カンボジアの鉄道

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カンボジアの鉄道

カンボジアの鉄道(カンボジアのてつどう)では、カンボジアにおける鉄道について記す。

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概要

カンボジア鉄道は、590.9km全区間が非電化単線で、軌間は1,000mmである。

2009年現在、北線および南線の2つの路線が存在し、ともに公共事業・運輸省管轄下のカンボジア王立鉄道(カンボジア国鉄、テンプレート:Lang-fr (CFRC)、テンプレート:Lang-en (RRC))によって運営されている。2002年時点での年間の旅客および貨物輸送量は、それぞれ11万人/2,000万人キロ、55万7,000トン/1億6,000万トンキロとなっている。しかしその後さらに輸送量が減少している。

カンボジア内戦の影響で施設などが荒廃しており、全線で最高速度35km/h程度で運行されている。書類上は蒸気機関車が1両、ディーゼル機関車が19両、客車が20両、貨車が210両在籍しており、貨車を代替客車として用いている列車が多いという。使用されている車両もかなり荒廃が進んでいる。

路線

書類上は北線には49駅、南線には27駅があるが、内戦により駅舎などが破壊されておりまともに機能していない。交換設備はいくつかの駅にあるが、運転本数が少ないため利用されていない。車両基地と鉄道工場はプノンペン1箇所である。全線単線非電化で、閉塞も事実上全線1閉塞で運転士の注意力に頼って運転されている。軌条は37 - 40 kgレールを使用し、軸重は最大15 tである。

内戦で施設に大きな被害を受けた上、軌道敷に地雷が敷設されたり沿線がスラム化したりなどで立ち入りが危険な場所もあることから保線作業がろくに行われておらず、軌道の荒廃がひどくなっている。

北線

北線は首都プノンペンを起点に北西方向へ走っている。2009年現在運行されている延長はシソポンまでの337 kmである。途中の主要経由地としてはバッダング(Batdaung、31 km)、プルサト(Pursat、160 km)、バタンバン(273 km)となっている。シソポンから先ポイペト(385 km)までは軌道が無くなっており不通である。タイ国境を越えた先のアランヤプラテート(プノンペンから390 km)からはタイ国有鉄道が運行されており、かつては接続して運行が行われていた。バンコクはプノンペンから655 kmであった。バタンバン - シソポン間は貨物列車のみ運行されている。全線に渡りほぼ平坦で、橋梁が175箇所、のべ3,794 m存在する。老朽化と損傷が著しく、早急に架け替えが必要な橋が多数ある。

南線

南線はプノンペンから9.4 kmのところにあるフォーク (Fork) で北線から分岐してシアヌークビルまでの263 km(プノンペン - フォークは重複計算)の路線である。途中の主要経由地はタケオ(75 km)、カンポット(166 km)である。勾配がわずかに存在し、橋梁は97箇所とカルバートが488箇所の合計337 mがある。南線の橋は開通が新しいことから北線に比べれば状況が良好である。

運行

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プノンペン駅のホーム・旅客列車は1週間に1往復のみ

2005年8月改正のダイヤによれば、北線は1日3本、南線は1日1本の列車が設定されていることになっているが、貨物輸送量が減少していることから実際には輸送する貨物が集まり次第運行という状況となっている。輸送品目は北線がセメント、南線がセメントに加え石油が中心となっている。

旅客列車については2005年8月のダイヤ改正で北線のみ1週間に1回に削減されている。南線の旅客列車は旅客減少が激しく山賊に襲撃されるなどの治安問題もあって、2004年に打ち切られている。北線の旅客列車は毎週土曜日にプノンペン6時20分発、バタンバン17時57分着、その折り返しで毎週日曜日にバタンバン6時40分発、プノンペン20時40分着で運行されているが、遅延が酷くまともに時刻表通りに運行できないほか、車両の都合などで運休が多発している。治安状況が悪いため、沿線の治安状況を見て随時運行が決定されている状況である。

