投稿!特ホウ王国
テンプレート:基礎情報 テレビ番組 『投稿!特ホウ王国』(とうこうとくホウおうこく)は、1994年5月1日から1997年9月21日までの毎週日曜日19:00 - 19:57(JST)に日本テレビ系列で放送されていたバラエティ番組である。1997年1月からは、『1億3000万人の投稿!特ホウ王国2』(いちおくさんぜんまんにんのとうこうとくホウおうこくツー)としてリニューアルされた。また、放送終了後の2001年1月に復活スペシャルが放送された。
目次
番組概要
司会は笑福亭鶴瓶と河野景子。河野の結婚後は1995年5月にリサ・ステッグマイヤーに交代した。 ウッチャンナンチャン(内村光良・南原清隆)が編集局長となり、視聴者から投稿されたおもしろ仰天スクープを内村班と南原班に分けて報道形式で紹介する。 テーマを発表する際、観客が「え〜〜!!」と驚くのと真相を目の当たりにした特派員のリアクションが定番である。テレビ雑誌で当番組の観客を募集した際も、特典として「『え〜!』と叫べる」と書かれたほどである。放送当時、同局で放送された『マジカル頭脳パワー!!』で、回答者の今田耕司の不可思議な行動に客がブーイングした時、「特ホウ王国じゃねーんだよ!」と本人が言い返したことがある。後期には特派員のリアクションの後に「一体何が起こったのか?『この木なんの木』のあとすぐ!」のナレーションの後、日立の樹に入りその後続きを流すという演出をとっていた(それより前は、ベストスクープ賞発表前にリサが「ベストスクープ賞はこの木なんの木の後すぐです」と口頭で案内し、実際にCMに入っていた)。
投稿された特ダネの現場には「特派員」[1]などが出向き、レポートを行う。特に「後藤です」で一世を風靡した日本テレビの後藤俊哉アナウンサー(当時)やとにかくハイテンションに登場する同じく日本テレビの藤井恒久アナウンサーが有名になった。他に、セクシーな感じのするスクープは必ず男性特派員が担当し、担当した本人はとても嬉しそうに取材していた。時にはウッチャンナンチャンや鶴瓶自身がレポートに出向くこともあった。鶴瓶が特派員として出向く際は本名の「駿河学(するがまなぶ)」、または老婆に扮した「駿河ツル(するがつる)」の名で登場していた。なお、出向いてネタが明かされる直前、白黒に反転した映像に効果音のついた、特派員が驚く(笑うなど派生バージョンもあり)シーンが入るのがお約束であった。
この番組で紹介されたスクープは、普通の人では真似できない信じられない技を持つ人[2]や都会では絶対に見られない珍しい現象、スポットなどのスクープが多く、中には視聴者の想像の限界を超えるもの[3]や度肝を抜かせるもの[4]が目立った。 また、紹介した"謎の生物"を意図的に正体不明で片付けたり[5]、意図的にタネを明かさないこともあった[6]。
メインスポンサーは、それまでの各30分枠を踏襲し、前半30分は大塚製薬、後半30分は日立グループのそれぞれ一社提供となっていたが、2時間特番の場合は両社が19時台の1時間通しで提供していた[7]。番組の最後には「日立の樹」のCMが放映され、提供画面は次回以降に放送されるスクープの予告をバックに日本テレビの女子アナウンサーの声で「この番組は、システムとエレクトロニクスの日立グループがお送りしました。」とアナウンスされた[8]。また、各スクープで証拠を見せるために空き缶を用いる場合は、大塚製薬製品(ポカリスエットなど)が使われた。
すばらしい世界旅行以降続けられていた、日本テレビ系列での『日立の樹』の放映は当番組が最後となり、1997年10月以降は、TBS系列の『世界・ふしぎ発見!』での放映に移行している。なお、同CM枠確保のため秋田放送、福井放送、四国放送が「世界 - 」のネットを開始した。[9]
日本テレビ系列の日曜夜7時枠が1時間番組になるのは「日曜日だョ!ドリフターズ!!」以来22年半ぶりのことである。(日曜夜7時前半枠に日テレが返上されるのは「ドラえもん (1973年のテレビアニメ)」以来)
おしおきエンマ君
