さんふらわあ

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船体側面に描かれている絵(さんふらわあ きりしま)

さんふらわあは、日本フェリーの船名である。白い船体の側面に地平線から昇る太陽の絵が描かれているのが大きな特徴となっている。

現在、「さんふらわあ」は商船三井フェリー登録商標[1]となっており、同社と関連会社のフェリーさんふらわあ(旧ダイヤモンドフェリーおよび旧関西汽船を吸収合併)が使用している。

歴史

さんふらわあ5姉妹

照国郵船(現 マリックスライン)の子会社で、1970年に設立された日本高速フェリーが、1972年に川崎重工業神戸工場にて第1船「さんふらわあ」を建造し、名古屋 - 高知 - 鹿児島航路に就航させたのが始まりである。それまでの国内フェリーとは一線を画す豪華な内装や、レストランシアター、プールなどの施設を持ち、当時クルーズ客船を持たなかった日本において一世を風靡した。続く第2船は「さんらいず」の名で建造され進水したが、第1船の反響の大きさにより急遽「さんふらわあ2」に改名された。

1973年には内装をさらに豪華にした「さんふらわあ5」「さんふらわあ8」が、東京 - 那智勝浦 - 高知航路に就航。1974年には直列2本煙突、収納式アンカーなど豪華客船風の外観を持つ「さんふらわあ11」が、大阪 - 鹿児島航路に就航した。のちにこの5隻は「さんふらわあ5姉妹」と呼ばれるようになる。就航当初は、ファンネル(煙突)に照国グループのシンボルともいえる「中川マーク」が描かれていた。

各船では毎晩、レストランシアターでトロピカルショーなどのイベントが行われ、九州へ旅行へ向かう家族連れなどの人気の的となったが、会社の経営はうまくはいかなかった。建造中に日本を襲ったオイルショックにより燃料費が高騰、多量の燃料を使うフェリーにとっては致命傷になったうえ、その後の不況によりトラック輸送をはじめレジャー客も大きく落ち込んだ。また、需要の伸びを過大視してわずか3年間に旅客定員1,000名を超える豪華船を5隻も建造して就航させたことによる過大な建造費(さんふらわあ11の建造費は60億円と言われるが、さんふらわあ就航以前までは日本最大のフェリーだった「すずらん丸」(9,053総トン、新日本海フェリー)の建造費が約17億3,000万円であることからも、その建造費の巨額さがうかがえる)の金利や償却費負担がふくらんで採算が合わなくなったほか、1975年には親会社の照国郵船が多額の負債を抱えて倒産、設立わずか5年で子会社の日本高速フェリーの経営も大きく傾いた。

さんふらわあ11」の竣工で5姉妹船がすべて出揃い、照国グループ総帥の中川喜次郎が目指した「国際級の豪華船への夢」が実現したかに見えたが、これとは裏腹に1972年に就航した名古屋 - 高知 - 鹿児島航路は利用客が低迷し、「さんふらわあ11」が竣工した9月には、早くも1番船「さんふらわあ」を運航から外して減便し来島どっくに係船。これを売りに出すことになった。

