ゴリ (お笑い芸人)

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テンプレート:存命人物の出典明記 テンプレート:Infobox お笑い芸人 ゴリ1972年5月22日 - )は、日本お笑い芸人俳優映画監督であり、お笑いコンビガレッジセールボケ担当である。本名、照屋 年之(てるや としゆき)。

沖縄県那覇市出身。吉本興業所属。沖縄県立首里高等学校卒業、日本大学藝術学部映画学科中退。身長173cm、体重73kg。左利き。

来歴

人物

  • テレビではネタをほとんどやらないがネタ作りを担当している。
  • ソフトモヒカンがトレードマークで、デビッド・ベッカムが行って2002年に流行したソフトモヒカンの先駆者だと語っていたが、「5年でハゲる」と言われたり、セットに30分かかるなどの理由から、2007年6月18日放送の『笑っていいとも!』からストレートに変更したが、TVでテロップが出ないと『ゴリ』と認識されないため結局元の髪型に戻している。また、腕毛が多いことをよくネタにしている。
  • ブレイクダンスが得意であり、『めちゃ×2イケてるッ!』ではナインティナイン岡村隆史とブレイクダンスで争った(ゴリがかなり押した展開ではあったが、大技ヘッドスピンを一人だけ成功させた岡村の勝利という結果に)。また、沖縄好きの岡村に沖縄のことをいろいろ情報提供する間柄でもある。
  • 『ワンナイR&R』の小川直也との試合でバック宙(プロレス技で言えばムーンサルトプレスから着地)を披露。また、同番組内では鉄棒の大車輪をこなしたり、正面飛びドロップキックで宮迫を吹っ飛ばすなど、かなりの運動神経の持ち主である。
  • 『ワンナイR&R』のキャラクター「松浦ゴリエ」が有名。同キャラクターでCDデビューやモデル雑誌の表紙になるなどの人気になる。また同番組内ではハードなアクションやダンスを披露していたり、「落武者」として登場した(特にその中でも「武者修行」として、陸上自衛隊レンジャー課程に参加したり、韓国タイ中国などへ行き、それらの国の本物の軍事教練に参加している。しかもタイ国軍に至っては、正真正銘本物の特殊部隊である)テンプレート:要出典
  • 山田優は出身中学校の後輩である。
  • おはスタ』の「Drゴリの研究所」では、しばしばキッズ達にはわからなさそうな古い曲(ピンクレディーの「ペッパー警部」、早見優の「夏色のナンシー」など)をかけさせ、意味不明なことを言うのでキッズ達は困惑する。
  • 沖縄が舞台のドラマなどに多く出演しており、郷土愛が強い。
  • 焼酎が好物。よく飲む銘柄は『黒霧島』(霧島酒造)。
  • 最近では料理に凝っている[2]紀里谷和明の薦めでカメラを始めた。
  • 愛車は、初代三菱・デボネア。2009年にジャックラッセルテリアを飼い始め、名前は「ラッセル」である。

家族・親戚

  • 両親はダブル不倫がきっかけで結ばれた。
  • 父親は非常に女癖が悪く、名護市に自身が経営している店にアルバイトで入ってきた女性と住むための家を建てたこともあった[3]
  • 現在、二児の父。番組の打ち合わせなどで家族とのエピソードをよく話していたため、『アドレな!ガレッジ』のスタッフにより“ベスト・ファーザー賞を狙っている”というキャラクターを付けられている。子供の話をすると、ベスト・ファーザー賞の話題を持ち出されるため、家族の話がしにくくなったという[4]
  • モデルの知花くららは、再従姉妹(それぞれの父親が従兄弟同士)にあたる[5]2007年3月10日放送の『メレンゲの気持ち』にて、知花から明かされたが、本人は本番で知花に言われるまで全く知らなかった。りんけんバンド照屋林賢 は従叔父、照屋林助は祖父にあたる(なお、この血縁関係については、テレビ番組でりんけんバンドの本拠地「カラハーイ」の前でゴリ本人が、また、林賢がライブのMCでも認めて語っているという)。

