藪恵壹
テンプレート:Infobox baseball player 藪 恵壹(やぶ けいいち、本名:藪 恵一(読み同じ)、1968年9月28日 - )は、元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。三重県南牟婁郡御浜町出身。1994年の登録名は藪 恵市(読み同じ)。愛称は「恵ちゃん」。2014年からは、毎日放送(MBSラジオ)・GAORAの野球解説者を務める。
目次
経歴
プロ入り前
小学校時代、野球の試合中に右腕を故障したが、病院にも行かずプレーした。治癒したが、その影響で雨が降ると痛みが出るのか、雨の日の登板では実力を出せないことが目立った。
高校時代は、同じ県内に杉浦正則がいたこともあり、注目されなかった。一年間の浪人生活を経て、一般入試で東京経済大学に進学、首都大学リーグでプレーした。卒業後は朝日生命硬式野球部でプレー。在職時は営業としても勤務し、成績は全社的にもトップクラスに入っていたという。
テンプレート:Byのドラフト1位で阪神タイガースに入団。背番号はエースナンバー「18」を与えられる。このとき姓名判断で登録名を「恵市」とした。初の東京経済大学出身のプロ野球選手である。
阪神時代
ルーキーイヤーのテンプレート:Byに9勝(9敗)を挙げ、新人王を獲得。ファン投票でオールスターゲームにも出場した。低迷していた阪神にあって孤軍奮闘、テンプレート:Byからテンプレート:Byまで3年連続二桁勝利を挙げるなど、チームのエースとして活躍した。当初は毎週火曜日にローテーションを組んでおり、「火曜日の男」と呼ばれていた。
阪神時代には前半好投していても、6回あたりから四球、連打などで途端に崩れて自滅することがあり、ファンや評論家の間では「勝負弱いピッチャー」のイメージがつきまとい、「藪病」と揶揄されることもあった。また春先は好投するものの、夏場に調子を落とすことも多かった。
入団1年目から7年連続で規定投球回に到達。
テンプレート:Byは右肩のケガで未勝利に終わるものの、テンプレート:Byは星野仙一の監督就任と共に再開花。読売テレビの番組「週刊トラトラタイガース」の生放送中、阪神タイガースOB川藤幸三との電話会談で背番号4を薦められ、投手としては珍しい背番号「4」[1](阪神では過去にジーン・バッキー、マット・キーオが着けていた)に変更し10勝及びプロ入りして初めて1つ以上の貯金を挙げた。テンプレート:Byも怪我がありながらも8勝(3敗)を挙げ、18年ぶりのリーグ優勝に貢献したが、同年の日本シリーズでは登板することがなかった。テンプレート:ByにFA資格を取得。この時に阪神とは決別すると示唆する報道がされていた。
MLB・メキシコ時代
2004年オフ、メジャー挑戦を理由にFA宣言。テンプレート:By1月、オークランド・アスレチックスへの入団が決定。アスレチックスでの背番号は、自身が野球を始めて最初に貰った「13」。
メジャー1年目で4勝を挙げたが、同年オフにチームがオプションを行使しなかったため自由契約となる。
テンプレート:Byはコロラド・ロッキーズと契約したが、同年3月31日付で退団しフリーエージェントとなった。同年6月29日にマイナーリーグAAA級に相当するメキシカンリーグのティファナ・ポトロスと契約した。翌テンプレート:Byは、どこの球団にも所属せず、トレーニングに費やした。この年は練習相手もいないのでネットや壁にボールを投げて投球練習をすることもあったという。アマチュア時代はあまり設備など野球環境が恵まれていなかったが、さすがに練習相手がいないのは堪えたという。そのため2008年度は、もしメジャーに上がれなくても喜んでマイナーでプレーすることを決めていた。
テンプレート:By、メジャー昇格を目指し、サンフランシスコ・ジャイアンツのスプリングトレーニングから、トレーニングに励みオープン戦に登板していた。キャンプ・オープン戦での背番号は「72」。同年3月30日に開幕メジャー枠に入ったことが球団から発表された。背番号は「22」[2]。
4月14日の対アリゾナ・ダイヤモンドバックス戦で3年ぶりの勝利を記録した(ジャイアンツで日本人が勝ち投手となるのはテンプレート:By9月30日の村上雅則以来)。39歳と199日での白星は、日本人メジャーリーガーの最年長記録。また同年の5月30日の対サンディエゴ・パドレス戦の8回、3対3の同点で無死一・二塁の場面でリリーフ登板し、打者ケビン・クーズマノフを1球でトリプルプレーに仕留める、という珍しい記録も作った。[1]
