チュパチャップス

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チュパチャップスは、かつて存在した吉本興業所属のお笑いコンビである。現在は解散している。通称「チュパ」 。

メンバー

略歴

共にNSC9期生。NSC卒業後、「ギャグパラダイス」をすぐに解散した星田が宮川を誘う形で、1991年3月にコンビ結成。結成時のコンビ名は「チュッパチャップス」だったが、すぐにクレームが出てきて「チュパチャップス」に改名した。同年、吉本興業の若手6組によるユニット「吉本印天然素材」(後に天然劇場と改称)に参加。しかし、人気はそれほど出なかった。

ネタは主にコント。年上の星田がネタを作り、高校生時代にNSCに中途入学した宮川がツッコミを入れる形であった。

コンビ時代末期は仲が悪かったらしく、宮川が星田の言動に常にイライラしていたという。決して売れっ子とは言えないコンビであり、天然劇場が終了してからは更に仕事が激減。1999年7月、名古屋駅の新幹線のホームにて宮川が役者をやりたいという事を星田に告げ(元々、宮川は役者志望であったものの、父親の同級生である桑原征平が紹介できる事務所が吉本しかなかったため、吉本入りした経緯がある)、今後の方向性の違いを認識してコンビを解消した、と後に番組で本人達が語っている。そして双方ともピン芸人に転向した(「ナンバ壱番館」によると、天然劇場が終了し、仕事が激減し悩んでいたある日、宮川が星田の祖父の形見であるタバコを吸い、しかも「まずい」と一口でもみ消してしまったことが、コンビ仲を引き裂く決定的な原因であったという)。

解散後、宮川は俳優業を中心に活動、その後、ルミネの新喜劇に出演し、芸人として復帰するなど、それなりの成功も収めていたが、コンビ時代以上にメディア露出などは激減。星田は、4年間で仕事が3本など低迷時代が長く続いた。生活は共に苦しく、宮川はロシア料理店で働き、星田は道路工事のアルバイトで生計を立てていた。2005年2月に、星田改めほっしゃん。が「R-1ぐらんぷり」で優勝し、少しずつテレビでの露出が増えてくると、その効果が元相方の宮川にも波及したか、この頃から2人共々売れ出した。元々、ルミネの新喜劇に揃って出演、ほっしゃん。の優勝後も2人でトークライブを開催していたが、芸人、俳優の仕事も増え、『めちゃイケ』や『やりすぎコージー』『人志松本のすべらない話』、『満天☆青空レストラン』(宮川が司会の番組でゲストとしてほっしゃん。が出演した)など、元コンビということをネタにしたりして共演することも増え、コンビ時代以上に露出が多くなっている。

なお、2人がかつてコンビだったことは、公式には現在シークレット扱いとされており、「チュパチャップス」のコンビを組んでいた事実そのものがなかったことになっている(例えば雑誌の取材で書かれるプロフィールに、チュパチャップスについての記述や、宮川もしくはほっしゃん。とコンビを組んでいたという記述は、まず見られない)。ただし必ず隠しているというわけではないので、前述のように番組で元コンビであったことを弄ったり、「満天☆青空レストラン」では過去の映像を交えて当時コンビだったことを二人で明かすなど元コンビであったことをアピールしている光景も見られる。よって、元コンビとしてピン同士で共演するという異例の現象(大半の解散したコンビは一方が引退か裏方に転身することが多い)が起きている。

テレビ出演