沿革

  • 1969年6月 - 照国グループ総師の中川喜次郎が、川崎重工業に「国際級の豪華船」の設計を打診する。
  • 1970年5月 - 照国郵船を母体に、日本高速フェリー(資本金3億円)を設立。
  • 1971年1月26日 - さんふらわあ型1番船「さんふらわあ」が、川崎重工業神戸工場にて起工。
  • 1972年1月18日 - 「さんふらわあ」竣工。
  • 1972年2月1日 - 「さんふらわあ」名古屋 - 高知 - 鹿児島航路に就航。
  • 1972年5月17日 - 2番船「さんふらわあ2」川崎重工業神戸工場で竣工。
「さんふらわあ」と同型であり、外観もほとんど変わらない。同船は進水時の船名は「さんらいず」であったが改名され、3番船以降も「“さんふらわあ”+数字」の名が使われることになった。
  • 1972年5月28日 - 「さんふらわあ2」名古屋 - 高知 - 鹿児島航路に就航し、同航路は3日に2便の運航となる。
  • 1973年3月3日 - 3番船「さんふらわあ5来島どっく大西工場で竣工。
  • 1973年3月21日 - 「さんふらわあ5」東京 - 高知航路に就航。
  • 1973年6月25日 - 4番船「さんふらわあ8」来島どっく大西工場で竣工。
  • 1973年10月 - 第1次石油ショックが勃発。
  • 1974年7月4日 - 「さんふらわあ8」東京 - 高知航路に就航。デイリー運航になるとともに、翌5日から那智勝浦寄港を開始。
  • 1974年9月9日 - 5番船「さんふらわあ11」来島どっく大西工場で竣工。
  • 1974年10月1日 - 「さんふらわあ11」大阪 - 鹿児島航路に就航。2日に1便の運航。
  • 1975年9月2日 - 日本高速フェリーの親会社である照国海運が、海運不況による経営の行き詰まりから430億円の負債を抱えて倒産。
日本高速フェリーは創業以来一度も黒字になることはなく、わずか5年間で累積赤字は95億円に達した(この時点での資本金は36億円だったので、その3倍近くの欠損金を出していたことになる)。
  • 1975年9月30日 - 大阪 - 鹿児島航路に就航している「さんふらわあ11」を70億円で来島どっくに売却し、チャーターバックして航路の維持を図る。
  • 1976年5月 - 日本高速フェリーの主要株主の来島どっくが支援に乗り出し、来島グループの傘下になる。「さんふらわあ」を係船し、3航路に1隻ずつを就航する縮小体制。
  • 1976年10月 - 「さんふらわあ2」も係船。東京 - 那智勝浦 - 高知航路に「さんふらわあ8」、名古屋 - 高知 - 鹿児島航路に「さんふらわあ5」、大阪 - 鹿児島航路に「さんふらわあ11」を配船。
  • 1976年11月15日 - 「さんふらわあ」「さんふらわあ2」が、商船三井系の海運会社である大洋フェリーに64億円で売却(これに伴う大洋フェリーの債務は商船三井が保証)。
  • 1977年2月1日 - 大阪 - 鹿児島航路、志布志寄港を開始。
  • 1977年3月1日 - 大洋フェリーに移籍した「さんふらわあ」「さんふらわあ2」が、大阪 - 苅田航路に就航。船首部分にバウマークとして、それまで運航していた「おりおん」「ぺがさす」の船体に描かれていた「流れ星」が追加された。
  • 1978年3月31日 - 名古屋 - 高知 - 鹿児島航路の運航を休止。「さんふらわあ5」を係船。
  • 1978年10月 - 第2次石油ショックが勃発。
  • 1979年4月2日 - 休止中だった名古屋 - 高知 - 鹿児島航路を廃止。
  • 1979年6月 - 大洋フェリーの「さんふらわあ」「さんふらわあ2」に、旅客設備のグレードアップを主眼とする改装工事を実施。
船尾両舷にあったランプウェイの撤去のほか、屋外プールの屋内温水プール化、上部に展望台を兼ねたレストラン・シアターを増設など(この改装工事で、総トン数は「さんふらわあ」が12,130総トンに、「さんふらわあ2」が12,105総トンに増加)。
  • 1981年8月7日 - 係船中だった「さんふらわあ5」が大阪 - 志布志 - 鹿児島航路に就航、「さんふらわあ11」との2隻でデイリー運航を開始。
  • 1981年9月 - 「さんふらわあ11」に内装を中心とした改装工事を実施。13,575総トンに。
  • 1981年12月 - 「さんふらわあ5」に内装を中心とした改装工事を実施。13,322総トンに。
  • 1982年7月 - 「さんふらわあ8」に内装を中心とした改装工事を実施。12,771総トンに。
3隻の改装工事は、いずれも来島どっくで行われた。
  • 1984年2月 - 日本高速フェリーが36億円の資本金を98%減資し、7,200万円に。「さんふらわあ5」「さんふらわあ8」の2隻を来島どっくに売却し、チャーターバックして運航。
  • 1984年11月 - 大洋フェリーが名門カーフェリーと合併し、名門大洋フェリーを設立。大洋フェリーが所有していた「さんふらわあ」「さんふらわあ2」を、関西汽船の「フェリーこがね丸」「フェリーにしき丸」と交換。
関西汽船は両船を来島どっくに売却し、5隻すべてが来島どっくの所有となった。
  • 1984年12月2日 - 関西汽船が「さんふらわあ」「さんふらわあ2」をチャーターし、大阪神戸 - 別府航路に就航。
  • 1986年6月 - 大阪 - 志布志 - 鹿児島航路のうち、志布志 - 鹿児島間を繁忙期のみの運航に変更。
  • 1986年 - 来島どっくの経営危機が表面化。関西汽船の経営からの撤退を表明。
  • 1990年1月 - 日本沿海フェリーが、日本高速フェリーから東京 - 那智勝浦 - 高知航路の営業権を買収。「さんふらわあ8」移籍。
  • 1990年7月 - 大阪商船三井船舶が関西汽船に資本参加し、傘下に収める。
  • 1990年11月 - 日本沿海フェリーが、日本高速フェリーから大阪 - 志布志 - 鹿児島航路の営業権を買収。「さんふらわあ5」「さんふらわあ11」移籍。
これにより、さんふらわあ5姉妹はすべて商船三井グループの所有となった。

