アビイ・ロード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

テンプレート:Infobox

アビイ・ロード』(Abbey Road)は、イギリスにおいて1969年9月26日に発売された、ビートルズの12作目のオリジナル・アルバムである。(1987年のCD化においてイギリス盤公式オリジナル・アルバムと同等の扱いを受けたアメリカ・キャピトルレコード編集アルバムの『マジカル・ミステリー・ツアー』が2009年9月9日にリリースされたデジタル・リマスター盤において発売日順に従い9作目に順番付けられた。これにより1順番押し出されて現在12作目とされている。しかし、イギリス盤公式オリジナル・アルバムとしては11作目である。)

解説

概要

1969年初頭からのアルバム『ゲット・バック』のためのセッションが失敗に終わった後、バンドの解散が意識される状況で制作されたアルバムである。ポール・マッカートニーは、「昔のように、かつて自分たちがそうしたように」ビートルズのアルバムを制作することをプロデューサージョージ・マーティンに提案、マーティンは、「彼らが以前行った方法」で出来るのであれば、と同意した。[1]

上述の『ゲット・バック』は、本作の完成後、1970年に入ってフィル・スペクターの再プロデュースの下、一部の追加録音やオーケストラのオーヴァー・ダブが行われ、『レット・イット・ビー』として発表された。このような経緯から、本作はビートルズの事実上のラスト・アルバムと呼ばれることも多い。

本作の特色は、B面の大部分を占めるメドレーである。このB面のメドレーについて、ポールとリンゴは「B面のメドレーは僕らの最高傑作のひとつ」と発言しているが、ジョンは「A面は良いけどB面はちょっとね。あれはジャンク(ガラクタ)を集めただけだと思うよ」といささか否定的である。[1]

ローリング・ストーン誌では、「本作のB面のみで、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に匹敵する」と評された。イギリスの「ミュージック・ウィーク」誌では17週連続、アメリカの「ビルボード」誌では11週連続1位を獲得し、1970年度年間ランキング第4位を記録している。「キャッシュボックス」誌でも14週連続第1位獲得し、1970年度年間ランキング第5位を記録している。アメリカだけで1,200万枚以上、全世界では2,900万枚以上のセールスを記録している。EMIレコーディング・スタジオは、このアルバムの大ヒットをきっかけにビートルズに敬意を表して、「アビー・ロード・スタジオ」と改称した。『これが最高!(Critic's Choice Top 200 Albums)』(1979年 クイックフォックス社)の英米編では9位、日本編では2位にランクされ、『ローリングストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』では14位にランクされている。

なお、イギリスでは前作の『イエロー・サブマリン』まで、モノラル盤も発売されていたが、このアルバムからステレオ盤のみの発売となっている。このためアルバムのモノラル盤は存在しない。なお、モノラルと銘打たれたオープンリールも存在するが、これはステレオをそのままモノラルにしただけのものである。

ジャケット写真

概要

ロンドンアビイ・ロード・スタジオ前の横断歩道で撮影されたジャケット写真は、レコード史上有名なものの一つである。エンジニアのジェフ・エメリックは「当初アルバム・タイトルをエメリックが吸っていたタバコの銘柄にちなんで "Everest" にして、ジャケット写真をエヴェレスト山の麓で撮影する予定だった」と語っている[1]。 しかし「ヒマラヤにまでジャケット写真を撮りにいくのはごめんだ。ちょっと外に出てそこで写真を撮り、タイトルを(通りの名前)アビイ・ロードにすれば良いじゃないか」とポールが発案[2] し、1969年8月8日に撮影された。それでも行き当たりばったりではなく一応の打合せはあったようで、ポールによるアイデア・スケッチと簡単なメモが残っている。撮影したのはジョンの友人のカメラマンイアン・マクミランで、警察に依頼して通行止めにしてもらい(背景にパトカーが写っているのはこのため)、30分の間にメンバーが横断歩道を6回往復するところを撮影した中の1枚を採用した。なおフォトセッションの直前に撮影された写真が日本のシングル盤「オー!ダーリン/ヒア・カムズ・ザ・サン」のジャケットに用いられている。

