マッドハウス

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テンプレート:Infobox 株式会社マッドハウステンプレート:Lang-en-short)は、アニメーションの企画・制作および著作権管理を主な事業内容とする日本企業日本動画協会準会員。

概要

1972年10月、虫プロダクション(旧社)の従業員だった丸山正雄出崎統りんたろう川尻善昭らが、同社の経営危機をきっかけに独立して設立。同社の石神井スタジオのメンバーが中心になった。初代の社長は虫プロの制作管理スタッフだったおおだ靖夫が務めた。

丸山正雄によると、「会社名「マッドハウス」は昔千葉県にある「松戸ハウス」という名前のお店のパクリです。巷では「丸山 & 出崎(統)【Maruyama And Dezaki】」ということで「MAD」など諸説囁かれていますが、全然違います。」[1]とのこと。

当初は、営団地下鉄(現・東京メトロ丸ノ内線南阿佐ヶ谷駅付近の元ボウリング場に本社・スタジオを構えた。りんたろう色彩設計によるスタジオは「まるで幼稚園のようだ」と言われるほど[2]アニメ界では珍しいカラフルなスタジオであったが、2004年に東京都杉並区荻窪に移転。2010年1月、中野区本町に本社・スタジオを再び移転した。

沿革

1970年代〜1980年代

東映動画のテレビシリーズに参加するとともに、出崎統と杉野昭夫のコンビによる東京ムービーのテレビシリーズを中心にした。これは東京ムービーの藤岡豊社長がマッドハウス設立にあたって資金援助した関係によるもの。出崎と杉野がスタジオあんなぷるを設立して独立し、丸山正雄が社長に就いた1980年代には主にりんたろうが監督する角川書店製作の劇場向け作品やオリジナルビデオアニメ(OVA)を中心に制作していた。

1990年代

テレビアニメは元請スタジオの外注というスタンスで制作した作品が多かったが、1989年の『YAWARA!』を皮切りとして、1990年代からはテレビ作品に本格的に進出し、自社元請制作も行なうようになった。このほか1991年には韓国の制作プロダクション、DR MOVIEと提携。仕上工程の下請けを皮切りに、グロス請けを任せるまでになった。

1998年から放映開始された『カードキャプターさくら』(浅香守生監督作品)は、原作を見事に昇華した脚本、演出、作画、音楽に魅せられたファンを獲得。それまでOVAや映画の仕事を中心とし“ 一般向け ”や“ アニメ通好み ”という評価を得ていたマッドハウスの名を、ライトなアニメファンに周知させる同社の代表的な作品となった。

1999年12月、『D・N・A² 〜何処かで失くしたあいつのアイツ〜』『Bビーダマン爆外伝』等の制作に関わった同業の株式会社パオハウスを吸収。有限会社マッド・ハウスは業務をパオハウスに移管し、パオハウスは「株式会社マッド・ハウス」に商号変更した。パオハウスは『YAWARA!』を製作したキティ・フィルム落合茂一が1993年に独立創業した会社で、1999年4月の落合死去後、キティグループ出身の増田弘道が一年のみ代表を引き継いだ。なお増田は2005年まで株式会社マッドハウスの代表取締役を務めた。有限会社マッド・ハウスはその後二度の商号変更を経て「有限会社マッドボックス」となった。

2000年代

世界的に評価の高い川尻、今敏らを監督陣に擁し、『アニマトリックス』など芸術性の高い作品から『ギャラクシーエンジェル』のようなマニアックな娯楽作品まで、幅広い作品を手がけ、会社としては円熟期に入った。

2001年にはDR MOVIEに資本出資。同年、DR MOVIEと共同制作した『爆転シュート ベイブレード』よりデジタルペイント・コンポジットを導入。以降各作品順次デジタル制作に移行した。1990年代末期から業界全体で導入が進んでいた中、当初デジタル制作には慎重で、2001年まではセル画フィルム撮影による作品制作を続けてきたが、この時期に至りアニメ業界全体で急速なデジタル制作化が進展し、導入に踏み切った。

2004年2月、携帯電話向けコンテンツ制作供給大手の株式会社インデックス第三者割当増資を引き受け、同社の子会社となる(2005年5月末時点でのインデックスの出資比率は72.4%であった)。同年11月、作品のクレジット等での表記と統一するため、「株式会社マッド・ハウス」を「株式会社マッドハウス」に商号変更。インデックス傘下にあるタカラトミーインターチャネル・ホロンインデックスミュージックアトラス、タカラトミー傘下の竜の子プロダクション、タカラトミーと業務提携したガンホー・オンライン・エンターテイメント、その子会社となったブロッコリーなどとのメディアミックスや協業の可能性を模索した。

2005年に深夜枠作品等でかねてより取引関係にあった日本テレビ放送網バップ電通の3社、2006年にはWOWOWが第三者割当増資を引き受けた。また、従来あまり重視してこなかったCGの作品への導入に関しても、同じくインデックス傘下となったCG制作会社のダイナモピクチャーズとの協力関係を構築するなど従来の作画とCGとの融合に挑戦しており、他社の制作アニメとは異なる立体感のある作品を志向している。

2010年代

2010年、次回作として『夢見る機械』の制作に着手していた今敏が膵癌により同年8月24日に46歳で死去。同年9月10日には日本振興銀行が経営破綻、振興銀と融資や債権購入などで繋がりが深かった親会社のインデックスは大きな経済的損失を被り、その余波がインデックスグループ各社にも波及する。またマッドハウス自身も二期連続で赤字に追い込まれるなど、苦しい出来事が続いた。

2011年2月8日、日本テレビ放送網により子会社化が発表され、同月18日に実施された[3]。これにより、マッドハウスが同日付けで実施する第三者割当増資の全額約10億円を日本テレビ放送網が引き受け、インデックスに代わって所有株式割合84.5%の筆頭株主となった。同時に日本テレビ放送網出身の岡田浩行が社長に就任した。また、有限会社マッドボックスについても2012年3月に株式会社に登記変更し、日本テレビ放送網のグループ企業となった。日本のアニメ制作産業ならびに制作会社の経済力の弱さと低迷が指摘されており、マッドハウスは日本テレビ放送網が持つコンテンツ管理能力のノウハウの導入を受けて、経営を改善し立て直しを目指すこととなった。

フィルモグラフィ(公開順)

テレビアニメ

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アニメ映画

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OVA

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ビデオゲーム

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その他のアニメ

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関連人物


関連項目

脚注

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外部リンク

テンプレート:日本テレビ放送網
  1. 阿佐ヶ谷探偵団第一回:「マッドハウスのネーミングの由来は?」 - 2004年2月5日
  2. 「マッドハウスに夢中!!」(2001年7月発行、オークラ出版)の記述より
  3. 株式会社マッドハウスの第三者割当増資引受(子会社化)に関するお知らせ、日本テレビ、 2011年2月8日閲覧。