ドミニク・アングル
ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(テンプレート:Lang-fr、 1780年8月29日 - 1867年1月14日)は、フランスの画家。19世紀前半、当時台頭してきたドラクロワらのロマン主義絵画に対抗し、ダヴィッドから新古典主義を継承、特にダヴィッドがナポレオンの没落後の1816年にブリュッセルに亡命した後、注目され、古典主義的な絵画の牙城を守った[1]。
ラファエロに対する極めて高い評価、入念に構成された調子の緊密な諧調、形体の幾何学的解釈など、師であったギョーム・ジョセフ・ロックの影響が濃厚。職務に追われた繁忙な時期にも屈指の傑作を描き上げている。ファイナルバーニッシュをも念頭に置いた平坦なテクスチャーは有名[2]。入念に組み立てられた文理・テクスチャーと徹底的に研鑽された描線、そして緊密な調子の諧調によって成立する空間は、「端正な形式美」[3]を湛えている。この様式美はセザンヌによって「肉体を全く描かずに済ませた」[4][5]と批判されるほど徹底している。
アングルの美術史理解はアングルの作品群から伺い知れるように公汎であり、且つ結束性が高く、加えて非常に示唆的である。顔料やバインダーの運用方法もまた多様であり、数百年の隔絶がある巨匠達の作品の研究にも余念がなかった。その研究の成果として、組織的且つ合理的な方法を「保存が完璧」[6]と讃えられる制作と言説によって的確にのこしている[7][8]。
他方では、ポスト印象主義者たちやキュビスト、現代美術家の根底的な方法やアイデアに決定的な影響を与えており、アングル芸術の影響範囲、射程は底知れないものがある。アングルの作品に対する脚注は、美術作品によるものを含め、未だに途絶えることが無い。アングルの作品とその個性は、同時代の体制派、反体制派の必ずしも芳しくない評価にもかかわらず、影響は非常に甚大で、彼に先行する画家と彼に続く画家の代表作にさえ決定的な影響を与えた事例も少なくない[9]。
生涯
フランス南西部のモントーバン近郊ムースティエに装飾美術家の子として生まれる。父親は美術家というよりは職人で、家具の装飾彫刻、看板描きから音楽まで手広く手掛けていた。アングルも幼少期から絵画とともに音楽も学んでおり、ヴァイオリン奏者としての一面もあった。実際、ニコロ・パガニーニと弦楽四重奏団を結成し、彼のスケッチを残している。フランス語で「アングルのバイオリン」(fr:violon d'Ingres)といえば、「(本格的な)趣味」(loisir)を指すようになった[10]。
アングルは12歳の時、トゥールーズのアカデミーに入学。1797年パリに出て、新古典派の巨匠、ジャック=ルイ・ダヴィッドのアトリエに入門する。1801年『アキレウスのもとにやってきたアガメムノンの使者たち』で、当時の若手画家の登竜門であったローマ賞を受賞した。ローマ賞受賞者には、政府給費生として国費でのイタリア留学が許可されたが、アングルの場合は、当時のフランスの政治的・経済的状況のため留学が延期され、1806年にようやくイタリアのローマを訪れている。その後アングルは1824年までの長期間イタリアに滞在し、1820年まではローマ、以後1824年まではフィレンツェで活動している。この間、ラファエッロ、ミケランジェロなどの古典を研究し、生活のために肖像画を描きつつ、母国フランスのサロンへも出品していた。有名な『浴女』(1808年)、『グラン・オダリスク』(1814年)などはこの時期の作品である。
長いイタリア滞在の後、1824年、44歳でダヴィッドの後継者として熱狂的にフランスに迎えられる[11]。翌年レジオンドヌール勲章を受け、アカデミー会員にも推されている。10年ほどの母国での活動を経て、1834年(1835年とも)再びイタリアのローマを訪れ、そこでフランス・アカデミーの院長を務めた。1841年には再びパリへ戻る。この頃のアングルは祖国フランスでも押しも押されもせぬ巨匠と目され、1855年のパリ万国博覧会においてはアングルの大回顧展が開催された。
代表作の1つ『トルコ風呂』は、最晩年の1862年の制作である。円形の画面に退廃的・挑発的な多数の裸婦を描きこんだこの作品は、当時82歳の画家がなお旺盛な制作欲をもっていたことを示している。
作風
アングルは絵画における最大の構成要素はデッサンであると考えた。その結果、色彩や明暗、構図よりも形態が重視され、安定した画面を構成した。その作風は、イタリア・ルネサンスの古典を範と仰ぎ、絵画制作の基礎を尊重しながらも、独自の美意識をもって画面を構成している。『グラン・オダリスク』に登場する、観者に背中を向けた裸婦は、冷静に観察すると胴が異常に長く、通常の人体の比例とは全く異なっている。同時代の批評家からは「この女は脊椎骨の数が普通の人間より3本多い」などと揶揄されたこの作品は、アングルが自然を忠実に模写することよりも、自分の美意識に沿って画面を構成することを重視していたことを示している。こうした「復古的でアカデミックでありながら新しい」態度は、同時代のダヴィッドなどのほか、近現代の画家にも影響を与えた。印象派のドガやルノワールをはじめ、アカデミスムとはもっとも無縁と思われるセザンヌ、マティス、ピカソらにもその影響は及んでいる。
