東日本急行
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テンプレート:Infobox 東日本急行株式会社(ひがしにっぽんきゅうこう)は宮城県仙台市に本社を置くバス会社である。
沿革
- 1968年(昭和43年)
- 1975年(昭和50年)9月27日 - 一般貸切旅客自動車運輸事業開始。
- 1976年(昭和51年)4月1日 - 仙台盛岡急行線の内、東日本急行便は中尊寺 - 盛岡バスセンター間の運行から撤退、仙台 - 一ノ関・中尊寺間に短縮。仙台 - 盛岡間直通便は国鉄バス単独運行となる。同時に盛岡バスセンター内にあった盛岡営業所廃止[1]。
- 1984年(昭和59年)頃 - 本社営業所を仙台市宮町[2](北六番丁小学校西隣)から仙台市鶴代町[3](若林区。東部工場団地)へ移転。
- 1985年(昭和60年)1月15日 - 仙台 - 一ノ関・平泉線運行開始(泉IC〜築館IC間東北道走行)。
- 1989年(平成元年)9月21日 - JRバス東北、宮城交通、岩手県交通と共同でアーバン号(仙台 - 盛岡線)運行開始。仙台 - 盛岡線に再参入。
- 199x年 - 本社営業所を仙台市泉区野村(現在地)に移転。
- 1999年(平成11年)4月1日 - JRバス東北の古川本線(築館町駅 - 一ノ関駅)廃止に合わせ、仙台 - 一ノ関・中尊寺線の運行区間を仙台 - 沢辺(宮城県金成町(当時))に短縮。また、仙台 - 一ノ関線(仙台宮城IC〜一関IC間東北道走行)運行開始。
- 2004年(平成16年)5月1日 - 仙台 - 佐沼線運行開始(仙台宮城IC〜築館IC間東北道走行。築館町経由せず。のち若柳金成IC経由に変更)。
- 2005年(平成17年)
- 2007年(平成19年)
- 2008年(平成20年)
- 2009年(平成21年)1月31日 - この日の運行をもって仙台空港線(エアポートライナー)廃止。
運行路線
- アーバン号(仙台 - 盛岡)
- 仙台 - 一ノ関線
- 仙台 - 佐沼線
- 仙台 - 一迫線
- 仙台 - とよま線
- 仙台 - 金成線
- 仙台 - 平泉線
- 仙台駅前(宮城県仙台市青葉区)と岩手県西磐井郡平泉町の中尊寺の間を結ぶ、季節運行の高速バス路線。2013年(平成25年)度は4月13日から11月30日まで運行予定で、東日本急行の単独運行である(宮城交通・岩手急行バス・岩手県交通は運行協力のみ)。
- 運行回数
- 1日2往復
- 歴史
- 2008年(平成20年)7月1日 - 岩手県交通の単独(1日2往復)で運行開始(同年11月30日まで)。
- 2008年(平成20年)8月1日 - 東日本急行・岩手急行バスが参入し、1日3往復(各社1往復ずつとなる)に増便。
- 2009年(平成21年)4月18日 - 東日本急行・岩手県交通の2社による1日2往復の運行となる(同年11月30日まで。宮城交通の参入は見送られ、岩手急行バスも運行支援に回る)。一関市内の停留所(岩手病院前、山目駅前)への停車を中止。
- 2011年(平成23年)4月23日 - 東日本急行が毎日運行便1往復を、宮城交通が土日祝祭日運行便1往復をそれぞれ運行する体制となる。岩手県交通は運行支援に回る。
- 2012年(平成24年)4月1日 - 1日1往復となり、東日本急行が平日、宮城交通が土日祝祭日の運行を担当する体制となる。青葉通一番町バス停を廃止、宮交仙台高速バスセンター経由に変更。
- 2013年(平成25年)4月13日 - 1日2往復、東日本急行の単独運行となる。仙台 - 一ノ関線の一部便を平泉まで延長運転する扱いとなり、仙台駅前の発着地がさくら野前(31-2のりば)に変更。また新たに広瀬通一番町および、一関市内(イオン一関前、合同庁舎前、一ノ関駅口、一ノ関駅)に停車。
- 車両
- 観光型・トイレなし車両で運行。
廃止路線
- 仙台市内 - 仙台空港線「エアポートライナー」(2009年〈平成21年〉1月31日の運行をもって廃止)
貸切バス
- 事業区域…宮城県一円
その他
- 取締役・監査役には岩手急行バス、宮城交通、岩手県北バスの社長や取締役が就いている。
- 仙台盛岡急行線時代の盛岡側の車庫は盛岡市南大通(旧:岩手県交通河南営業所近く)にあったが、中尊寺 - 盛岡間廃止後は岩手県交通の長距離便の折り返し場としてしばらく使用された[4]。アーバン号の盛岡側の休憩地は岩手県北バス盛岡南営業所である。