初期では、ガセネタや鶴瓶に「くだらない」、「つまらない」などと一蹴されたスクープ[10]、には「おしおきエンマ君」という人形を投稿者に送り付けた上に、編集局長のギャラから10万円を没収するというルールがあった。このケースは過去に11回あった[11]。
内村班・南原班の対決
毎回内村班、南原班それぞれ6〜7本のスクープを紹介し、それを芸能人審査員5人が一人持ち点10点、計50点満点で審査する。審査委員長は過去に高島忠夫やジャイアント馬場らが務めていた。また、1994年秋には自分の番組以外に出演しないことを明石家さんまに指摘されたタモリが出演し、審査委員長を務めたこともあった。タモリは『今夜は最高!』終了以来、日本テレビの番組に出演することは滅多になく、かなり希少なことであった。
各賞と特典
- レギュラー放送時
審査員の審査により、毎週ベストスクープ賞を含むベスト5が決定され、入賞したスクープの提供者には下記の賞金が贈られる。また、そのスクープを紹介した班にもポイントが入る。
賞 | 賞金 | ポイント数 |
---|---|---|
ベストスクープ賞 | 50万円 | 50ポイント |
第2位 | 30万円 | 30ポイント |
第3位 | 20万円 | 20ポイント |
第4位 | 10万円 | 10ポイント |
第5位 | 5万円 | 5ポイント |
- 前述の「おしおきエンマ君」が出たネタを紹介した班については、1個に付きマイナス10ポイントとなる(第2位まで紹介した後に精算する)。
- 発表の方法は第5位〜第3位を河野(リサ)が、第2位を鶴瓶が、第1位を審査員長(概ね高島忠夫が担当)が口頭で発表する。
- 開始から5ヶ月間はベストスクープ賞に30万円、以下15万円・7万円・5万円・3万円[12]となっており、1994年10月のレギュラー放送から賞金額が増大された[13]。
- 内村班と南原班は、自分達のスクープが選ばれるごとに与えられたポイントで毎週対決し、ポイントの多かった班がその週の勝者。そして勝負はステージ制となっており、先に10勝を達成すると豪華賞品がプレゼントされ、次のステージに進む事になる。
- 番組後半では「投稿写真一発スペシャル」[14]という、視聴者から寄せられた面白い写真を大型モニターで紹介するコーナーがあった。しかし、紹介された写真[15]が「雑誌からのパクリ」という指摘が視聴者から大量に寄せられ、終了となった[16]。
- 2時間スペシャル時
- なお、2時間スペシャルの際は賞金並びにポイントもレギュラー放送のときよりアップする。
賞 | 賞金 | ポイント数 |
---|---|---|
ベストスクープ大賞 | 100万円 | 100ポイント |
第2位 | 50万円 | 50ポイント |
第3位 | 30万円 | 30ポイント |
第4位 | 20万円 | 20ポイント |
第5位 | 10万円 | 10ポイント |
(1つの順位が1ネタだと満点が210ポイントとなった。)
- このルールは1994年の年末からだが、1994年の秋のみ各部門の中から一番支持されたスクープに「ベストスクープ大賞」の権利となるスクープとなり、投稿した記者・編集局長に「ニッコリ鶴瓶くん」1体が贈られ、エンディングでは「ニッコリ鶴瓶くん」を獲得したスクープから「ベストスクープ大賞」を1つ選出した。また、対決に勝った方には番組特製のゴールドトロフィーが贈られていた。このゴールドトロフィーを10本ためると、世界一周旅行が贈られる予定だったが、初期は春・秋・年末の3回行われたが、後期には春・秋の特番が組まれなかった年もあった為、どちらとも達成できなかった。
- 内村・南原両編集局発のネタが上位5位に入ってた場合、最初は両編集局にその得点の半分が加算したが、2回目は両編集局にそれぞれ該当のポイントが加算した。
- また、レギュラー時・番組末期には50点満点でベストスクープ賞に選ばれると賞金が更に200万円に増えた事もあった。その時のポイントも200ポイントになる。
番組のトピックス