テンプレート:Byはメジャー契約でキャンプに臨むもオープン戦は不調で、3月5日にマイナー降格。そしてメジャー40人枠を空けるための措置として3月20日(日本時間21日)にジャイアンツから戦力外通告を受けるも、翌21日に傘下のAAA級フレズノと再契約を結んだ。しかし、7月11日に解雇された[3]。
楽天時代
テンプレート:By7月26日に千葉ロッテマリーンズの入団テストを受けたが、獲得は見送られた。7月29日・30日に東北楽天ゴールデンイーグルスの入団テストを受け、7月31日に楽天が獲得を発表した。背番号は「64」[4]。中継ぎ投手として11試合に登板したが、シーズン終了後戦力外通告を受けた[5]。
現役引退後
楽天からの戦力外通告後に、古巣である阪神から、投手コーチへの就任を打診された。現役続行を希望していた藪は、しばらく回答を保留したが、2010年12月17日にコーチ契約を正式に締結。この契約を機に現役を引退した。
2011年に阪神の二軍投手コーチへ就任した。背番号は、前監督の岡田彰布が退団してから空いていた80。和田豊が一軍監督へ就任した2012年には、一軍投手コーチとして和田を支えた。
2013年には、二軍投手コーチを再び担当。しかし、10月5日に球団からコーチ契約の解除を通告された[6]ことから、阪神を退団した。
なお、退団直後からは、神戸市東灘区のスポーツクラブ「Japan Athlete Club STAY COOL」の講師に就任。会員の小・中学生に対して、褒めて伸ばすことをテーマに野球を指導している[7]。
さらに、2014年からは、MBSラジオ・GAORAの野球解説者にも就任。MBSラジオでは、同年1月4日放送の『withタイガース カワスポサタデー運動部!』(2013年度のナイターオフ期間に放送中の阪神情報番組)で、解説者としてのデビューを果たした。
プレースタイル
持ち球:ストレート、カーブ、スライダー、高速スライダー、フォーク、シュート、チェンジアップ、ナックル
決め球:スライダー、高速スライダー
投球スタイルは切れ味鋭いスライダーとフォークを主体に、後にシュートを習得しゴロを打たせるというものだった。150km/h以上のストレートも持つが、スタミナを温存するためか常時140km/h前後にとどめることが多い。
阪神時代、広島東洋カープにめっぽう強く(通算27勝17敗、プロ初勝利も対広島戦)、「鯉キラー」とも呼ばれていた。藪がメジャー移籍した際に広島の首脳陣が「(藪がメジャーに移籍してくれて)正直、ほっとした」とまで語っている。
人物
阪神への入団直後には、メディア関係者や同球団ファンを中心に、顔立ちが織田裕二に似ていることが話題になった。また、阪神での現役時代から、インタビューなどで「ええ声」(低音で響く明瞭な地声)をたびたび披露。MBSラジオの野球解説者へ転身してからも、同局の番組やスポットCMで、「ええ声」や滑舌の良さを前面に押し出している。
公式ブログには尊敬する人はスティーブ・ジョブズと書かれている。
サンフランシスコ・ジャイアンツ時代のチームメートで、後に巨人と楽天に入団したジョン・ボウカーは、藪の影響で日本を好きになったとされる。
清原との関係
インコースを苦手としていた清原和博に対して徹底した内角攻めを行い、多くの死球を与えたことで知られる。ある試合中にそのシーズン3個目の死球を与え、清原が憤慨しながら指を3本突き出し 「3回目やぞ」と怒声をあげたところ、藪はそれを聞き取ることが出来ず後日「俺の年俸は3億やという意味だと思いましたよ」と述べた。関西ローカルのラジオ番組内でもこの件について触れ、「一流のバッターなら、厳しいインコース攻めを受けても避けるか捌くか出来るはずだ」と持論を展開したところ、ますます 清原を怒らせてしまったという。
藪は引退後にこの「対清原」ともいえる執拗な内角攻めについて真相を明かしており、巨人移籍当時の清原は故障の影響で内角をまともにミートすることが出来ない状態だった。阪神のスコアラーも「開幕からしばらくは徹底してインコースに投げてくれ」と投手陣に指示、清原もそれに臆するタイプではなかったため死球になるケースが増えたと解説している。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | 阪神 | 26 | 25 | 8 | 1 | 0 | 9 | 9 | 0 | -- | .500 | 743 | 181.1 | 174 | 12 | 42 | 3 | 2 | 110 | 2 | 1 | 67 | 64 | 3.18 | 1.19 |
