ジャック=ルイ・ダヴィッド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
ファイル:David Self Portrait.jpg
ジャック・ルイ・ダヴィッド『自画像』、1794年。ルーヴル美術館蔵
ファイル:Jacques-Louis David 007.jpg
『アルプスを越えるナポレオン』(1801年)
美術史美術館所蔵
左下にボナパルトのほか、ハンニバルカール大帝の名がある。いずれもアルプス越えの戦将。この他にも4枚、同じ題の絵がある。
ファイル:Cimetière de Bruxelles 11.jpg
ブリュッセルにあるダヴィッドの墓

ジャック=ルイ・ダヴィッドJacques-Louis David, 1748年8月30日 - 1825年12月29日)は、フランス新古典主義画家18世紀後半から19世紀前半にかけて、フランス史の激動期に活躍した、新古典主義を代表する画家である。

生涯

1748年、パリに商人の子として生まれた。9歳の時、父親は決闘で亡くなっている。ロココ絵画の大家であるフランソワ・ブーシェはダヴィッドの親戚(母の従兄弟)であった。当時50歳代だったブーシェは弟子を取っておらず、彼の紹介でジョゼフ=マリー・ヴィアン(1716年 - 1809年)という画家にダヴィッドは師事する。

長い修業期間を経て、ダヴィッドは1774年《アンティオコスとストラトニケ》で、当時の若手画家の登竜門であったローマ賞を得た。これはヴィアンに入門してから約10年後、26歳頃のことで、当時としては遅いデビューである。ローマ賞受賞者は、国費でイタリア留学ができる制度になっており、ダヴィッドも翌1775年よりイタリアへ留学した。同年、師のヴィアンはローマのフランス・アカデミーの院長としてローマへ赴任したため、師弟揃ってのローマ行きとなった。

ダヴィッドは1780年までの約5年間、イタリアで古典絵画の研究に没頭する。こうしたイタリアでの研究を機に彼の作風は、18世紀のフランス画壇を風靡したロココ色の強いものから、新古典主義的な硬質の画風へと変わっていく。ルイ16世注文の《ホラティウス兄弟の誓い》(1784年)は王室から注文を受けて制作された最初の作品だが、サロンに出品されたさいに同時代の画家が「ダヴィッドこそ今年のサロンの真の勝利者である」と述べたほど大きな評判を集め[1]、ダヴィッドの代表作の一つとなった。

1789年フランス革命が勃発するが、このころのダヴィッドは、ジャコバン党員として政治にも関与していた。《球戯場の誓い》を描いている他バスティーユ牢獄襲撃事件にも加わっており、1792年には国民議会議員にもなっている。1793年には革命家マラーの死を描いた《マラーの死》を制作している。1794年にはロベスピエールに協力し、最高存在の祭典の演出を担当、一時期国民公会議長もつとめている。ロベスピエールの失脚に伴い、ダヴィッドの立場も危うくなり、一時投獄された。この時、自画像と唯一の風景画を残している。

1800年にはナポレオンレカミエ夫人を愛人にするための贈り物として肖像画を依頼され、《レカミエ夫人像》を制作した。しかし、レカミエ夫人本人は気に入らず未完成に終わった(その後、夫人は彼の弟子のテンプレート:仮リンクに肖像画を依頼し、彼の絵画はドミニク・アングルが現在の形にした)テンプレート:要出典。その後、ナポレオン・ボナパルトの庇護を受けて復活した。1804年にはナポレオンの首席画家に任命されている。縦6.1メートル、横9.3メートルの大作《ナポレオンの戴冠式》は1806年から1807年に描かれたものである。1808年「帝国における騎士ダヴィッド」(Chevalier David et de l'Empire)の爵位を与えられた。ナポレオンの失脚後、ダヴィッドはまたも失脚し、1816年ブリュッセルへ亡命し、9年後の1825年に同地で時代に翻弄された77年の生涯を終えた。

ルイ16世の処刑に賛成票を投じたことが災いし、彼の遺体はフランスへの帰国を許されなかったが、心臓が現在ペール・ラシェーズ墓地に埋葬されている。


脚注

  1. 鈴木杜幾子『画家ダヴィッド』晶文社、1991, pp. 92-97)


ギャラリー

邦語文献

テンプレート:Sister

  • 鈴木杜幾子『画家ダヴィッド 革命の表現者から皇帝の首席画家へ』(晶文社、1991年) ISBN 978-4-7949-6062-7
  • デーヴィッド・アーウィン(鈴木杜幾子訳)『新古典主義』(岩波書店、2001)ISBN 4000089293
  • ケネス・クラーク(高階秀爾訳)『ロマン主義の反逆 : ダヴィッドからロダンまで13人の芸術家』(小学館、1988)ISBN 4093580316
  • ヒュー・オナー(白井秀和訳)『新古典主義』(中央公論美術出版、1996)ISBN 4805503149
  • デーヴィッド・ブレイニー・ブラウン(高橋明也)『ロマン主義』(岩波書店、2004)ISBN 4000089781
  • 高階秀爾編『ロマン主義』(『世界美術大全集:西洋編 20』小学館、1993) ISBN 4096010200


画集・図録
  • リュック・ド・ナントゥイユ(木村三郎訳)『ダヴィッド』(美術出版社、1987)ISBN 978-4-5681-6056-7
  • 鈴木杜幾子編『新古典主義と革命期美術』(『世界美術大全集:西洋編19』小学館、1993)ISBN 4096010197


論文


先代:
ジョルジュ・クートン
国民公会議長
1794年1月5日 - 1794年1月20日
次代:
アレクシス・ヴァディエ
テンプレート:Link GA