ソテジワアイドゥル

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テンプレート:Infobox ソテジワアイドゥル韓国音楽グループである。

現在のK-POPブームに重要な役割を果たしたグループである。「ソテジ」はリーダーの人名であり、「ワ」は「と」、「アイドゥル」は「子どもたち」の意である。従って「ソテジと仲間たち」くらいの意味である。

経歴

韓国での活動

  • 1992年 - ソ・テジ、イ・ジュノ、ヤン・ヒョンソクの3名でデビュー、ダンスと音楽を組み合わせた手法で人気を博した。それまでバラードやトロット(演歌)が主流であった韓国音楽界に革命を起こしたとされ、今なお伝説のグループとして韓国内の同業者からの支持が篤い。デビューアルバムである1集『Yo!Taiji!』は収録曲「僕は知っている(ナン・アラヨ、난 알아요)」のヒットもあり、150万枚以上の販売を記録。その年最高のスターとして頭角を現した。このアルバムは韓国音楽界において初めてラップ音楽を商業的に成功させたという評価がされている[1]。このラップブームは相次いでデビュー、ヒットしたDEUX、キム・ゴンモといったミュージシャンに引き継がれた。
  • 1992年12月 - ミニアルバム『LIVE & TECHNO MIX』を発売。
  • 1993年6月 - 2集『何如歌(ハヨガ、하여가)』を発表し、このアルバムも200万枚以上の販売を記録した。伝統音楽とラップ、ヘヴィメタルを融合した作風の表題曲『ハヨガ』が大ヒットした。このアルバムの発売後、一時期日本において活動。
  • 1994年1月 - 前年12月のクリスマスコンサートを収録した『最後の祝祭』を発売。
  • 1994年8月 - 3集『渤海を夢見て(パレルル・クムクミョ、발해를 꿈꾸며)』を発表し、これ以降ダンスミュージックからロックへとスタイルを変えた。かつて新羅の北に位置した渤海国を現在の朝鮮民主主義人民共和国になぞらえ、南北統一問題を韓国社会に喚起。当時統一問題に無関心であった韓国の若年層に強烈なメッセージを残した。このアルバムは予約だけで100万枚を超えたといわれる。
  • 1995年3月 - ライブアルバム『'95 TAIJIBOYS CONCERT -別の空が開いて-』を発売。
  • 1995年10月 - 反体制を歌う「ギャングスタ・ラップ」というジャンルを韓国で初めて紹介した4集『come back home』を発表した。このアルバムに収録された『時代遺憾(シデユガム、시대유감)』が歌詞検閲制度より不適当と判断されると、アルバムから歌詞を一切削除し発売するという波乱があった。これを機に同制度は撤廃に向かったと言われる。
  • 1996年1月 - すでにカリスマ的地位を確立し人気絶頂であったが、突然グループの解体と引退を宣言した。
  • 1996年2月 - ベストアルバム『"THE &" GOOD BYE BEST ALBUM』を発売。一部の曲では不適切な歌詞の部分に修正(ピー音)が施された。
  • 1996年6月 - 出版物検閲制度が廃止され、記念としてミニアルバム『時代遺憾』を発売。前述の「時代遺憾」はインストにてリリースされることとなったが、このアルバムの発売では歌入りとなった。
  • ソ・テジは引退状態の後1998年7月にソロアーティストとして復帰(以降の経歴はソ・テジの項を参照)、残るヤン・ヒョンソクとイ・ジュノは音楽プロデューサー業へ転向し、成功を収めている。特にヤン・ヒョンソクはYGエンターテインメントを設立し、現在の音楽業界をリードするアーティストを多く抱える。

日本での活動

  • 1994年10月 - 日本でのファーストアルバム『ソテジワアイドゥル』(1集と2集を組み合わせたもの)を発売。来日しテレビ番組にも出演。
  • 1995年1月 - 3集『渤海を夢見て』が日本でも発売される。日本ではセカンドアルバムの位置付けである。

脚注

  1. ソテジワアイドゥルデビュー以前は韓国語でラップをすること自体が無理であると言われていた。

※本文は韓国語版2004年8月22日版より一部訳、訂正、加筆