1位
1944/45 テルセーラ 2位
1945/46 テルセーラ 1位
1946/47 セグンダ 9位 ベスト16
1947/48 セグンダ 4位 6回戦敗退
1948/49 セグンダ 2位 5回戦敗退
1949/50 プリメーラ 12位 ベスト16
1950/51 プリメーラ 13位
1951/52 セグンダ 1位 ベスト8
1952/53 プリメーラ 15位
1953/54 セグンダ 3位
1954/55 プリメーラ 16位
1955/56 セグンダ 11位
1956/57 セグンダ 5位
1957/58 セグンダ 14位
1958/59 セグンダ 15位 1回戦敗退
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1959/60 テルセーラ 1位
1960/61 セグンダ 12位 1回戦敗退
1961/62 セグンダ 2位 ベスト16
1962/63 プリメーラ 16位 ベスト8
1963/64 セグンダ 9位 ベスト32
1964/65 セグンダ 2位 1回戦敗退
1965/66 プリメーラ 13位 ベスト16
1966/67 セグンダ 1位 ベスト32
1967/68 プリメーラ 10位 ベスト16
1968/69 プリメーラ 14位 ベスト8
1969/70 セグンダ 2位 ベスト32
1970/71 プリメーラ 9位 ベスト8
1971/72 プリメーラ 7位 5回戦敗退
1972/73 プリメーラ 10位 ベスト4
1973/74 プリメーラ 7位 5回戦敗退
1974/75 プリメーラ 16位 ベスト16
1975/76 セグンダ 3位 ベスト16
1976/77 プリメーラ 18位 3回戦敗退
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1977/78 セグンダ 13位 3回戦敗退
1978/79 セグンダ 2位 4回戦敗退
1979/80 プリメーラ 18位 4回戦敗退
1980/81 セグンダ 6位 2回戦敗退
1981/82 セグンダ 3位 ベスト16
1982/83 プリメーラ 10位 4回戦敗退
1983/84 プリメーラ 9位 4回戦敗退
1984/85 プリメーラ 16位 3回戦敗退
1985/86 セグンダ 11位 4回戦敗退
1986/87 セグンダ 6位 3回戦敗退
1987/88 セグンダ 1位 4回戦敗退
1988/89 プリメーラ 16位 ベスト32
1989/90 プリメーラ 17位 ベスト16
1990/91 セグンダ 4位 5回戦敗退
1991/92 セグンダ 18位 5回戦敗退
(CDマラガのリザーブチームとしての)CAマラゲーニョ
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1948/49 地域リーグ
1949/50 地域リーグ
1950/51 テルセーラ 12位
1951/52 テルセーラ 14位
1952/53 テルセーラ 16位
1953/54 テルセーラ 15位
1954/55 テルセーラ 7位
1955/56 テルセーラ 11位
1956/57 テルセーラ 12位
1957/58 テルセーラ 7位
1958/59 テルセーラ 5位
1959/60 テルセーラ 6位
1960/61 テルセーラ 7位
1961/62 テルセーラ 4位
1962/63 テルセーラ 2位
1963/64 テルセーラ 1位
1964/65 テルセーラ 4位
1965/66 テルセーラ 4位
1966/67 テルセーラ 5位
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1967/68 テルセーラ 8位
1968/69 テルセーラ 12位
1969/70 地域リーグ
1970/71 テルセーラ 13位 1回戦敗退
1971/72 テルセーラ 11位 3回戦敗退
1972/73 テルセーラ 19位 1回戦敗退
1973/74 地域リーグ
1974/75 地域リーグ
1975/76 地域リーグ
1976/77 地域リーグ
1977/78 テルセーラ 14位
1978/79 テルセーラ 12位 1回戦敗退
1979/80 テルセーラ 11位 2回戦敗退
1980/81 テルセーラ 15位
1981/82 テルセーラ 4位
1982/83 テルセーラ 12位 1回戦敗退
1983/84 テルセーラ 6位
1984/85 テルセーラ 4位 1回戦敗退
1985/86 テルセーラ 5位 1回戦敗退
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1986/87 テルセーラ 9位 2回戦敗退
1987/88 テルセーラ 2位
1988/89 テルセーラ 3位
1989/90 テルセーラ 5位
1990/91 テルセーラ 6位
1991/92 テルセーラ 4位
(独立したクラブとしての)CAマラゲーニョ
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1992/93 テルセーラ 1位 1回戦敗退
1993/94 セグンダB 18位 1回戦敗退
マラガCFとして
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
1994/95 テルセーラ 1位 1回戦敗退
1995/96 セグンダB 5位 1回戦敗退
1996/97 セグンダB 5位 2回戦敗退
1997/98 セグンダB 1位
1998/99 セグンダ 1位 3回戦敗退
1999/00 プリメーラ 12位 2回戦敗退
2000/01 プリメーラ 8位 2回戦敗退
2001/02 プリメーラ 10位 ベスト32
2002/03 プリメーラ 13位 ベスト32
シーズン ディビジョン 順位 コパ・デル・レイ
2003/04 プリメーラ 10位 ベスト16
2004/05 プリメーラ 10位 ベスト32
2005/06 プリメーラ 20位 3回戦敗退
2006/07 セグンダ 15位 ベスト16
2007/08 セグンダ 2位 ベスト32
2008/09 プリメーラ 8位 ベスト32
2009/10 プリメーラ 17位 ベスト16
2010/11 プリメーラ 11位 ベスト16
2011/12 プリメーラ 4位 ベスト16

CDマラガとして
20シーズン - プリメーラ・ディビシオン(1部)
31シーズン - セグンダ・ディビシオン(2部)
9シーズン - テルセーラ・ディビシオン(当時3部相当)
マラガCFとして
11シーズン - プリメーラ・ディビシオン(1部)
3シーズン - セグンダ・ディビシオン(2部)
4シーズン - セグンダ・ディビシオンB(現3部相当)
2シーズン - テルセーラ・ディビシオン(当時3部相当、現4部)

タイトル

マラガCF時代

国内タイトル

1998-1999
1997-1998
2005, 2008, 2010, 2011

国際タイトル

2002

CDマラガ時代

国内タイトル

1987-1988
1951–1952, 1966–1967
1963, 1971, 1974

現所属メンバー

2014年7月24日現在

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括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍

in

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out

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13/14移籍

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歴代監督

歴代所属選手

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GK

DF

MF

FW

脚注

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外部リンク

テンプレート:マラガのメンバー

テンプレート:Navboxテンプレート:Link GA
  1. 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
  2. Qatari Sheikh Al-Thani buys Malaga. Four Four Two、2010年6月26日
  3. How many top European clubs are now owned or sponsored by Qatar? Socqer.com
  4. テンプレート:Cite web
  5. テンプレート:Cite web
  6. テンプレート:Cite web
  7. テンプレート:Cite web