商船三井グループへ

日本高速フェリーは日本沿海フェリーに航路を譲渡(後、日本高速フェリーは1990年3月8日会社解散)し、同時に日本沿海フェリーは社名を「ブルーハイウェイライン」に変更した。この時に、保有船舶の船名を「さんふらわあ+地名」に変更するとともに、苫小牧航路の船舶については、船体を“さんふらわあ塗装”に塗り替えた。

その後、大阪 - 志布志航路をブルーハイウェイライン西日本を設立のうえ分社[2]し、2000年4月より運航を開始した。また、大洗 - 苫小牧航路については、商船三井フェリーを設立して移管した。

近年の状況は、かつて九越フェリーに投入されていたレストランも上等船室もない「合理化フェリー」である「ニューれいんぼうべる」「ニューれいんぼうらぶ」が「さんふらわあだいせつ」「さんふらわあしれとこ」に改名して大洗航路に投入されるなど、かつての「豪華なフェリー」のイメージからはかけ離れた船舶も存在している。現在の「さんふらわあ」は、単に「商船三井グループのフェリーの名称」と考えたほうが良い。

沿革

  • 1999年12月 - ブルーハイウェイライン西日本を設立。
  • 2000年4月 - 大阪 - 志布志航路をブルーハイウェイライン西日本に移管。
  • 2001年3月 - 商船三井フェリーを設立。
  • 2001年7月1日 - 大洗 - 苫小牧航路を商船三井フェリーに移管。
  • 2001年10月1日 - 東京 - 那智勝浦 - 高知航路廃止。後にブルーハイウェイラインは解散。
  • 2007年7月1日 - ブルーハイウェイライン西日本が、ダイヤモンドフェリーと合併。
  • 2011年10月1日 - ダイヤモンドフェリーと関西汽船が両社を保有する「フェリーさんふらわあ(2009年設立)」に吸収合併。

