松浦ゴリエ

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テンプレート:Redirect 松浦 ゴリエ(まつうら ごりえ、1月29日 - )とは、フジテレビバラエティ番組ワンナイR&R』でガレッジセールゴリ女性に扮して演じていたキャラクター。番組内ではゴリとは別人という設定であった。

正式な名はゴリエ松浦亜弥が妹役として登場したときだけ「松浦ゴリエ」という名前が使われたが、後のデビュー曲『Mickey』では歌詞の中で自ら「松浦ゴリエ」と名乗っている。「松浦ゴリエ」の名前は公式設定となったようだが、以後「松浦ゴリエ」としては登場していない。番組、雑誌のモデルやCDリリース、観光大使、テレビコマーシャルNHK第56回NHK紅白歌合戦』なども全てゴリエで登場している。

ゴリエのファッションを真似る人をゴリラーと呼ぼうとしている。このキャラクターは「男性」が演じているためにバラエティではない「音楽番組」の『NHK紅白歌合戦』のような、厳粛を基準としていたものに対する出演には波紋が広がっている[1]。その際、パンツを見せるなどして、司会のみのもんたに怒られた。またPTAなどでは一部苦情も出ている。

設定

  • もんじゃろ学園中学校1年G組副担任 (クラス担任は浅見れいな) の教師 (担当教科は保健体育) 。ペコリ大学卒。
  • 女子大生時代に始めたチアダンスが特技。川ちゃん (川田広樹) に恋するあまり、コロっと騙されて言うことを全て真に受け、搾取されている。くずと、自らが戦隊ヒーローに扮する「ゴリエレンジャー」のテーマ曲を歌ったこともある。だが、デビュー曲『Mickey』でのライバルはくずの2人。
  • 好きな言葉も「川ちゃん」。口癖は、「ペコリ。」「ヨ・ロ・コ・ビ~。」「カナシミ~。」「~じゃろがい!」「な・ん・だ・な。」「ウィ。」「~でござる。」
  • 血液型A型、身長173cm (6尺ないくらい) 。
  • 体重はJリーガーと同じくらい。
  • 家族は父 (サーカスの団員) ・母 (大原麗子) ・妹 (あやや) 。父は小学生の頃に多額の借金を残して逃亡、ゴリエは借金のカタに無理やりサーカス団に入団。(曰く昼は玉乗り、夜は団長のタマ乗り、休日は団員のタマ乗りとタマ磨き) 母は借金返済のため、1日7時間睡眠の働きづめで体を壊して亡くなったという噂だったが、ゴリエが母と別れて15年経ってから生きていることが分かった。妹は魔法が使える。
  • 特技は玉乗り、玉転がし。主な攻撃手段としてはドロップキックを使う。

エピソード

  • 『ワンナイR&R』内で、ゴリ以外でゴリエに扮したことがあるのは、岡村隆史ナインティナイン)、藤本敏史FUJIWARA)とワッキーペナルティ)。
  • 楽曲のPVは『ワンナイR&R』のみで公開され、他局では放映されなかった(例えばTBS系列『CDTV』の紹介PVは、いい加減なゴリエの切り抜き絵が紙人形の劇のように上下するというお粗末なものであった)。しかし、『第56回NHK紅白歌合戦』の出場が決定した時、『NHKニュース』ではゴリエのPVの一部分が流れていた。くず(宮迫博之・山口智充)も同様のケースがとられていた。
  • PV撮影のため渡米した際、移動する間もゴリエに扮していたため、現地の空港職員からも大受けだった。しかし金属探知機が作動し、ボディチェックをされる際に股間を指差し「I have a gun!」とジョークを飛ばした所、それまで笑顔であった屈強な空港職員の態度が一変し、瞬く間に組み敷かれ、厳重なボディチェックを受ける羽目になってしまった。また、この時はアメリカ同時多発テロ事件から空港警備が厳しくなっていた時期にもあたる。その空港内で撮影されたPVでのゴリエの表情がやや固いのはそのため。
  • 楽曲の作詞は全て「ゴリエ美化委員会」(主にゴリエ。映画・テレビアニメでよく見かける「○○製作委員会」のパロディと思われる)名義となっている。所属レコード会社はR and C
  • 黒柳徹子はゴリがゴリエを扮しているとは知らず、ゴリとゴリエは別人だと思っていた(テレビ朝日系列『徹子の部屋』より)