エピソード

  • 沖縄時代のゴリは相当の不良でならしたことで有名。友人五人と深夜スーパーマーケットに侵入して、アクション映画さながらの警察との捕り物劇を繰り広げた経験があると、自ら公共の電波で発言している。しかし学校の先生の必死の指導と、周囲に謝罪する母の涙を見たことにより改心した後は勉学に励み、県内でもトップクラスの進学校へ入学、日本大学芸術学部に進学するまでに更生を果たした(ちなみに、この経緯が沖縄県教育委員会で『照屋年之君の更生の記録』として小冊子となっているらしいが、実物は確認されておらず真偽は不明である)。ゴリ自身も、那覇市立松城中学校卒業時に校長先生の計らいによって、全校生徒の前で中学時代の一連の経緯を綴った作文を朗読させられ、読み終えた瞬間、その場にいた全員から割れんばかりの拍手を送られたという。テンプレート:要出典
  • 2007年4月15日の『メントレG』に出演した際に「人生の転機に影響を与えられた人」の中で芸能界入りのきっかけは、大学受験を目指し、上京して勉強していた時に当時同じ下宿に住んでいた羽村さん(現在NHK職員)に「将来何になりたくて勉強してんの?」と聞かれ、その時とっさに出てきた「俺、役者になりたい」の言葉からと答えている。
  • 東京に出てしばらくは方言ネタを封印していたが近年はコンビネタとして、出身地や方言について公言するようになった。たいてい「本土の人が分からないのをいいことに支離滅裂な発言を行う」のがパターン(例:ざんぬいゆ・よーがりー・ひーがりー=ジュゴンがガリガリに痩せています)。
  • 妻の出産に立ち会った際、妻から「赤ちゃんが出てくる所を(ビデオカメラで)撮って」と言われた。妻は「出産するシーンを撮って」という意味で言ったのだが、ゴリは「赤ちゃんが出て来る所=股の所」と解釈し、ずっと赤ちゃんが出てくる股の所を撮り続けた。赤ちゃんを取り上げようとする助産師と撮影するゴリのポジション争いになり、助産師に「こんなお父さんは初めて」と言われるほどだった。助産師のその言葉もあり、妻から言われた役目を果たしたと満足げにしていたが、当然妻からは激怒され、一緒にそのビデオを見ることを拒否されている。仕方なしに1人でそのビデオを見ると妻の顔が映った際、苦しそうな表情で「ち〜が〜う〜」と言っていた[6]
  • 非常に毛深いことで有名で、手の甲の毛が4,5センチある。そのことを象徴するエピソードとして、上京したてのまだ無名の頃に東京の美容院で髪を切ってもらった際、美容師はゴリの手の上に切った毛が付いていると思ってはらおうとしたが、よくみると地毛であることに気付き絶叫されたことがある[7]。ゴリ曰く「腕の中でフェレットを飼っている」。また、あるテレビ番組で隣にいた女性アイドルはゴリがずっと腕を組んでいる様子を見て、彼が猫を抱いているものだとばかり思っていたらしい。途中で彼の体毛だと判り、びっくりしたという。しかし、ゴリの地元・沖縄では特別変わっているとはみられず、相方の川田は一緒に出演したトーク番組で『むしろ僕の方が沖縄基準でいうとハゲている』とフォローした。ちなみに、濃ゆいのは腕や足など露出のある部位のみで、胸毛等が薄めなせいで逆にがっかりされることがある。また、息子もかなり体毛が濃く、生後数ヶ月でもう人並みの濃さになっていたと語っている。
  • 2014年4月に行われた映画「もういちど」の製作発表では共演の小倉久寛と腕の毛の濃さを争った事を告白した。会見で、「小倉さんの方がより毛濃いんです(笑)」「まさかの僕が負けるっていう、非常に悔しかったです」と悔しそうに語り、周囲を笑わせている。
  • 出身地である沖縄県には鉄道がなかった(なお、上京後に沖縄都市モノレール線が開業し、「鉄道のない県」ではなくなった)ため、東京に出てきたばかりの頃は電車の切符の買い方がわからなかった。苦心してようやく買えるようになったころ、今度は出口改札で通した切符が出てこないことに気づいた。そこで、疑問に思って駅員に尋ねたら「君は何を言ってるんですか?!」と言われたという。なお、相方の川田も当初は乗り方が分からず、タクシーのように電車に手を挙げて乗っていたという。

出演

バラエティ番組

レギュラー

ゲスト・準レギュラー

テレビドラマ

ドキュメント

ラジオ

メインパーソナリティ

映画

声の出演

CM

連載

  • 2007年3月8月読売新聞金曜夕刊に「ゴリの僕がアナタになれたなら」というゴリのコラムともいえるコメントコーナーが連載された。

関連項目

脚注・出典

テンプレート:脚注ヘルプ

  1. 『徹子の部屋』2011年8月2日放送よりテンプレート:出典無効
  2. 『笑っていいとも!』出演時に発言テンプレート:出典無効
  3. 人志松本のすべらない話」よりテンプレート:出典無効
  4. 2008年7月7日放送回『バナナマンのバナナムーンポッドキャスト出演時に発言テンプレート:出典無効
  5. テンプレート:Cite web
  6. 2009年2月26日放送回『ダウンタウンDX』出演時に発言テンプレート:出典無効
  7. 2009年2月24日放送階『踊るさんま御殿』出演時に発言テンプレート:出典無効
  8. テンプレート:Cite web

外部リンク