就航中のさんふらわあ

商船三井フェリー

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「さんふらわあ さっぽろ」 - 大洗港
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「さんふらわあ だいせつ」 - 東京港
大洗 - 苫小牧航路
  • さんふらわあ ふらの
1993年7月竣工、同年11月就航。13,539総トン、全長192m、幅27m、出力35,600馬力、航海速力24ノット(最大26.2ノット)。
旅客定員705名。車両積載数:トラック180台・乗用車100台。三菱重工業下関造船所建造。
元・東日本フェリー「へすていあ」。2007年1月に船名変更。夕方便に就航中。
  • さんふらわあ さっぽろ(2代目)
1998年8月竣工、同年11月就航。13,654総トン、全長192m、幅27m、出力35,600馬力、航海速力24ノット(最大26.2ノット)。
旅客定員632名。車両積載数:トラック180台・乗用車100台。三菱重工業下関造船所建造。商船三井が所有。
元・東日本フェリー「ばるな」(3代目)。2002年6月より商船三井フェリーによる運航となり、2005年1月に船名変更。夕方便に就航中。
  • さんふらわあ だいせつ
2001年6月竣工、同年7月就航。11,401総トン、全長190m、幅26.4m、出力39,600馬力、航海速力24.9ノット(最大28.0ノット)。
旅客定員154名。車両積載数:トラック160台・乗用車62台。三菱重工業下関造船所建造。東洋汽船が所有し、商船三井フェリーが裸用船
元・東日本フェリー「ニューれいんぼうらぶ」。室蘭-直江津-博多航路に就航していたが、2006年12月の同航路運休に伴い転配し、2007年1月より就航した。2007年3月に船名変更。深夜便に就航中。
  • さんふらわあ しれとこ
2001年9月竣工、同年10月就航。11,401総トン、全長190m、幅26.4m、出力39,600馬力、航海速力24.9ノット(最大28.0ノット)。
旅客定員154名。車両積載数:トラック160台・乗用車62台。三菱重工業下関造船所建造。商船三井フェリーおよび鉄道建設・運輸施設整備支援機構が所有。
元・東日本フェリー「ニューれいんぼうべる」。室蘭-直江津-博多航路に就航していたが、2006年12月の同航路運休に伴い転配し、2007年1月より就航した。2007年3月に船名変更。深夜便に就航中。
くろしおライン(東京 - 宇野港岩国港徳山港博多港
  • さんふらわあ はかた - 2003年11月就航。
貨物フェリー(RO-RO船日本海運と共同運航)。東京-博多航路に就航中。船体の側面には、さんふらわあ(太陽のマーク)の模様が描かれていない。
  • さんふらわあ とうきょう - 2003年12月就航
貨物フェリー(RO-RO船、日本海運と共同運航)。東京-博多航路に就航中。船体の側面には、さんふらわあ(太陽のマーク)の模様が描かれていない。

フェリーさんふらわあ

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「さんふらわあ ごーるど」(ダイヤモンドフェリー時代) - 大阪南港
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「さんふらわあ きりしま」 - 大阪南港
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「さんふらわあ あいぼり」(関西汽船時代) - 別府国際観光港
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「さんふらわあ こばると」(関西汽船時代) - 神戸港ポートターミナル
中九州航路(神戸 - 大分、旧 ダイヤモンドフェリー)
  • さんふらわあ ごーるど
2007年11月21日就航。11,380総トン。全長165.5m、幅27.0m、出力24,480馬力、航海速力23.2ノット。
旅客定員780名。車両積載数:トラック147台・乗用車75台。三菱重工業下関造船所建造。
  • さんふらわあ ぱーる
2008年1月16日就航。11,380総トン。全長165.5m、幅27.0m、出力24,480馬力、航海速力23.2ノット。
旅客定員780名。車両積載数:トラック147台・乗用車75台。三菱重工業下関造船所建造。
南九州航路(大阪 - 志布志、旧 ダイヤモンドフェリー)
  • さんふらわあ さつま(2代目)
1993年3月15日竣工、同月24日就航、1997年改造。12,415総トン、全長186m、幅25.5m、出力34,200馬力、航海速力23.3ノット(最大25.7ノット)。
旅客定員782名。車両積載数:トラック175台・乗用車140台。三菱重工業下関造船所建造。
船籍港は以前は東京だったが、現在は大阪に変更されている。2008年1月のドック入りの際、ファンネルマークが「Dマーク」に変更されたが、現在はさんふらわあオレンジ(船体側面のサンマークにおけるフレア部分の色)に塗装され、Dマークは姿を消した。
  • さんふらわあ きりしま
1993年8月26日就航、1997年改造。12,418総トン、全長186m、幅25.5m、出力34,200馬力、航海速力23.5ノット(最大25.5ノット)。
旅客定員782名。車両積載数:トラック175台・乗用車140台。三菱重工業下関造船所建造。
船籍港は以前は東京だったが、後に大阪に変更されている。
中九州航路(大阪 - 別府、旧 関西汽船)
  • さんふらわあ あいぼり
1997年3月竣工、同年12月6日就航。9,245総トン、全長153.0m、幅25.0m、出力27,000馬力、航海速力22.4ノット(最大24.8ノット)。
旅客定員710名(平水1,050名)。車両搭載数:トラック100台・乗用車100台。三菱重工業下関造船所建造。
かつて運航されていた小豆島季節便にも就航していた。
  • さんふらわあ こばると
1997年6月竣工、1998年4月8日就航。9,245総トン、全長153.0m、幅25.0m、出力27,000馬力、航海速力22.4ノット(最大24.2ノット)。
旅客定員710名(平水1,050名)。車両搭載数:トラック100台・乗用車100台。三菱重工業下関造船所建造。
かつて運航されていた小豆島季節便にも就航していた。