旅客列車も混合列車として運行されている。地雷に当たった時の旅客への被害を避けるための名残で、終点の駅で組成替えをして必ず客車が列車の最後尾になるようにして運転している。貨物列車であっても貨車に乗車する旅客が多く見受けられており、このことから南線の旅客利用も物理的には可能な状況である。

並行している国道がよく整備されており、一般の足はバスに移行して、鉄道は一般的な交通機関とはいいがたい状況となっている。特に治安状況から外国人の利用は困難な状況である。外国人に対する案内などはほとんどなく、現地のクメール語を理解できなければ利用は困難である。

2009年11月現在、週一往復していたプノンペン~バタンバン間の定期列車も完全に運休状態となっているようで同区間で使用していた客車と機関車はプノンペン駅構内に留置され、特に客車は走行が困難な状態にあった。

車両

動態保存の蒸気機関車が1両 (231-501) あり、不定期に運行が行われている。また136-106がプノンペン駅で静態保存されている。

ディーゼル機関車に関しては6形式がある。

BB1000形は1968年フランス製セミセンターキャブの4軸機関車で、4両が在籍する。この機関車も予備車となっている。

BB1010形は1993年チェコスロバキア製のセミセンターキャブ機で4両が在籍する。現行の主力機関車として用いられている。

BB1050形は1958年フランス製箱型18 メートル級機であり、6両が在籍する。車軸は4軸である。内戦中は装甲板が取り付けられていた。予備車となっておりほとんど運用されない。

BB1060形は2005年中華人民共和国製で、最新鋭であるがあまり運用されていない。

Bde400形は9両がいるが、ほとんど形式消滅状態となっている

Bde410形は2両がいる。1993年チェコスロバキア製のセミセンターキャブ機で、旅客ではこの機関車が多く用いられる。

気動車がかつては用いられていたが、既にプノンペン駅構内で朽ち果てた状態にあり、運用することはできない。

客車は多くが非常に荒廃しており、窓ガラスはほとんどなく、座席もかなりの部分が失われている。屋根に穴が開いている車両や、中には床板が抜け落ちて走行中に地面が見える車両もあるなど、非常に危険な状況である。当面更新の予定はなく、こうした車両が今後とも用いられることになっている。

蒸気機関車

車 番 製造年 メーカー名 軸配置 備 考
136-106     2-6-2(1C1) プノンペン駅で静態保存
231-501 1939年 ファイル:Flag of France.svgフランス製 4-6-2(2C1) 動態保存

ディーゼル機関車

形 式 車 番 製造年 メーカー名 軸配置 備 考
BB1000 BB1001-BB1005 1965年 ファイル:Flag of France.svgフランス・アルストーム製 B0-B0
BB1010 BB1010-BB1014 1992年 ファイル:Flag of the Czech Republic.svgチェコスロバキア・CDKプラハ製 B0-B0
BB1050 BB1051-BB1056 1969年 ファイル:Flag of France.svgフランス・アルストーム製 B0-B0 箱型18 メートル級機
BB1060 2005年 ファイル:Flag of the People's Republic of China.svg中華人民共和国  
Bde400 ファイル:Flag of France.svgフランス・アルストーム製   形式消滅状態
Bde410 1993年 ファイル:Flag of the Czech Republic.svgチェコスロバキア・CDKプラハ製

気動車

形 式 車 番 製造年 メーカー名 軸配置 備 考
ZZ800 6両? 1969年 ファイル:Flag of France.svgフランス・アルストーム製 B0-B0

歴史

カンボジアがフランス植民地仏領インドシナであった1929年に、同国初の鉄道である北線に着工した。プノンペンからポイペトまでの計画で、農産物木材の輸送を目的としていた。まず1932年6月にプノンペンとプルサトの間が、続いて1942年に残りの区間がそれぞれ開業した。1943年からは隣国タイ王国タイ国有鉄道と共同での国際列車の運行も開始された。一部中断期間をはさみながら、この列車は1961年10月まで運行された。

南線は主にシアヌークビルの港湾での輸出入貨物を取り扱うことを目的として1960年から建設が始まり、1969年に全線が開通した。こうしてカンボジアの鉄道は北線と南線合わせて650 キロメートルを有することになった。