また裏ジャケの写真は"ABBEY ROAD"と表示のある塀を撮影したものだが、その際偶然に青い服の女性が横切ってしまった。これを面白がったメンバーにより、結局裏ジャケとして採用された。

ジャケット写真の背景の歩道に立っているのはアメリカ人観光客のポール・コール(Paul Edmund Cole, 1911年 - 2008年2月13日[3])という人物であり、彼は撮影の数か月後に本アルバムが発売されるまで自分が撮影されていたことに気付いていなかった。なお日本のアナログ盤ジャケットの裏に記された曲順は間違っており「サムシング」と「マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー」の曲順が入れ替わっていた。

観光スポット

ファイル:Cassini team Abbey road.jpg
カッシーニスタッフによるアビーロードのジャケットのパロディ写真(2001年6月)

アビー・ロード・スタジオ前のこの横断歩道は人気の観光スポットとなっており、道路は現在も通常に使用されているにも関わらずジャケット写真のポーズを取る観光客が後を絶たず、昔から観光客の死亡事故や接触事故などが起こっている。

なお、ロンドン地下鉄で行く場合、最寄り駅はジュビリー線セント・ジョンズ・ウッド駅(英: St John's Wood station)である。ドックランズ・ライト・レイルウェイアビー・ロード駅という駅があるが、16kmほど離れた無関係の場所にある。

横断歩道の文化遺産指定

このスタジオ前の横断歩道は世界中から多くのビートルズ・ファンが訪れる場所となり、その文化的背景から景観の保存が検討され、アルバムジャケット撮影から41年後の2010年12月、この横断歩道はイギリス政府により英国の文化的・歴史的遺産の指定を受けた。建物以外が指定されるのは初の事例である[4]

「ポール死亡説」の根拠

『アビイ・ロード』のジャケット写真は、いわゆる「ポール死亡説」の根拠の一つとなった。写真でのポールは1人だけ裸足であり[5]、左利きにもかかわらず右手にタバコを持っている、路上に駐められたフォルクスワーゲン・タイプ1のナンバープレートが「28IF」であるのが、もし(IF)ポールが生きていれば28歳であることを意味している、白いスーツで長髪にひげを蓄えたジョンは「神父」、黒いスーツを着たリンゴは「葬儀屋」、スーツ姿で裸足のポールは「死体」、デニムシャツにジーンズ姿のジョージは「墓堀人」を意味しているという理由からだった。この「28IF」のフォルクスワーゲンは1980年代に行われたサザビーズのオークションで5000ポンドの値段が付き、当時のロックンロールコレクション相場では異例の高価格であった。

パロディ

レッド・ホット・チリ・ペッパーズの『アビイ・ロード E.P.』やサザンオールスターズの『キラーストリート』、ずうとるびの『明日の花嫁さん ビバ・ジャパン'77』など、世界中で最もジャケットがパロディー化される、いわゆるパロジャケが多いジャケット写真としても知られる。ポール・マッカートニーは自身のアルバム『ポール・イズ・ライブ』において、自らパロディーを披露している(このアルバム・タイトルは、ライブ・アルバムである点と、前述の「ポール死亡説」とをかけている)。かぐや姫の曲「アビーロードの街」では、横断歩道をこのジャケット写真になぞらえている。

収録曲

アナログA面

  1. カム・トゥゲザー[6] - Come Together (Lennon - McCartney)
    演奏時間:(4'19")、リード・ヴォーカル:ジョン・レノン
  2. サムシング - Something (Harrison)
    演奏時間:(3'02")、リード・ヴォーカル:ジョージ・ハリスン
  3. マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー - Maxwell's Silver Hammer (Lennon - McCartney)
    演奏時間:(3'27")、リード・ヴォーカル:ポール・マッカートニー
  4. オー!ダーリン - Oh! Darling (Lennon - McCartney)
    演奏時間:(3'27")、リード・ヴォーカル:ポール・マッカートニー
  5. オクトパスズ・ガーデン - Octopus's Garden (Starkey)
    演奏時間:(2'50")、リード・ヴォーカル:リンゴ・スター
  6. アイ・ウォント・ユー - I Want You (She's So Heavy) (Lennon - McCartney)
    演奏時間:(7'47")、リード・ヴォーカル:ジョン・レノン