引退したさんふらわあ

さんふらわあ5姉妹
  • さんふらわあ(日本高速フェリー→大洋フェリー→関西汽船)
11,312総トン、全長185.0m、幅24.0m、深さ15.6m、満載喫水6.4m、主機川崎MAN V6V40/54型中速ディーゼル4基、2軸、連続最大出力26,080馬力、試運転最大速力25.5ノット、車両積載数10トントラック84台、乗用車208台、旅客定員1,124名、乗組員定員87名。
川崎重工業神戸工場建造(建造費:約36億円)
1972年2月より名古屋 - 高知 - 鹿児島航路に就航したが、1974年9月来島どっくに係船され、1976年11月大洋フェリーに売却。1977年3月より大阪 - 苅田航路に就航。1979年6月常石造船で改装工事を実施。1984年11月来島どっくに売却され、12月より関西汽船に移籍し阪神 - 別府航路に就航。1998年4月「さんふらわあ こばると」就航に伴い引退。さんふらわあ5姉妹の中では最後まで国内で運航された。引退後は2000年に韓国へ売却、さらに2005年には北朝鮮に売却されたが、いずれも船舶として使われたかどうかは不明。
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「さんふらわあ2」 - 別府国際観光港
  • さんふらわあ2(日本高速フェリー→大洋フェリー→関西汽船)
12,112総トン、全長185.0m、幅24.0m、過給機付4サイクル6気筒ディーゼル(6520PS,400rpm)×4基 = 19181kW(26080PS)
川崎重工業神戸工場建造(建造費:36億円)
1972年1月進水(進水時さんらいず)。1972年5月より名古屋 - 高知 - 鹿児島航路に就航したが、1976年10月に係船となり、11月大洋フェリーに売却。1977年3月より大阪 - 苅田航路に就航。1979年6月来島どっくで改装工事を実施。1984年11月来島どっくに売却され、12月より関西汽船に移籍し阪神 - 別府航路に就航。1997年12月「さんふらわあ あいぼり」就航に伴い引退。1994年から引退までの間、海水を広範囲にわたって継続的に汲み上げモニタリングを行う、国立環境研究所の定期航路船舶を用いた海洋調査が同船を使用して行われていた。当初はさんふらわあ(初代)を先に引退させ、さんふらわあ2を最後に引退させる予定だったが、間際に台風による欠航により運航パターンが変わり、先に引退する事となった。引退後はフィリピンに売船された。
  • さんふらわあ5さんふらわあ おおさか(日本高速フェリー→ブルーハイウェイライン)
12,711総トン、全長185.0m、幅24.0m、最大速力25.5ノット、車両積載数10トラック84台、乗用車81台、旅客定員1,079名。
来島どっく建造(建造費:47億円)
1973年3月3日竣工。基本的には1、2番船と同じであるが、総トン数が増加したため操舵室が一段高くなっている。客室関係では、1等船室をバス・トイレ付きにするとともに、ラウンジをインサイドルームにしアウトサイドを客室に充てるなど設備のグレードアップが図られた。1973年3月21日より東京 - 高知航路に就航(那智勝浦港への寄港は7月5日より)、1976年10月より名古屋 - 高知 - 鹿児島航路に転配。1978年4月名古屋 - 高知 - 鹿児島航路の休止に伴い係船となった後、1981年5月大阪 - 志布志 - 鹿児島航路に転配。1984年2月来島どっくに売却してチャーターバック。1990年11月日本高速フェリーの解散に伴いブルーハイウェイラインに移籍し「さんふらわあ おおさか」に船名変更。1993年8月「さんふらわあ きりしま」就航に伴い引退。日本国外へ売却され、SuperFerry(フィリピン)の「SUPER FERRY 10」として運航されていたが、2001年に火災事故を起こし解体された模様である。
  • さんふらわあ8さんふらわあ とさ(日本高速フェリー→日本沿海フェリー・のちにブルーハイウェイラインに社名変更)
12,759総トン、全長185.0m、幅24.0m
来島どっく建造(建造費:47億円)
