ジャック・マイヨール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

ジャック・マイヨールJacques Mayol, 1927年4月1日- 2001年12月22日)は、フランスフリーダイバー上海生まれ。イタリア・エルバ島没。

生涯

4歳の時、母親に初めて水とのつき合い方を教わる。10歳の時に、佐賀県唐津市七つ釜ではじめてイルカと出会い、その後の生活の原点となる。12歳で一家でフランス・マルセイユに移住。17歳で父の設計事務所で働きながらバカロレアを取得。高校を出ると北極圏イヌイットと暮らすなど、以後コペンハーゲンを起点に旅を繰り返す。

22歳の時、ヴィブケ・ボージュ・ワズショルドと間に長女ドッティをもうける。正式な結婚は後の25歳の時、コペンハーゲンにて執り行われた。その後水夫としてカナダ・アルバータ州、アメリカ・マイアミに移住。その間、レポーター、ジャーナリストとして働き、長男ジャン・ジャックが誕生する。 フロリダではフランス語系新聞の手伝いやラジオ番組のリポーターを務めながら、マイアミ水族館で働く。そこで1957年にイルカの調教を担当したことから水中での泳ぎ方などを体得。

その後水族館をやめてカイコス諸島に移住し、素潜りによる伊勢エビ漁を島民に教える。その頃になると周りの勧めでフリーダイビングに挑戦するようになり、1966年ハバナにて60メートルを記録したのを皮切りにエンゾ・マイオルカと共に記録合戦を繰り広げた。1973年、イタリアに居を移し、10余りの潜水実験に参加。それにより数十メートルの深度でフリーダイビング中のマイヨールの脈拍が毎分26回になっていることや赤血球が著しく増加していることが、スキューバで潜った医師によって測定されたこともある。1976年11月23日エルバ島にて人類史上初めて素潜りで100メートルを超える記録をつくる。この時49歳であった。

1983年、母親の葬儀に参列するためにマルセイユに行った折にリュック・ベッソンと出会う。1988年、自伝をもとにした映画「グラン・ブルー」が同監督により製作され、世界中の人にその存在を知られる。

1989年マルセイユ出身の女性編集者ジャンヌ・ラフィットと結婚し、本をいくつか出版する(そのひとつが『イルカと海に帰る日』である)。

大の親日家であり、フリーダイビングにヨーガを取り入れていた。千葉県館山市坂田に別荘を設けている。1995年にはTBSテレビのドキュメンタリー番組「いのちの響」に出演したことがある。1997年の秋には27HOUR SPECIAL CHALLENGE 97内で放送された「イルカが海に帰る日 ~ユキよ、自由の海を泳げ~」のスペシャルゲストを担当した。

ダイビングの第一線から引退した後は、イルカと人間との共存を訴えた。晩年はうつ病を患っていた。2001年12月22日、イタリアエルバ島の自宅の部屋で首吊り自殺をしているのが発見された。遺体のそばのテーブルの上に、「グラン・ブルー」のビデオと、直前に出演したテレビ朝日の「グレートマザー物語」のビデオが置いてあった。彼の自殺直前の状況については、兄ピエールの『ジャック・マイヨール、イルカと海に還る』(ISBN 4062119587)に詳しい。

遺骨はトスカーナ散骨された。

マイヨールの記録

著作

  • 『イルカと海に帰る日』(原題:ホモ・デルフィナス 訳:関邦博) ISBN 4062061473
  • 『海の記憶を求めて』(兄ピエールとの共著) ISBN 4881356372
  • 『イルカと、海に還る日』(ピエール・マイヨール、パトリック・ムートン著) ISBN 4062119587

参考文献

  • 『潜る人 ジャック・マイヨールと大崎映晋』 佐藤嘉尚著 文藝春秋刊 2006年1月 ISBN 4-16-367860-3

関連映画

外部リンク