- 前述したタモリが審査委員長をつとめた回、南原が本番中にトイレに行ってしまうハプニングが発生。ベストスクープ賞の発表の際、タモリはこれを「今週の『ベストスクープ賞』は、ウンコをした南原」とネタにした。
- 日本テレビで1995年3月9日に放映された『マジカル頭脳パワー!!』に、特派員の後藤俊哉と藤井恒久が出演した。番組内のコーナー『マジカルアクション伝言バトル』のお題が発表されたときに、後藤は「特派員が驚く演出」を行った。
- 1997年以降はネタ切れのためか視聴者投稿路線を縮小し、内村編集局の「手力男」栗間太澄と南原編集局の「無謀な挑戦」伊東万寿男の対決シリーズで人気となった[17]。栗間には矢島学(一時期福澤朗)、伊東には松永二三男が専属特派員となっていた。
- 当時中学生だったWhiteberry[18]が1997年6月29日の放送で紹介され、のちにメジャーデビューを果たした。その縁もあり2001年の復活スペシャルで審査員ゲストとして出演していた。
- 対決シリーズで放送された、伊東万寿男による「ペットボトルロケットによって人間が飛行する」という行為は、ペットボトルロケットの噴射の向きと重心の関係から前のめりに回転しているにも関わらず空中で不自然に立て直されるなど、ロープやゴムで引っ張っているかの様な飛び方をしている。これは後に米国ディスカバリーチャンネルのテレビ番組『怪しい伝説』において実験され、15本のペットボトルロケットでは人間を飛ばすほどの推力は無いと結論付けられている。
- VTRでの特派員が驚くシーンでの効果音はテレビ朝日の『川口浩探検隊』シリーズで使用された効果音に酷似している。
- 番組末期のBGMにはスペクトラムの『アクトショー』が使用されていた。
人気のあったスクープ
同じ人が登場するスクープなどはシリーズ化され、毎週のようにシリーズ化されたものもある。
- 謎の男 栗間太澄の新たなる挑戦シリーズ(全22回)
- 謎の郵便局員栗間太澄が、自身の持つ「手力(てぢから)」を駆使し、奇想天外なマジックのような現象を起こすというもの。名前から実はMr.マリックではないかと多くの視聴者から問われたが、本人は否定し続けていた。最終回にはついにMr.マリックと対決するが、その際手違いで栗間太澄とMr.マリックが同一人物であることが発覚した。ちなみに栗間太澄名義で本も出版している。2001年のスペシャルでも復活した。初登場から最終回までほぼ毎週登場し続けていた。
- 伊東万寿男の無謀な挑戦シリーズ(全14回)
- 様々な無謀極まりない挑戦を繰り返す無職の男伊東万寿男があらゆることチャレンジするシリーズ。正体はエスパー伊東であるが、栗間太澄と同様に正体はバレバレながらもエスパー伊東であることを否定していた。但し、栗間とは異なり最後まで正体は明かされなかった。尚、伊東万寿男とはエスパー伊東の本名である。たらいに乗ってスキージャンプの台から飛んだり、風船で空を飛ぶといった挑戦を繰り返し人気となった。初登場から最終回までほぼ毎週登場し続けていた。2001年のスペシャルでも復活している。
- 仙人シリーズ
- 平成の仙人こと隼源史が武術の神業を披露するシリーズ。ヌンチャクを自由自在に操ったり、極寒の中、川でイワナを捕まえるなどの大技を見せた。2001年のスペシャルでは6年の歳月で習得した新技を披露した。ちなみに彼は元格闘家。
- ○○を楽器にする人シリーズ
- 特ホウ王国には様々なものを楽器にする人々も多く登場した。ストローや木炭、急須。果てはオナラを楽器にする男まで登場した。一度スペシャルで南原・内村両編集局合同でそれぞれの楽器を使った合奏を行ったこともある。ちなみにその時の曲目は「We Are The World」。
- 絶対に見てはいけない花火
- とある花火工場からあがる花火のシリーズ。ひらがなの文字を浮き上がらせる技術なのだが、毎回ある単語が含まれており、当時の視聴者達を爆笑させた。2001年のスペシャルでも登場し、漢字表記を実現していたが、相変わらずおなじみの単語が含まれていた。