1973年7月4日より東京 - 那智勝浦 - 高知航路に就航。1984年2月来島どっくに売却してチャーターバック。1990年11月日本高速フェリーの解散に伴いブルーハイウェイラインに移籍し、「さんふらわあ とさ」に船名変更。1997年7月「さんふらわあ くろしお」就航に伴い引退。日本国外へ売却され、Sulpicio Lines(フィリピン) の「PRINCESS OF NEW UNITY」として運航。
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「さんふらわあ11」 - 志布志港
  • さんふらわあ11さんふらわあ さつま(初代)(日本高速フェリー→ブルーハイウェイライン)
13,599総トン、全長195.8m、主機出力36,000馬力、最高速力26.9ノット、車両搭載数8トントラック84台、乗用車191台、旅客定員1,218名。
来島どっく建造(建造費:60億円)
1974年9月9日竣工。当時、日本でもっとも豪華なフェリーとして建造され、建造費は60億円にものぼった。外観もこれまでの1番船から4番船とは大きく異なり、豪華客船を思わせる直列2本煙突が大きな特徴となっている。1974年10月1日大阪 - 鹿児島航路に就航。1975年9月来島どっくに売却しチャーターバック。1977年2月より志布志寄港を開始。1990年11月日本高速フェリーの解散に伴いブルーハイウェイラインに移籍し「さんふらわあ さつま」(初代)に船名変更。しかし、他の4艘と大幅に違う構造による使い勝手の悪さなどからオリジナルのさんふらわあ5姉妹の中で最も早く1993年3月「さんふらわあ さつま」(2代目)就航に伴い引退。日本国外へ売却され、Sulpicio Lines(フィリピン)の「PRINCESS OF THE ORIENT」としてマニラ-セブ島を結んでいたが、1998年9月19日、台風7号の嵐の中を航行中に沈没し、死者51名、行方不明者216名を出す惨事となった。直接の沈没原因は荷崩れであったが、フィリピンでの大幅なデッキ増設工事により船体が不安定になっていたとも云われる。
その他のさんふらわあ
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「さんふらわあ7」
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「さんふらわあ こがね」 - 大阪南港
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「さんふらわあ にしき」 - 大阪南港
  • さんふらわあ7(関西汽船)
7,494総トン、全長124.9m、幅17m。
1973年6月に奄美・沖縄航路用の貨客船「若潮丸」(5,489GT 全長115m)として就航。1978年3月「フェリーくろしお」の就航に伴い一時係船されたが、1979年6月にクルーズ客船に改造され「さんふらわあ7」となる。関西汽船初のさんふらわあ塗装の客船で、日本国内はもとより世界各地を航海し、1992年に引退。日本国外へ売却され、Epirotiki Line(ギリシャ)の「APOLLON」(1992 - 1995)→Minoan Line(ギリシャ)の「MINOAN PRINCE」(初代)(1995年 - 2002年)→Golden Prince(ギリシャ)の「GOLDEN PRINCE」(2002年 - )として運航。
  • さんふらわあ さっぽろ(初代)(旧 日本沿海フェリー→ブルーハイウェイラインに社名変更)
11,098総トン、全長164m。
1974年8月就航(元・日本沿海フェリー「さっぽろ丸」)、1998年1月引退。日本国外へ売却され、Blue Star Ferries(ギリシャ)の「Blue Sky」として運航。
  • さんふらわあ くろしお(ブルーハイウェイライン)
9,723総トン、全長160m、幅25m、出力27,000馬力、航海速力22.7ノット。
旅客定員530名。車両積載数:トラック150台・乗用車70台。三菱重工業下関造船所建造。
1997年7月に就航するも、2001年9月航路廃止に。2001年10月から12月までスターダイヤモンドの機関故障に伴う代替船としてダイヤモンドフェリーの神戸 - 別府航路に就航したのち日本国外へ売却され、2002年4月よりパンスターフェリー(韓国)の「PANSTER DREAM」(パンスタードリーム、韓国船籍)として運航。