しかし1970年代カンボジア内戦により設備は破壊され、大きく荒廃することになった。1975年4月にポル・ポトが政権を握ると、その急進的な共産主義政策のために鉄道員が全て農村へ追放され、革命の同志だけによる鉄道の運営が試みられた。しかしこれには失敗し、ほどなく追放が撤回されて鉄道員は呼び戻されて再び運営に当たらされることになった。1979年1月にポル・ポト政権が崩壊した際には、プノンペンから脱出するポル・ポト軍は逃走列車を仕立ててタイ国境方面へ逃亡した。

内戦終結後はアジア開発銀行の支援を受けて鉄道の復旧が進められた。2007年1月からようやく「鉄道リハビリプロジェクト」が開始されて鉄道の本格的な修復が行われている。この鉄道リハビリプロジェクトでは、軸重を20 トンに増強し、枕木のPC枕木化、マレーシアから供与された中古レールによるレール更新、最高速度の50 km/hへの引き上げなどが行われて既存路線の改良が行われると同時に、北線についてタイ側のアランヤプラテートまでの再連結作業が行われることになっている。30ヶ月の期間と6371万ドルの費用が見積もられている。

2010年10月22日、南線最初の修復区間であるプノンペンから南部カンポート州トゥクミアス(117 km)までが完成し、列車の運行が開始された。残りのシアヌークビルまでは2011年5月の修復完成を予定している。また、北線の復旧工事も着手される見込みで、2013年にタイまでの連結作業も完成する計画となっている[1]

今後の計画

タイまでの再連結計画に加えて、ベトナムホーチミンまで路線を延長する計画がある。既に協定は締結されており、中国の鉄道建設企業である中国中鉄 (China Railway Engineering Corporation) が、プノンペンのBat Doengからベトナムとの国境にあるロクニン (Loc Ninh) までの255 kmの鉄道の設計作業を行っている。ロクニンからはホーチミンまで128 kmの路線建設が提案されている[1]

タイおよびベトナムとの鉄道連結が完成した場合にはベトナムの鉄道、更には中華人民共和国の鉄道タイ王国の鉄道マレーシアの鉄道シンガポールの鉄道とも連絡が取れることとなり、北京上海 - ハノイ - ホーチミン - プノンペン - バンコク - クアラルンプール - シンガポールといった東南アジア縦断鉄道ができる事となる。これには、貨物輸送などさまざまな面で期待がされている。

この他に、トンレサップ湖の北側を通ってシェムリアップを結ぶ路線や、ラオスと連絡する路線なども提案されている[2]

バンブートレイン

カンボジア国鉄の路線では列車本数が極めて少なく、しかもその他の公共交通手段も発達していないことから、地元の住民が竹製の板に金属の台車を組み合わせてエンジンを搭載して自作した「バンブートレイン」と呼ばれるトロッコのような車両が勝手にカンボジア国鉄の線路を利用して走り回っている。ブレーキは手で棒を車輪に押し当てる原始的なものである。運賃を徴収して旅客・貨物輸送を不定期に行っており、バタンバン周辺では観光用にもなっている。プノンペン付近では、バッダング駅からプノンペン国際空港付近の踏切まで最高速度20 km/h程度で90分掛けて走るバンブートレインがおり、「空港連絡トロッコ」とも言うべき存在となっている。バンブートレイン同士が線路上で遭遇した時には、荷物や旅客が少ない方が線路上から車両を取り外して譲る了解があり、また正規の列車が走ってきた時には必ず譲ることになっている。

鉄道リハビリプロジェクトの進展に伴って、こうしたバンブートレインの運行者には補償金が支払われ、道路交通への移転促進策が採られている[1]テンプレート:Main

脚注

テンプレート:脚注ヘルプ テンプレート:Reflist

参考文献

テンプレート:アジアの題材

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  1. 1.0 1.1 1.2 テンプレート:Cite web
  2. テンプレート:Cite web