来歴

  • 2002年2月の『ワンナイR&R(第1期)』で初登場。当時は「ワンナイ学園」の女子中学生(コギャル)だった。ゴリエが主役のコントには、「ゴリエの合コンマニュアル」「ゴリエの恋愛マニュアル」「ゴリエの結婚マニュアル」や「ゴリエのヨロコビ!ライフ」、女性ゲストを招き恋愛トークやゴリエ度チェックを行う「ゴリエの恋のじゃろがい」等とタイトルがついていて、(2005年11月9日放送分より)「もんじゃろ学園物語」になり教師に着任。何故か、学校内の運動場をバイクで進入したり、生徒に暴言を吐くことがあるため、一部の視聴者の間から心配されている。
  • 2002年春頃、アルバイトで加茂プロデューサー(山口智充)の下で働いていた時、2002年6月26日放送の『ワンナイゴールデンSP』では、とんねるず扮するスタッフキャラクター、ダーイシ(石橋貴明)・小港部長(木梨憲武)に挨拶したことも。
  • 雑誌『Popteen』(2003年2月号)で専属モデルとなる。その後、この雑誌で、正体を公表した。
  • 2004年のワンナイR&R正月スペシャルの『忠すぃん蔵』(忠臣蔵のパロディ)で過去にタイムスリップした。そこで川ちゃんの先祖に出会うが、彼に出世のために殺害されてしまった。しかしその後、何事も無かったように生き返り、現代に戻った。どうやって生き返ったのかは不明。
  • 同じように2004年8月のワンナイR&Rのコントで、事故死した上戸彩を生き返らせるために川ちゃんに騙されて自分の命を捧げて死んだことがある。しかしやはり何事も無かったように生き返った。
  • 2003年11月22日放送のテレビドラマ「VICTORY! ~フットガールズの青春~」(フジテレビ系列、妹役の松浦亜弥主演)のチアリーダー役(とはいえ、ほとんどエキストラ扱い)として出演。
  • 2004年度のハワイ州オアフ島のマスコットガールに選ばれた。チアダンス時のBGMは、ジャスミンジョアンと歌う、オアフ島イメージソングの『Mickey』(2004年9月8日発売。1982年に全米No.1ヒットを記録したトニー・バジルカバー)。オリコン2週連続1位。カバーによるデビュー曲による同記録は1981年薬師丸ひろ子の『セーラー服と機関銃』以来。この結果から、賛否両論の意見が相次ぐようになった。
    • 『Mickey』の売上目標はブリトニー・スピアーズの全世界での全てのCDの総売上枚数を上回りたいと話している。しかし、普通に考えて見ると、かなり厳しい目標である。
  • 2004年11月、「ワンナイエンディングフェア」でAPのワンナ志賀直哉、ディレクターの神尾・小仲正重、ディレクター・チーフADの大村をバックダンサーに、台詞を変えて『Mickey』を熱唱。その中の1人の志賀を激励するため、2005年4月6日に放送された音楽祭「FNS志賀歌謡祭」をプロデュースした。
  • 2005年4月、女性ファッション誌CanCam専属モデルに就任。
  • 2005年4月6日の「ワンナイR&R緊急生放送SP」より、チアダンス時のBGMがこれまでの『Mickey』に変わり、ベイ・シティ・ローラーズ「SATURDAY NIGHT」が使用されている。
    • また、2005年9月14日に「SATURDAY NIGHT」のカバー曲でお台場冒険王2005イメージソングの「PECORI♥NIGHT」がくずのCDと同日発売され、くずとCD売り上げを競うことになったが、「PECORI♥NIGHT」がオリコン初登場3位、くずの「その手で夢をつかみとれ!」が初登場8位でゴリエに軍配が上がった。
  • 2005年7月、カリフォルニア州観光大使に。ロサンゼルスの観光広告にも掲載され、アメリカでも知られるようになった。さらには「ゴリエと行くカリフォルニアツアー」の一環として行われた「世界一のカリフォルニアロール」がAP通信によって世界中に打電された。
  • 2005年7月16日にお台場冒険王で催されたワンナイミュージカル「ゴリエの大冒険」の主役でもある(「ゴリエの大冒険」は、2005年7月28日と同日深夜に拡大版として「ニューカマーズ」枠で放送、2005年8月17日にフジテレビ721で完全版放送)。
  • 2005年10月下旬から11月30日まで、ユニクロフリース」CMに出演。
  • 2005年12月31日に放送された第56回NHK紅白歌合戦には紅組の一員として初出場した。この結果から、立川談志や、野末陳平高橋ジョージ、各界のメディアから賛否両論の声が相次いだ。ワンナイ出演時には、ゴリエ曰く、「下手にやると取り消しにされる可能性がある」とのこと。バックダンサーとフジテレビなどフジサンケイグループ各社で統一シンボルマーク社章として使用している目玉マークを作ったことが話題となり、、NHKスタッフの間では評判が高かった(振り付け・北垣美沙)。しかし、その後のエンディングでゴリエがパンチラをやったことから、みのもんたにダメ出しされる。また、歌を歌っているジョアンが13歳のため21時以降の出演ができずにエンディングに不参加であった。その後、『ワンナイ』で舞台裏を公表しているが、レギュラー出演者ではこのキャラクターだけである。
  • 2006年1月20日、当時環境大臣の小池百合子からチーム・マイナス6%応援団長(チームNo.555)に任命された。
  • 2006年に開催された「ゴリエ杯ダンス選手権」の2006年3月21日に行われた決勝戦審査員。
  • 2006年3月17日放送のTBS系ドラマ『夜王』第10話に友情出演。
  • 2006年5月5日放送の『徹子の部屋』にゲストとして出演。
  • 2006年6月21日の『ワンナイ』1時間SPからリトル・ペギー・マーチの『I Will Follow Him』のカバー曲の「恋のPECORI♥Lesson」のパイロット版プロモーションビデオを公開。
    • バックダンサーは、「全日本ゴリエ杯チアダンス選手権」で優勝した、「パワフルエンジェル」が担当。
    • オリコンデイリーチャート1位(2006年9月20日付)、ウィークリーチャート初登場5位(2006年9月25日付)。
  • 2006年7月15日から、ハローキティとコラボレーションした「ゴリエキティ」が発売。なおハローキティは「恋のPECORI♥Lesson」のPVにも出演
  • 2006年9月17日夜に国立代々木競技場第1体育館で行われた安室奈美恵のコンサートライブでYou're my sunshineの演奏中に「ヘッドスピン10回転」に挑戦(ゴリエは「もし、10回ヘッドスピンできなかったらゴリエを引退します」と周りが勝手に宣言しつつも)見事成功。「パワフルエンジェル」も同コンサートライブに出演した。同コンサートの模様は、2006年9月20日(「恋のPECORI♥Lesson」発売日)の「ワンナイR&R初の3時間SP」にて放送された。
  • 2006年11月22日の放送で、2006年いっぱいでゴリエの放送は終了することが決定され、理由は「ゴリエに予算を使い過ぎたから」だと言われていたが、実際には番組自体が同年12月20日の放送を以って終了することによる措置である。