  • さんふらわあ えりも(旧 日本沿海フェリー→ブルーハイウェイラインに社名変更) ※斜字は「しゃとる よこすか」(シャトル・ハイウェイライン)時代のデータ。
11,272総トン、全長178m、幅25m、出力29,700馬力、航海速力23.75ノット(最大25ノット)
旅客定員634名。車両積載数:トラック175台・乗用車105台。石川島播磨重工東京工場建造。
1989年3月竣工。元・日本沿岸フェリー「えりも丸」(2代目)。「COSMO 5」に改名後、2004年4月よりシャトル・ハイウェイラインの「しゃとる よこすか」として運航していたが、2007年9月に同社が自己破産を申請したため運航停止に。
  • さんふらわあ おおあらい(旧 日本沿海フェリー→ブルーハイウェイラインに社名変更) ※斜字は「しゃとる おおいた」(シャトル・ハイウェイライン)時代のデータ。
15,139総トン、全長178m、全幅24.8m、出力28,800馬力、航海速力22.9ノット(最大24.2ノット)。
旅客定員285名。車両積載数:トラック175台・乗用車104台。林兼造船(下関)建造。
1987年6月竣工。元・日本沿岸フェリー「おおあらい丸」。「COSMO 3」に改名後、2004年4月よりシャトル・ハイウェイラインの「しゃとる おおいた」として運航していたが、2007年9月に同社が自己破産を申請したため運航停止に。
  • さんふらわあ みと(ブルーハイウェイライン→商船三井フェリー)
11,782総トン、全長186m、幅25.50m、出力34,200馬力、航海速力24.67ノット。
旅客定員514名。車両積載数:トラック175台・乗用車140台。三菱重工業下関造船所建造。
1993年12月就航、2006年12月引退。日本国外へ売却され、2007年4月よりパンスターフェリー(韓国)の「PANSTER SUNNY」(パンスターサニー、パナマ船籍)として運航。
  • さんふらわあ つくば (ブルーハイウェイライン→商船三井フェリー)
12,325総トン、全長192m、幅27m、出力34,200馬力、航海速力23ノット(最大26.3ノット)。
旅客定員342名。車両積載数:トラック216台(8.5m車換算)・乗用車111台。三菱重工業下関造船所建造。
1998年1月就航、2006年12月引退。東洋汽船に譲渡後「フェリーつくば」に改名されたが日本国外へ売却され、現在はANEK LINE(ギリシャ)の「ELYROS」として運航中。
  • さんふらわあ とまこまい(ブルーハイウェイライン→商船三井フェリー)
12,520総トン、全長199m、幅24.50m、出力64,800馬力、航海速力30ノット(最大31.1ノット)。
旅客定員12名。車両積載数:トラック165台・乗用車46台。三菱重工業下関造船所建造。商船三井および鉄道建設・運輸施設整備支援機構が保有していた。
1999年8月就航、2007年3月引退。貨物フェリー。川崎近海汽船ほっかいどう丸とは同型船。
  • さんふらわあ こがね
1992年8月3日就航、2003年改造、2010年2月引退。9,710総トン、全長150.9m、幅25.0m、出力25,200馬力、航海速力22.1ノット(最大24.7ノット)。
旅客定員942名、乗組員36名。車両積載数:トラック100台・乗用車60台。カナサシ豊橋工場建造。
2007年11月21日よりダイヤモンドフェリー運航便に就航(関西汽船のさんふらわあ にしきと交互に就航)。関西汽船所有の船舶だったが、2008年2月1日にドック入りし、この日をもってダイヤモンドフェリー船籍となる。ファンネルマークを「Dマーク」に変更のうえ、同年2月7日よりダイヤモンドフェリー運航船として、寄港便に就航していた。
  • さんふらわあ にしき
1992年12月19日就航、2003年改造、2010年2月引退。9,800総トン、全長150.9m、幅25.0m、出力25,200馬力、航海速力22.1ノット(最大24.5ノット)。
旅客定員859名、乗組員36名。車両搭載数トラック100台・乗用車60台。カナサシ豊橋工場建造。関西汽船および鉄道建設・運輸施設整備支援機構が保有していた。

