フットボール・アソシエーション

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テンプレート:サッカー協会 ザ・フットボール・アソシエーションテンプレート:Lang-en-short)は、イングランドサッカーを統括する競技運営団体。略称はThe FAである。1863年に創立された世界最古のサッカー協会で、このため英語の正式名称には定冠詞で称され、国名がついていない。以下この項目では断わりのない限り当該団体に対してFAとして言及する。日本語の報道ではイングランドサッカー協会と呼ばれる。

FAはサッカーの近代ルールの策定に大きな役割を果たした。国際サッカー連盟 (FIFA) と欧州サッカー連盟 (UEFA) のメンバーであり、また、現在ルールの制定に携わっている国際サッカー評議会 (IFAB) の一員でもある。

概要

イングランドのサッカークラブは、すべてFAに所属している。また、サッカーイングランド代表を組織する役割を担っているほか、イングランドのトップリーグであるプレミアリーグの運営主体でもある。なお、プレミアリーグの下部に位置するフットボールリーグは独自の運営組織を持っている。

イギリスは本土4協会(イングランドサッカー協会・スコットランドサッカー協会ウェールズサッカー協会北アイルランドサッカー協会—正式名称アイルランドサッカー協会〔現在の北アイルランドのサッカーを統括するアイリッシュ・フットボール・アソシエーション〕)および海外領土各協会(モントセラトサッカー協会、イギリス領ヴァージン諸島サッカー協会、ケイマン諸島サッカー協会、タークス・カイコス諸島サッカー協会、バミューダ諸島サッカー協会、アンギラサッカー協会)の各代表をそれぞれFIFAから認可されている。 その理由は次の通りである。

1863年のFAとロンドンの12クラブ(11とする資料もある)による統一ルール作成により、近代サッカー(現代のサッカー)が誕生し、イギリス各地に広がり、世界中に広がった。そして、近代サッカー誕生から41年後の1904年FIFAが誕生した。FIFAは当初、原則1国1協会としていた。が、既にイギリス本土4協会(以下イギリス4協会と略)それぞれが独自に活動しており、さらに近代サッカーの母国としての優位性を主張したイギリスはFIFAに参加しなかった。

元々、サッカー単独の世界選手権(後のFIFAワールドカップ)を開催することが目的の一つだったFIFAは、近代サッカーの母国であり、自他共に認める近代サッカー初期の最強の国であるイギリスをFIFAに加盟させる為に、イギリス4協会それぞれを承認した。

以降、中国は香港マカオ、中華民国はチャイニーズ・タイペイ名義、アメリカ合衆国は海外領土のグアムアメリカ領サモアプエルトリコアメリカ領ヴァージン諸島オランダは海外領土のキュラソー島アルバなどのようにFIFAは一定の自治が行われている地域の協会も認可するようになった。

イギリスのオリンピック委員会も、サッカーに関しては、国際競技団体として統一イギリス代表の組織を承認していない。このため、サッカーが公式なプログラムになっているにもかかわらず、近代オリンピックには単一国家(統一イギリス代表)としての出場が大原則であるため(但し、国内オリンピック委員会が認められている地域も、世界中で13ある)、予選時から統一イギリス代表は参加していない(それぞれの地域代表が五輪予選を兼ねる大会に出場)。「統一イギリス代表」は、2011年まで過去11回出場している(非公式種目時代も合わせると12回)。五輪開催国としての「統一イギリス代表」のオリンピック出場は、1908年第4回ロンドン五輪と1948年第14回ロンドン五輪の2回あり、第4回ロンドン五輪は、『大英帝国』のチーム名で参加し(中身はイングランドアマチュア選抜チーム)、第14回ロンドン五輪はイギリス代表の名前で参加した(1927年通称イギリスへ国名改名)。但し、いずれも中身はイングランド単独チームであった。イギリス4協会は、それぞれ1992年バルセロナ五輪からオリンピック欧州予選を兼ねているUEFA U-21欧州選手権に参加しており、実際にイングランド代表が準優勝するなどの成績を残しているが、たとえ優勝してもオリンピックには出場が認められないため、オリンピックへの出場は無い。

2012年の開催が決定した第30回ロンドン五輪では開催国として4協会が一体となった統一イギリス代表として出場することも検討したが、イングランド以外の3協会が協会の独立性が失われるとして反対したため、一旦は統一チーム結成は断念しイングランド代表の単独チームが『イギリス五輪代表』として出場することになっていた[1]。しかし、イギリスオリンピック委員会を中心として調整をした結果、男子はイングランドとウェールズの合同チームとしてイギリス代表を結成し、女子はイングランドとスコットランド合同でサッカーイギリス女子代表を結成して本大会に出場した。