最後

  • 上記にある通り、番組終了と同時に終期を迎える形となり、彼氏の川ちゃんに「ゴリエのフィナーレはゴリエと川ちゃんとの結婚式で締めよう」と伝えたが、実は川ちゃんはゴリエと出会う6年前にすでに結婚していてアキほしのあき)という妻がおり、「(ゴリエに)言ってなかったっけ?」と口にしたものの、寝耳に水のゴリエはあまりのショックにその場を走り去って3年間もの間音信不通となった。
  • 翌週の最終回でゴリエが北海道小樽に居ることが分かり、恋しくなった川ちゃんはゴリエを探しに小樽に旅立った。そこで番組に登場した歴代のコントキャラとも遭遇した。
  • ゴリエは旅行することで失恋したことを忘れようという目的もあって、たどり着いた居酒屋でマスターのジョージ遠藤憲一)にその旨を話し、この居酒屋の女将として働いていた。一方川ちゃんは長旅の末ゴリエを見つけ出し、アキと離婚したことも話し「結婚しようか」とプロポーズする。一方のゴリエは心境が変化しておりジョージに肩を寄せていたが、実はジョージも既婚者であったことを知り失恋。改めて川ちゃんからのプロポーズを受けた。
  • そして遂に念願の川ちゃんとの結婚を果たし、「ワンナイ」から生まれたコントキャラ・ユニット=くず(宮迫博之・山口智充)、Sせん小池栄子)、おばあちゃん蛍原徹)、病人平畠啓史)、ミヤオ(ワッキー)、中田ヒデヒデ)、パワフルエンジェルからの祝福を受け、番組のフィナーレを飾った。

その後

  • 前述のようなエピソードでキャラクターは終了したが、2007年10月11日放送の『CHIMPAN NEWS CHANNELスペシャル』にゲスト出演し、一時的に復活した。

ディスコグラフィー

シングル

  1. Mickey(2004年9月8日発売)
  2. PECORI♥NIGHT (2005年9月14日発売)
  3. 恋のPECORI♥Lesson (2006年9月20日発売)

以上、すべてGorie with Jasmine & Joann名義で発売。

DVD

くず&Gorie&ワンナイオールキャラクターズ名義)

脚注

  1. もっとも、紅白での男女混合ユニットでボーカルが女性であれば紅組で出場するという形態は、プロジェクトとしての「ゴリエ」のリード・ボーカルがジャスミンであることにより守られてはいる。また、『第58回NHK紅白歌合戦』には性同一性障害を抱える戸籍上は男性である中村中が紅組で出場している。


外部リンク

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