トレンティーノ (マチェラータ県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:コムーネ トレンティーノテンプレート:Lang-it)は、イタリア共和国マルケ州マチェラータ県にある、人口約2万1000人の基礎自治体コムーネ)。

地理

位置・広がり

マチェラータ県中部の町で、県都マチェラータの南西約17km、州都アンコーナの南南西約49km、ペルージャの東約73kmに位置する。キエンティ川テンプレート:Enlink中流のヴァッレ・デル・キエンティテンプレート:Enlinkにあり、古来よりアドリア海沿岸部と内陸山岳部を結ぶ重要な役割を担っていた。現代も内陸と海岸を結ぶ主要道路である国道77号線が市内を通るほか道路網が整備されており、シビッリーニ山地のスキーリゾートや、アドリア海の沿岸リゾート地へのアクセスが容易である。

ファイル:Macerata mappa.png
マチェラータ県概略図

隣接コムーネ

隣接するコムーネは以下の通り。

歴史

先史・古代

アドリア海アペニン山脈にはさまれたこの肥沃な地域における最初の居住の痕跡は、新石器時代までさかのぼる。紀元前8世紀から紀元前4世紀にかけて築かれた多数の墳墓遺跡は、1884年に発見された。この遺跡は、ピチェンティ人テンプレート:Enlinkの文化の証となっている。

ローマ人はこの地にトレンティヌム(Tolentinum)の都市を建設したが、この時代の都市について特に詳しく述べられた史書は遺されていない。考古学的な成果と大プリニウス博物誌』の叙述によれば、トレンティヌムはイタリア本土第5行政区「ピセヌム」テンプレート:Enlinkに属し、ローマとアドリア海沿岸を結ぶフラミニア街道の枝道がこの都市を通過していた。ローマ時代の遺構は後世の都市建設によって失われており、ただ浴場の遺跡が残されている。

伝説によれば4世紀の終わり、プラエフェクトゥス・プラエトリオ(近衛隊長官)であったカテルウス(Catervus、あるいはフラウィウス・ユリウス・カテルウィオ(Flavius ​​Julius Catervio)。イタリア語ではカテルヴォ(Catervo)あるいはカテルヴィオ(Catervio))がこの地に退隠し、キリスト教を伝道したとされる。カテルウスはのちに列聖されてこの町の守護聖人とされ、その墓所を中心に教会が建設されたと伝えられる。

487年から502年にかけてローマで行われた公会議には、トレンティヌム司教が参加しており、教区テンプレート:Enlinkが置かれていたことがわかる。現在も聖堂(カテドラル)にはカテルウス(聖カテルヴォ)の荘厳な石棺が残されている。

中世

ローマ帝国の崩壊後、トレンティヌムを含むマルケ一帯は蛮族の侵攻によってその支配下に入り、トレンティヌムの住民の多くは郊外の丘陵地帯に逃亡した。キエンティ川流域の他の都市はこの時期に放棄・破壊されて消滅したが、トレンティヌムにはわずかに住民が残り、都市として生き残った。住民はカテルウスの聖域を守り、蛮族の寄進も受けて修道院の基礎を築いた。

1099年、トレンティーノはリエーティのサンサルバトーレ修道院の支配下に置かれたが、1166年にはアンコーナの侯爵によってトレンティーノの自治権が認められ、自治都市(コムーネ)テンプレート:Enlinkとなった。コムーネは商業的に成長し、ベルフォルテウルビザーリアといった近隣の村を編入した。12世紀から14世紀にかけて、近隣のサン・セヴェリーノカメリーノといったコムーネとの摩擦を経て、境界を定めていった。14世紀末以降、この都市の支配はダ・ヴァラーノ家テンプレート:Enlink、次いでスフォルツァ家の手にわたり、のちに教皇領の一部とされた。

ナポレオン戦争

ファイル:Battle of Tolentino.jpg
トレンティーノの戦い

フランス革命戦争中、教皇領にはフランス軍が侵攻した。1797年2月19日、この都市においてナポレオン・ボナパルトと教皇ピウス6世との間のトレンティーノ条約テンプレート:Enlink条約が結ばれ、教皇国家は領土の割譲と賠償金の支払いを呑むこととなった。

1815年5月、テンプレート:仮リンクにおいてナポリ王ジョアシャン・ミュラは、フレデリック・ビアンキテンプレート:Enlink率いるオーストリア軍に大敗を喫した。この大敗は、ミュラの没落につながることになる。トレンティーノは教皇領に復帰した。

イタリア統一以後

イタリア統一により、1861年にイタリア王国に編入された。19世紀後半には、イタリアの他の地域同様、トレンティーノでも産業の発展がみられた。

人口

人口推移

テンプレート:歴史的人口 <timeline> Colors=

 id:lightgrey value:gray(0.9)
 id:darkgrey  value:gray(0.7)
 id:sfondo value:rgb(1,1,1)
 id:barra value:rgb(0.6,0.7,0.8)

ImageSize = width:475 height:373 PlotArea = left:50 bottom:50 top:30 right:30 DateFormat = x.y Period = from:0 till:25000 TimeAxis = orientation:vertical AlignBars = justify ScaleMajor = gridcolor:darkgrey increment:5000 start:0 ScaleMinor = gridcolor:lightgrey increment:1000 start:0 BackgroundColors = canvas:sfondo

BarData=

 bar:1861 text:1861
 bar:1871 text:1871
 bar:1881 text:1881
 bar:1901 text:1901
 bar:1911 text:1911
 bar:1921 text:1921
 bar:1931 text:1931
 bar:1936 text:1936
 bar:1951 text:1951
 bar:1961 text:1961
 bar:1971 text:1971
 bar:1981 text:1981
 bar:1991 text:1991
 bar:2001 text:2001
 bar:2011 text:2011