歴史

近代サッカーの母国

1863年10月26日ロンドンの居酒屋フリーメイソンズ・タバーンでFAとロンドンにある12(11とする資料もある)のクラブの間でルールを統一する為の会議が開かれた。参加したクラブは、バーンズ、ブラックヒース(後に脱退)、ブラックヒース・スクール、クルセーダーズ、クリスタル・パレス、フォレスト、ケンジントン・スクール、ノー・ネイムズ、パーシバル・ハウス、サーピトンなどである。この内、一部のクラブ(ブラックヒース)の代表は、ボールを持って走ること、ボールを運んでいる相手にハッキング(すねをけること)、トリッピング(引っ掛けてつまずかせること)およびホールディング(おさえること)を行うことが認められなくなったことに合意できず、FAを脱退した。これらのクラブは1871年ラグビー・フットボール・ユニオンを結成している。その後、同年12月8日までに6回のミーティングを持って、統一ルールの作成を行った。この日決定した14条から成る世界初のサッカー統一ルールにより近代サッカーが本格的に誕生した。このサッカー統一ルールでの世界初の試合(つまり世界初のサッカーの試合)は1863年12月19日に行われたリッチモンド対バーンズ戦で、0-0の引き分けだった[2]

FAが制定したいわゆる「近代サッカー」(現代の「サッカー」)はその後、世界各地に普及し、イングランドが「サッカーの母国」と呼ばれるほどの貢献をした。

負の歴史

サッカーの母国としての優位性を主張し(イングランドは最強なのだから、イギリス本土4協会以外の弱い他国と試合をする必要が無い。従って、イギリス以外の国との国際試合を行う為にFIFAのような機関に所属する必要もない)、フランスなど8カ国により結成されたFIFAに当初は加盟せず、ワールドカップにもしばらく参加しなかった。

また、1921年から1970年の約50年にわたり「フットボール(サッカー)は男子のスポーツ」、「フットボール(サッカー)は女性の健康を損なう」という理由で、FAは女子チームへのグラウンドの貸し出しを禁止し女子サッカーの普及を妨げた[3]。詳しい経緯は次の通りである。

1914年に第一次世界大戦が起こると、志願及び徴兵された男性に代わり、女性が工場などで働くようになり、昼休みに女子もサッカーを行うようになった。その後、イングランドの各地にアマチュアの女子クラブができ、チャリティーの対外試合を行うようになると、人気が出て、スター選手も生まれた。第一次世界大戦は1918年に終了したが、女子サッカーの人気は衰えず、2年後の1920年12月26日に、第一次世界大戦の犠牲者への支援金集めの目的で女子サッカーのチャリティー試合がリヴァプールで開催された。この試合では5万3000人の観客を動員し、今日の金額(2011年)に換算すると約5000万円の支援金を寄付することが出来た[4]

このように第一次世界大戦が終了し、男子プロサッカーが再開しても、女子サッカーの人気が衰えないことを危惧した男子プロサッカーのクラブ役員は、女子サッカーのクラブが寄付に回す金額が不明朗といううわさを流したり、「女子サッカー選手は子どもを産めない」などという根拠のないレポートを雇った医者に発表させるなどした[4]。そして1921年12月、ついにFA(イングランドサッカー協会)は女子チームのグラウンド貸し出し禁止令を出した。それから約50年後の1970年に禁止令が解除された。

2008年、FAはこの禁止令発令に対し公式に謝罪し、同時に禁止令を出す以前の女子トップスター選手だったリリー・パーを女子選手として初めてFAの「サッカーの殿堂」に加えた[4]。 約50年も続いた女子サッカーへの規制のため、長らくイングランドでは女子サッカーはマイナースポーツだったが、1971年の女子サッカー規制解除から40年後の2011年、アマチュアの女子スーパーリーグが開幕した[3]

主な運営大会

脚注

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関連項目

外部リンク

テンプレート:イングランドのサッカー

テンプレート:ヨーロッパのサッカー協会
  1. [1] ロンドン五輪サッカー、英代表はイングランド単独チームに YOMIURI ONLINE 2009年6月1日閲覧
  2. デイヴィッド・ゴールドブラッド著・野間けいこ訳『2002ワールドカップ32カ国・データブック』株式会社ネコパブリッシング ネコウェブ
  3. 3.0 3.1 意外に不人気…五輪サッカー、チケット売れ残りの理由-日本経済新聞2012年5月25日
  4. 4.0 4.1 4.2 No.861 負の歴史乗り越えたイングランド女子サッカー(2011年12月7日)-サッカーの話をしよう大住良之公式オフィシャルアーカイブサイト