アナログB面

  1. ヒア・カムズ・ザ・サン - Here Comes the Sun (Harrison)
    演奏時間:(3'05")、リード・ヴォーカル:ジョージ・ハリスン
  2. ビコーズ - Because (Lennon - McCartney)
    演奏時間:(2'45")、リード・ヴォーカル:ジョン・レノン
  3. ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー - You Never Give Me Your Money (Lennon - McCartney)
    演奏時間:(4'02")、リード・ヴォーカル:ポール・マッカートニー
  4. サン・キング - Sun King (Lennon - McCartney)
    演奏時間:(2'26")、リード・ヴォーカル:ジョン・レノン
  5. ミーン・ミスター・マスタード - Mean Mr. Mustard (Lennon - McCartney)
    演奏時間:(1'06")、リード・ヴォーカル:ジョン・レノン
  6. ポリシーン・パン - Polythene Pam (Lennon - McCartney)
    演奏時間:(1'12")、リード・ヴォーカル:ジョン・レノン
  7. シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー - She Came in Through the Bathroom Window (Lennon - McCartney)
    演奏時間:(1'58")、リード・ヴォーカル:ポール・マッカートニー
  8. ゴールデン・スランバーズ - Golden Slumbers (Lennon - McCartney)
    演奏時間:(1'31")、リード・ヴォーカル:ポール・マッカートニー
  9. キャリー・ザット・ウェイト - Carry That Weight (Lennon - McCartney)
    演奏時間:(1'36")、リード・ヴォーカル:ポール・マッカートニー
  10. ジ・エンド - The End (Lennon - McCartney)
    演奏時間:(2'21")、リード・ヴォーカル:ポール・マッカートニー
  11. ハー・マジェスティー[7] - Her Majesty (Lennon - McCartney)
    演奏時間:(0'25")、リード・ヴォーカル:ポール・マッカートニー

各国での発売形態

日付 レーベル 発売形態 カタログ番号
イギリス 1969年9月26日 Apple Records/EMI LP PCS 7088
アメリカ 1969年10月1日 Apple, Capitol Records LP SO-383
日本 1969年10月21日 東芝音楽工業(現:EMIミュージック・ジャパン)/Apple LP AP-8815
Worldwide reissue 1987年10月10日 Apple, Parlophone, EMI CD CDP 7 46446 2
日本 1987年10月19日 EMI/ODEON RECORDS/Apple/東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン) CD CP32-5332
日本 2004年1月21日 Parlophone/Apple/東芝EMI(現:EMIミュージック・ジャパン) Remastered LP TOJP-60142
  • ただし、日本で1983年5月21日にCDが発売されたことがあるが(CP35-3016)、EMIからのクレームで発売中止になった。このCDが事実上世界初のビートルズのCDである。

関連文献

脚注

テンプレート:Reflist

外部リンク

テンプレート:Sister

テンプレート:ビートルズのアルバムテンプレート:Link GA

テンプレート:Link GA
  1. 1.0 1.1 1.2 ジョニー・ディーン編『ザ・ベスト・オブ・ザ・ビートルズ・ブック 日本語翻訳版』平林祥・新井崇嗣・上西園誠訳、2005年、リットーミュージック、228-231ページ。 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "beatlesbook"が異なる内容で複数回定義されています
  2. 『The Beatles アンソロジー』、2000年 リットーミュージック、337ページ。しかし、エメリックよると、アビイ・ロード外の写真撮影およびアルバム名の発案者はリンゴだ、と語っている。
  3. テンプレート:Cite web
  4. ビートルズ「アビーロード」の横断歩道、文化・歴史遺産に指定=英 - 2010年12月23日、時事ドットコム。
  5. ポールによれば、これは思いつきでやったとのこと。
  6. アメリカで発売されたカセットテープでは「カム・トゥゲザー」と「ヒア・カムズ・ザ・サン」が入れ替えられたヴァージョンが存在したが、その後発売された全てのヴァージョン(CDを含む)はオリジナルの曲順に修正されている。
  7. 当初B面の11曲目である「ハー・マジェスティー」はジャケットにクレジットされていなかった。詳細は「ハー・マジェスティー」を参照のこと。