主な芸能人審査員
リポーター
他
エンディングテーマ曲
- 上を向いて唄おう/米米CLUB
スタッフ
- ナレーター:青森伸、若本規夫、来宮良子、小林清志(復活版のみ)
- 総合演出:五味一男
- 構成:豊村剛、伊東雅司、そーたに、田中直人
- ディレクター:安藤正臣、李闘士男、松山和久、他
- プロデューサー:佐野讓顯、梅原幹
- チーフプロデューサー:渡辺弘
- 制作協力:ハウフルス、日企、NCV、オン・エアー
放送局
系列はネット終了時のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | 日本テレビ | 日本テレビ系列 | 制作局 |
北海道 | 札幌テレビ | ||
青森県 | 青森放送 | ||
岩手県 | テレビ岩手 | ||
宮城県 | ミヤギテレビ | ||
秋田県 | 秋田放送 | ||
山形県 | 山形放送 | ||
福島県 | 福島中央テレビ | ||
山梨県 | 山梨放送 | ||
新潟県 | テレビ新潟 | ||
長野県 | テレビ信州 | ||
静岡県 | 静岡第一テレビ | ||
富山県 | 北日本放送 | ||
石川県 | テレビ金沢 | ||
福井県 | 福井放送 | 日本テレビ系列/テレビ朝日系列 | |
中京広域圏 | 中京テレビ | 日本テレビ系列 | |
近畿広域圏 | 読売テレビ | ||
鳥取県・島根県 | 日本海テレビ | ||
広島県 | 広島テレビ | ||
山口県 | 山口放送 | ||
徳島県 | 四国放送 | ||
香川県・岡山県 | 西日本放送 | ||
愛媛県 | 南海放送 | ||
高知県 | 高知放送 | ||
福岡県 | 福岡放送 | ||
長崎県 | 長崎国際テレビ | ||
熊本県 | 熊本県民テレビ | ||
大分県 | テレビ大分 | 日本テレビ系列/フジテレビ系列 | |
宮崎県 | テレビ宮崎 | フジテレビ系列/日本テレビ系列/テレビ朝日系列 | |
鹿児島県 | 鹿児島読売テレビ | 日本テレビ系列 |
脚注
外部リンク
- 投稿!特ホウ王国(日本テレビ)
- ↑ 日本テレビや系列局のアナウンサー、タレントの橋本志穂(元福岡放送アナウンサー)。
- ↑ 蝿をペットとして飼い気絶させるように見せる芸をみせたり。
- ↑ マンガ野球の変化球にそっくり。
- ↑ 鉄橋の上からバンジージャンプし地面にある池の中の鯉を素手で拾い上げるなど。
- ↑ ハリガネムシ、スライム状の砂鉄、等
- ↑ 死角になる片方のつま先だけで体を持ち上げ、カメラからは一瞬体が浮いたように見せる。
- ↑ この場合、20時台は当該時間のレギュラー番組のスポンサーによる複数社提供。
- ↑ 後に「日立の樹」の後にベストスクープ賞発表とエンディングを挟んでから、その週に放送されたスクープの映像をバックに提供読みという形式に変更された。
- ↑ なお、「世界・ふしぎ発見!」はABS・JRTでは1995年4月に、FBCはその半年後の10月に開始。
- ↑ 例:『鉄棒するブタ』というスクープで検証をしたが、それは『ブタ』と呼ばれていただけの人間の男性だった、『一輪車の上で舞踊を披露する女性』で、遊具の一輪車ではなく手押しの一輪車の上での舞踊だった、『中一の妻』では普通の老夫婦が出てきて夫の名前が「中 一(なか はじめ)」だった、等。
- ↑ うち1回は、UFOキャッチャーが得意のおじさんにオマケとして進呈したため、実際にガセネタで送り付けたのは10回である。
- ↑ 1つの順位が1ネタだと満点が60ポイント。
- ↑ 1つの順位が1ネタだと満点が115ポイント。
- ↑ 当初は「スクープ番外編」の名称だった。
- ↑ 電車のドア窓部分に広告がかぶさり、動物の目のように見えるというもの。
- ↑ このコーナーは審査対象に含まれない。
- ↑ このシリーズも放送上両者からの投稿ということになっていた。また、このシリーズも審査対象となっていた。
- ↑ 当時のグループ名はストロベリー・キッズ、2004年解散。