テンプレート:By2 | 27 | 27 | 7 | 2 | 2 | 7 | 13 | 0 | -- | .350 | 713 | 196.0 | 185 | 19 | 50 | 1 | 10 | 118 | 4 | 1 | 73 | 65 | 2.98 | 1.20 | |
テンプレート:By2 | 30 | 30 | 6 | 1 | 0 | 11 | 14 | 0 | -- | .440 | 834 | 195.1 | 204 | 14 | 51 | 1 | 11 | 145 | 1 | 1 | 97 | 87 | 4.01 | 1.31 | |
テンプレート:By2 | 29 | 26 | 4 | 1 | 0 | 10 | 12 | 0 | -- | .455 | 768 | 183.0 | 172 | 23 | 62 | 6 | 10 | 111 | 9 | 0 | 79 | 73 | 3.59 | 1.28 | |
テンプレート:By2 | 24 | 24 | 3 | 2 | 1 | 11 | 10 | 0 | -- | .524 | 692 | 164.0 | 159 | 11 | 51 | 0 | 8 | 90 | 4 | 2 | 74 | 64 | 3.51 | 1.28 | |
テンプレート:By2 | 28 | 27 | 4 | 2 | 1 | 6 | 16 | 0 | -- | .273 | 737 | 173.1 | 175 | 16 | 57 | 8 | 11 | 95 | 4 | 0 | 80 | 76 | 3.95 | 1.34 | |
テンプレート:By2 | 25 | 24 | 1 | 1 | 0 | 6 | 10 | 0 | -- | .375 | 638 | 151.0 | 162 | 19 | 30 | 4 | 4 | 95 | 7 | 0 | 76 | 70 | 4.17 | 1.27 | |
テンプレート:By2 | 17 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | -- | .000 | 250 | 55.0 | 55 | 2 | 33 | 4 | 5 | 26 | 5 | 0 | 32 | 25 | 4.09 | 1.60 | |
テンプレート:By2 | 20 | 20 | 5 | 2 | 2 | 10 | 6 | 0 | -- | .625 | 532 | 131.2 | 118 | 14 | 30 | 1 | 6 | 97 | 3 | 0 | 48 | 46 | 3.14 | 1.12 | |
テンプレート:By2 | 23 | 15 | 0 | 0 | 0 | 8 | 3 | 0 | -- | .727 | 405 | 97.2 | 97 | 13 | 27 | 0 | 2 | 67 | 4 | 0 | 50 | 43 | 3.96 | 1.27 | |
テンプレート:By2 | 19 | 19 | 1 | 1 | 0 | 6 | 9 | 0 | -- | .400 | 480 | 116.1 | 108 | 8 | 36 | 0 | 6 | 75 | 5 | 0 | 44 | 39 | 3.02 | 1.24 | |
テンプレート:By2 | OAK | 40 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 1 | 1.000 | 262 | 58.0 | 64 | 6 | 26 | 3 | 8 | 44 | 2 | 0 | 34 | 29 | 4.50 | 1.55 |
テンプレート:By2 | SF | 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 6 | 0 | 9 | .333 | 302 | 68.0 | 63 | 3 | 32 | 4 | 8 | 48 | 5 | 1 | 33 | 27 | 3.57 | 1.40 |
テンプレート:By2 | 楽天 | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | ---- | 48 | 11.0 | 9 | 2 | 6 | 0 | 2 | 6 | 0 | 0 | 6 | 6 | 4.91 | 1.36 |