PlotData=

 color:barra width:20 align:left
 bar:1861 from:0 till: 10982
 bar:1871 from:0 till: 11422
 bar:1881 from:0 till: 11057
 bar:1901 from:0 till: 13197
 bar:1911 from:0 till: 13166
 bar:1921 from:0 till: 13500
 bar:1931 from:0 till: 14211
 bar:1936 from:0 till: 14356
 bar:1951 from:0 till: 15300
 bar:1961 from:0 till: 15488
 bar:1971 from:0 till: 16771
 bar:1981 from:0 till: 18053
 bar:1991 from:0 till: 18346
 bar:2001 from:0 till: 18649
 bar:2011 from:0 till: 20336

PlotData=

 bar:1861 at: 10982 fontsize:S text: 10,982 shift:(-8,5)
 bar:2011 at: 20336 fontsize:S text: 20,336 shift:(-10,5)

TextData=

 fontsize:S pos:(20,20)
 text:fonte ISTAT - elaborazione grafica a cura di Wikipedia

</timeline>

居住地区別人口

国立統計研究所(ISTAT)によれば、2001年時点での居住地区(Località abitata)別の人口は以下の通り[1]

地区名 標高 人口 備考
TOLENTINO 132/523 18.649
ABBADIA DI FIASTRA 182 14 ウルビザーリアUrbisaglia 地区に連続
LE GRAZIE 225 216
PATERNO 408 25
TOLENTINO * 228 15.376
Case San Martino 212 33
Contrada Pianibianchi 217 26
Contrada Ributino 196 23
Parrocchia San Giuseppe 399 37
Piane della Rancia 171 58 ポッレンツァPollenza Scalo 地区に連続
Case Sparse - 2.841
Lago delle Grazie 212 - 人造湖

  • ISTATは人口統計上、家屋密度の高い centro abitato (居住の中心地区)、密度の低い nucleo abitato (居住の核となる地区)、まとまった居住地区を形成していない case sparse (散在家屋)の区分を用いている。上の表で地名がすべて大文字で示されているものが centro abitato である。「*」印が付されているのは、コムーネの役場・役所 la casa comunale の置かれている地区である。

行政

山岳自治体

自治体連合であるテンプレート:仮リンク「モンティ・アズーリ山岳自治体テンプレート:Enlink」(事務所所在地: サン・ジネージオ)を構成するコムーネの一つである。

分離集落

トレンティーノは以下の分離集落(フラツィオーネ)から構成される。

  • Abbadia di Fiastra
  • Acquasalata
  • Ancaiano
  • Asinina
  • Bura
  • Calcavenaccio
  • Casa di Cristo
  • Casone
  • Cisterna
  • Collina
  • Colmaggiore
  • Divina Pastora
  • Fontajello
  • Fontebigoncio
  • Le Grazie
  • Maestà
  • Massaccio
  • Pace
  • Parruccia
  • Paterno
  • Pianarucci
  • Pianciano
  • Pianibianchi
  • Portanova
  • Rambona
  • Rancia
  • Regnano
  • Ributino
  • Riolante
  • Rofanello
  • Rosciano
  • Rotondo
  • Salcito
  • San Bartolomeo
  • San Diego
  • San Giovanni
  • San Giuseppe
  • San Martino
  • San Rocco
  • Santa Croce
  • Santa Lucia
  • Sant'Andrea
  • Sant'Angelo
  • Santissimo Redentore
  • Troiano
  • Vaglie
  • Vicigliano

文化・観光

聖ニコラ聖堂
聖ニコラ聖堂テンプレート:Enlinkは、当地にゆかりのあるトレンティーノの聖ニコラウスを記念する教会堂(バシリカ)である。13世紀から14世紀にかけて建立された。いくつかの礼拝堂(カペッレ)がある。聖ニコラ礼拝堂(Cappellone di san Nicola)のフレスコ画は、ジョット派の画家テンプレート:Enlinkやピエトロ・ダ・リミニテンプレート:Enlinkによって14世紀に描かれたものである。
聖カテルヴォ聖堂
聖カテルヴォ聖堂テンプレート:Enlinkは、守護聖人聖カテルヴォを記念する大聖堂(カテドラル)で、聖カテルヴォの石棺がある。教会の創建は8世紀であるが、現在の建築は1830年にフィリッポ・スパーダの設計によって建設されたものである。この大聖堂は、ローマカトリックのマチェラータ=トレンティーノ=レカナーティ=チニョーリ=トレイア司教管区テンプレート:Enlinkの司教座聖堂である。
ランチャ城
ランチャ城テンプレート:Enlinkは、14世紀にカメリーノの貴族ダ・ヴァラーノ家によって建設された城砦。

交通

道路

国道

アヴェッリーノ県のフォリーノと、アドリア海沿岸のチヴィタノーヴァ・マルケを結ぶSS77がコムーネを東西に貫く。カメリーノ - チヴィタノーヴァ・マルケ間は高規格道路(Superstrada)となっており、チヴィタノーヴァ・マルケでアウトストラーダ A14と接続する。

鉄道

人物

著名な出身者

ゆかりの人物

トレンティーノの聖ニコラウスは、南東へ約16km離れたサンタンジェロ・イン・ポンターノ出身で、トレンティーノで暮らしてこの地で没した。多くの奇跡を起こしたとされ、1446年に列聖されている。

姉妹都市

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:マチェラータ県
  1. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「istat2001」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません