プロダクション・アイジー

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テンプレート:Infobox 株式会社プロダクション・アイジーテンプレート:Lang-en-short)は、アニメーションを主体とした映像作品の企画・制作を主な事業内容とする日本の企業。IGポートの子会社である。日本動画協会正会員。

概要

東京都武蔵野市に本社・スタジオ、東京都国分寺市内にスタジオ、東京都府中市に実写撮影スタジオ「Studio iG(旧FIX STUDIO)」ならびに3DCGスタジオ「IGFX」、さらに新潟県新潟市西区に作画スタジオを構える。

1987年(昭和62年)に「有限会社アイジータツノコ」を設立。1993年(平成5年)に「有限会社プロダクション・アイジー」に商号変更[1]。設立からしばらくはOVA(オリジナルビデオアニメ)、アニメ映画ビデオゲーム用アニメなどを制作の中心にしてきたが押井守監督の劇場映画作品を制作し、ヒットさせた事で日本国内だけでなく海外での知名度も高まり企業としての規模も拡大した。1998年(平成10年)に増資して「株式会社プロダクション・アイジー」(旧)となる[1]。テレビシリーズは主に子会社のジーベックが制作し、プロダクション・アイジーはアニメ映画の制作を主としていたが、2001年(平成13年)よりテレビシリーズの元請制作にも進出。

2007年(平成19年)11月、持株会社体制への移行に伴い「株式会社IGポート」に商号を変更し、「株式会社プロダクション・アイジー」(新)を分割新設して主力事業を承継した[1]。 IGポートは持株会社として、プロダクション・アイジー、ジーベック、 マッグガーデンウィットスタジオを傘下とし、グループ企業全体の事業展開・経営管理・資産運用管理を行っている。

設立の経緯

テレビアニメ『赤い光弾ジリオン』を制作した「竜の子制作分室」に揃ったスタッフを分散させるのを惜しんで、制作プロデューサーとして同分室を率いた石川光久が、同じフロアを間借りしていた後藤隆幸率いる「鐘夢」(チャイム)を合併。京都アニメーションの援助を受けて、「有限会社アイジータツノコ」を1987年(昭和62年)12月15日に設立。出資者は、石川、後藤、八田英明(京都アニメーション代表取締役)、タツノコプロなどである。

伊吹眞(西堀ひろみ)、内田哲夫らが設立の中心スタッフである。アニメーターはフリーで参加する形となり、次いでフリーで「銀河帝国」(後に解散。一時期子会社であったビィートレインの代表取締役である真下耕一も所属)で制作を行っていた三本隆二と坂部久明、スタジオ・ムーのアニメーター黄瀬和哉らが追って参加した。

設立当初はシンエイ動画のテレビシリーズを始め、マッドハウスの『銀河英雄伝説』やスタジオディーンのOVA『機動警察パトレイバー』の制作協力を行っていた。しかし、下請け続きの仕事では管理費が取れないと思った石川は、シンエイ動画の下請けを持続させた形で元請制作に乗り出した。

その後は『赤い光弾ジリオン 歌姫夜曲』を皮切りに数多くの劇場映画やOVAを制作した。特に初期は貞光紳也西久保瑞穂、黄瀬和哉らが先陣を切ってアイジー作品をサポートしていた。

社名の由来

"IG" という社名は、社長の石川と副社長の後藤のイニシャルから命名したものである。

I.Gタツノコ時代、タツノコの名前を入れたのは金融機関の理解を得るためと、分派したことによってタツノコプロと喧嘩したくなかったためだったとされる[2]。石川は「タツノコ」というネーミングにこだわりを感じており、今までお世話になったタツノコプロへの恩返しのつもりで入れたと語っている。タツノコの名前があったことは社会的な信用も得ることにも繋がった。