NPB:12年 | 279 | 245 | 39 | 13 | 6 | 84 | 106 | 0 | 2 | .442 | 6940 | 1655.2 | 1618 | 153 | 475 | 28 | 77 | 1035 | 48 | 5 | 726 | 658 | 3.58 | 1.26 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
MLB:2年 | 100 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 6 | 1 | 10 | .538 | 564 | 126.0 | 127 | 9 | 58 | 7 | 16 | 92 | 7 | 1 | 67 | 56 | 4.00 | 1.47 |
- 2010年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- 新人王 (1994年)
- 月間MVP:1回 (1994年5月)
- JA全農Go・Go賞:1回 (最多奪三振賞:1997年5月)
- 優秀JCB・MEP賞:1回 (1998年)
記録
- 初記録(NPB)
- 初登板・初先発:1994年4月13日、対中日ドラゴンズ1回戦(阪神甲子園球場)、6回0/3を3失点で敗戦投手
- 初奪三振:同上、1回表に松井達徳から
- 初勝利・初完投勝利:1994年4月19日、対広島東洋カープ1回戦(岡山県営球場)、9回1失点
- 初完封勝利:1994年5月24日、対読売ジャイアンツ7回戦(阪神甲子園球場)
- 初ホールド:2010年8月19日、対オリックス・バファローズ21回戦(スカイマークスタジアム)、6回裏2死に2番手で救援登板、1回無失点
- 節目の記録(NPB)
- 1000投球回数:1999年6月5日、対ヤクルトスワローズ10回戦(明治神宮野球場)、4回裏3死目にロベルト・ペタジーニを遊撃ゴロ併殺打で達成 ※史上278人目
- 1500投球回数:2003年7月11日、対読売ジャイアンツ17回戦(阪神甲子園球場)、1回表1死目に二岡智宏を遊撃ゴロで達成 ※史上151人目
- 1000奪三振:2004年8月11日、対横浜ベイスターズ16回戦(札幌ドーム)、5回裏に佐伯貴弘から ※史上112人目
- その他の記録(NPB)
- オールスターゲーム出場:6回 (1994年 - 1997年、1999年 - 2000年)
背番号
- 18 (1994年 - 2001年)
- 4 (2002年 - 2004年)
- 13 (2005年)
- 22 (2008年)
- 64 (2010年)
- 80 (2011年 -2013年)
出演番組
野球解説者としてのレギュラー番組のみ記載。
- withタイガース カワスポサタデー運動部!(MBSラジオ、2013年度のナイターオフ番組) - 2014年最初の放送(1月4日放送分)から出演
- MBSベースボールパーク(MBSラジオの阪神戦中継) - 2014年度から解説を担当。一部選手名鑑ではラジオ中継限定の解説者として紹介されているが、実際にはテレビ(MBSテレビ)の中継にも一部出演している。
- GAORAプロ野球中継(GAORA) - 2014年度から阪神戦の解説を担当
- 子守康範 朝からてんコモリ!月曜日(2014年5月5日 - ) - 月に1回のペースで、7時前のスポーツ特集「てんスポ」にのみ出演。
上記の番組以外にも、『朝生ワイド す・またん』(読売テレビ)などへ不定期で登場している。
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:阪神タイガース1993年ドラフト指名選手- ↑ 野球を始めた小学校時代はセカンドの控えで終わり、それ以降も着けることのなかったレギュラー番号である4を一度は背負ってみたいという憧れをプロ入り後も持ち続けていたという。
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- ↑ 藪恵壹選手との契約合意について
- ↑ 来季の選手契約について
- ↑ 来季のコーチ契約について阪神球団公式サイト2013年10月5日配信
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