さんふらわあにまつわる歌

  • 『さんふらわあの歌』 - 歌:ダークダックス、作詞:サトウハチロー、作曲:中田喜直、編曲:藤家虹二
  • 『恋のさんふらわあに乗って』 - 歌:安倍律子、合唱:サカモト・プリティーズ、作詞:白鳥朝詠、作曲:小室等 編曲:小町昭
    • さんふらわあ就航記念 NCS-357 EP盤 非売品 1972年
  • 『憧れのSUNFLOWER』
  • 『さんふらわあの唄』(『サンフラワーのうた』) - 作詞:増永直子、作曲:渋谷毅
    • 日本高速フェリー、関西汽船時代 - 歌:若子内悦郎
    • ブルーハイウェイライン時代 - 歌:コーヒーブレイク、編曲:服部克久
      • CD「さんふらわあ 海からの贈りもの」 - 制作・販売:ブルーハイウェイライン、製造:東芝EMI PCDZ-1453 1996年2月発売
      • CD「さんふらわあ 海の詩」 - PCDZ-1516 1997年発売

さんふらわあが登場した主な作品

知名度の高さから、様々な映画やテレビ番組に登場している。

「さんふらわあ」名古屋→高知→鹿児島便が舞台。(旧 日本高速フェリー時代)
(旧 日本高速フェリー時代、四国航路)
第18話・第19話で「さんふらわあ5」や那智勝浦港が登場。1974年7月30日、8月6日放送(旧 日本高速フェリー時代、四国航路)
当時の親会社である照国郵船(現 マリックスライン)のクイーンコーラル(初代)と共に撮影で使用されている。(旧 日本高速フェリー時代)
(旧 日本高速フェリー時代、四国航路)
第123話『豪華フェリージャック・恐怖の20時間!』 - 「さんふらわあ8」が舞台。1979年8月8日放送(旧 日本高速フェリー時代、四国航路)
菅原文太演ずる星桃次郎(主人公)と、石川さゆり演ずる小野川結花(マドンナ)が、さんふらわあ船上で出会う。(旧 日本高速フェリー時代、四国航路)
第556話『南国土佐、黒の推理』 ボギー(世良公則)とマミー(長谷直美)が高知へ向かう際に乗船。1983年5月13日放送(旧 日本高速フェリー時代、四国航路)
ラストシーンで武田鉄矢演じる片山刑事が転勤のため高知市を去る際の撮影で使用されている。(旧 日本高速フェリー時代、四国航路)
初期OVA第6話「二課の一番長い日(後編)」(1988年)に、「苫小牧発仙台経由東京行きフェリー」として、さんふらわあをモデルとした日本沿海フェリー所属の「さふらわあ8」が登場する。
テレビ第41話で登場(旧 ブルーハイウェイライン時代、当時苫小牧航路で就航していた「さんふらわあえりも」)。
テレビ第42話で登場(商船三井フェリー、苫小牧航路。当時就航していた「さんふらわあ みと」の船内で撮影)。
『夏樹静子サスペンス 黒い帽子の女』 - 「さんふらわあ あいぼり」が登場。2007年7月27日放送(関西汽船、阪神 - 松山 - 別府航路が舞台)
第9話Aパートに登場。隣町に買い出しに行ったマリと萩乃が乗る電車の車窓から見える。2007年11月放送(関西汽船「さんふらわあ にしき」 大分発大阪行きの寄港便)。
第4話に登場。北海道に飛んだドロンボー一味を追っかけるためヤッターマンが乗船する。2008年2月4日放送(大洗 - 苫小牧航路)。
第42話に登場。航行中の商船三井フェリー「さんふらわあ だいせつ」の甲板デッキ上での格闘戦もあった。2010年7月11日放送。
依頼内容 - “さんふらわあ”の船首になりたい! 探偵:竹山隆範、2010年7月23日放送。

参考文献

  • にっぽん全国たのしい船旅2007-2008 - イカロス出版 イカロスMOOK(2007年8月発行)ISBN 9784871499736
    • 『さんふらわあ現役船隊』徳光康・著(p.14-p.15)
    • 『さんふらわあ誕生ものがたり』名和伸晃・著(p.24-p.29)
  • 日本船舶明細書I 2008年版 - 社団法人 日本海運集会所(2007年12月30日発行)

脚注

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外部リンク

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  • 登録商標 日本第3001824号。
  • ブルーハイウェイライン西日本は、2007年7月1日にダイヤモンドフェリーと合併した。大阪 - 志布志航路は「南九州航路」として運航を行っているが、「中九州航路」(神戸 - 大分、関西汽船と共同運航)とは運賃制度や割引制度が異なるほか、予約業務も別となっている。