設立時にタツノコプロから資本金2割の出資を受けていたものの、当時苦境にあったタツノコプロは積極的にI.Gタツノコに仕事を回すだけの余裕がなかった。しかしながらその「タツノコ」と名のついた会社名であるためタツノコプロの関連会社と勘違いする人が増えてきた。そういった勘違いによる不快感が徐々にスタッフ(特に制作進行や制作デスク)に現れ出し、また業績が盛り返したタツノコプロ側からの要請もあり、社名から「タツノコ」の名を外す動きが始まる。石川は名前を変えることにショックを受けていたが、受諾し社名変更に至った。この社名変更と同時に、タツノコプロと京都アニメーションから受けていた資本金も返上している。

2010年(平成22年)、プロダクションI.Gがタツノコプロの株を取得し資本関係が復活。石川が同社非常勤取締役に就任した[3]

制作部・制作課

制作部は10のスタジオ(第1-2は制作課、第3-10はプロデュース課)とシステム管理・開発課で構成されている(2011年時点)。

各スタジオは2007年から〇〇課(〇〇課スタジオ)と呼ばれている、これは『攻殻機動隊』における〇〇課にちなんだものである。また同年コスト管理体制の強化から制作部を2部体制に変更、内訳は制作1部(制作課・プロデュース3,4,10課・システム管理・開発課,6课閉鎖)、制作2部(プロデュース5,7,8,9課)となっている。

これまで担当スタジオは各作品のサイトやブログ等で語られる程度であったが、2011年の『ギルティクラウン』では6課が初めてスタジオ名を表記した。6課ではその後一部スタッフが独立しウィットスタジオを設立した。また8課はJe t'aimeにおいて社名クレジットの上に8を模したマークを掲げている。

沿革

設立 - 有限会社時代

  • 1987年 竜の子制作分室として竜の子プロダクションから独立
  • 1987年12月15日 東京都国分寺市に有限会社アイジータツノコを設立
  • 1990年6月5日 株式会社イングを設立[4]
  • 1991年5月 アニメーターを辞めるはずだった小村方宏治が石川の助言を受け、新潟県新潟市に帰郷し、「新潟スタジオ(アイジー新潟)」を設立
  • 1993年9月 有限会社プロダクション・アイジーに社名変更
  • 1995年5月 株式会社ジーベック設立
  • 1995年10月 背景美術部門「小倉工房」設置[5]
  • 1997年6月 ビィートレイン株式会社設立[6]

旧・IG社時代

新・IG社 / IGポート社時代

  • 2007年11月1日 商号を株式会社IGポートに変更し、持株会社化。同時に事業会社として新たにプロダクション・アイジーを分割設立
  • 2007年12月1日 IGポート社がマッグガーデンを経営統合し、グループの傘下にする
  • 2010年4月27日 東京都武蔵野市に本社移転、拠点の集約を図る
  • 2010年6月2日 かつての出資者である竜の子プロダクションの発行済み株式11.2パーセント取得を発表
  • 2010年8月20日 IGポート取締役にオー・エル・エム代表取締役の奥野敏聡が就任、また取締役の下地志直が退任
  • 2012年6月 株式会社ウィットスタジオ設立
  • 2012年10月『009 RE:CYBORG』製作委員会を特定子会社化(製作委員会への出資額がIGポート資本金の10パーセント以上に達したため)。

制作作品

テレビアニメ

1980年代

1990年代

2000年代前半

2000年代後半

2010年代前半

OVA

1980年代

1990年代

2000年代

2010年代

Webアニメ

劇場アニメ

1980年代

1990年代

2000年代

2010年代

ビデオゲーム

その他

他多数。

関連企業

かつての関連企業
  • 株式会社キキ(2004年清算、音響制作部門を有限会社フォニシアとして新設)
  • ビィートレイン株式会社(2004年、保有株式をビィートレインに譲渡)
  • 有限責任組合amimo

関連人物

演出家


アニメーター


美術監督

色彩設計

3D CGI

脚本家


制作

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

テンプレート:参照方法

外部リンク

テンプレート:攻殻機動隊

  1. 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Cite web
  2. 「軌跡 Production I.G 1988-2002」p.18 石川光久の発言。
  3. 株式会社竜の子プロダクションの株式取得に関するお知らせ IG Port ニュースリリース 2010年6月5日閲覧。
  4. 現・IGポートの母体会社。
  5. 2007年独立。
  6. 2004年に持分法適用会社から除外。