当時発明された写真が「画家の生活を脅かす」として、フランス政府に禁止するよう抗議した一方、自らの制作に写真を用いていたことでも知られる。
ギャラリー
- Ingres - estudo de nu - 1801.jpg
『男のトルソ』
1800年
"Etude d un homme nu" - Jean Auguste Dominique Ingres, Portrait de Napoléon Bonaparte en premier consul.jpg
『第1執政官、ナポレオン』
1804年
グラン・クルティウス美術館
"Bonaparte, Premier Consul" - Jean Auguste Dominique Ingres 005.jpg
『グランド・オダリスク』
1814年
ルーヴル美術館
"La Grande Odalisque" - Ingres broglie.jpg
『ドーソンヴィル伯爵夫人』
1845年
フリックコレクション
"Louise de Broglie, Comtesse d’Haussonville" - Jean auguste dominique ingres princesse albert de broglie.jpg
『ド・ブロイ公爵夫人』
1853年
メトロポリタン美術館
"Princesse Albert de Broglie" - Jean auguste dominique ingres madame paul-sigisbert moitessier.jpg
『モワテシエ夫人』
1856年
ナショナル ギャラリー(ロンドン)
"Madame Moitessier"
関連項目
脚注
参考文献
- 『油彩画の技術 増補・アクリル画とビニル画 』 グザヴィエ・ド・ラングレ 著 黒江 光彦 訳 美術出版社 1974.01 ISBN 4568300304 ISBN 978-4568300307
- 『セザンヌ』 ジョワシャン・ガスケ 与謝野 文子 1980年 求竜堂 ASIN: B000J7ZCN4
- 『カラー版 西洋絵画史WHO’S WHO』美術出版社、諸川 春樹 監修、1996.05、美術出版社 ISBN 4568400392 ISBN 978-4568400397
- 『カラー版 絵画表現のしくみ―技法と画材の小百科』森田 恒之監修 森田 恒之ほか執筆 美術出版社 2000.3 ISBN 4568300533
- 『巨匠に教わる絵画の見かた』 視覚デザイン研究所 編 1996.10 ISBN 4881081241 ISBN 978-4881081242
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- ↑ 『カラー版 西洋絵画史WHO’S WHO』美術出版社、諸川 春樹 監修、1996.05、美術出版社 ISBN 4568400392 ISBN 978-4568400397
- ↑ 『油彩画の技術 増補・アクリル画とビニル画 』 グザヴィエ・ド・ラングレ 著 黒江 光彦 訳 美術出版社 1974.1 ISBN 4568300304 ISBN 978-4568300307
- ↑ 『広辞苑 第五版』岩波書店 1998年
- ↑ 『セザンヌ』 ジョワシャン・ガスケ 与謝野 文子 1980年 求竜堂 ASIN: B000J7ZCN4
- ↑ 『巨匠に教わる絵画の見かた』 視覚デザイン研究所 編 1996.10 ISBN 4881081241 ISBN 978-4881081242
- ↑ 『油彩画の技術 増補・アクリル画とビニル画 』 グザヴィエ・ド・ラングレ 著 黒江 光彦 訳 美術出版社 1974.1 ISBN 4568300304 ISBN 978-4568300307
- ↑ Delaborde, Ingres, sa vie et ses travaux, 1870.
- ↑ 『ヴィヴァン 新装版・25人の画家 第1巻 アングル』鈴木 杜幾子 高階 秀爾 講談社 1997.01 ISBN 4062547511 ISBN 978-4062547512
- ↑ “Ingres et les modernes” Somogy éditions d'art 2009.7.3 ISBN 2757202421 ISBN 978-2757202425
- ↑ 写真家のマン・レイにも「アングルのバイオリン」(fr:Le Violon d'Ingres)という作品がある。
- ↑ 有地京子『オルセーはやまわり』(中央公論新社2014年)など。
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