日本郵船
日本郵船株式会社(にっぽんゆうせん、Nippon Yusen Kabushiki Kaisha)は、日本の大手3大海運会社の一つであり、三菱商事とともに三菱財閥(現在の三菱グループ)の源流企業。
英文表記「NIPPON YUSEN KAISHA」から「NYK LINE」とも記され、国際的には「NYK」として知られている。
なお当社は、日本郵政グループとは無関係。
目次
概要
国内・海外を合わせて350以上の都市の港へ838隻[1]の運航船舶が乗り入れており、運航船舶数規模及び連結売上高では日本では1位、連結純利益で商船三井に次いで2位である。
2006年(平成18年)2月に、マースクライン社が世界第3位の業界シェアを占めるオランダの海運会社P&ONedlloyd 社と合併し世界最大手になったため、NYKは連結売上高で世界2位になった。国内以上に海外での知名度が高く、日本海運の代表と呼ばれる所以である。
戦後の株式特定銘柄5社の1つ。
「郵便汽船三菱会社」(日本郵船の前身:国有会社であった日本国郵便蒸気船会社と三菱商会が合併して設立)は、アメリカやイギリスの名門海運会社に握られていた日本の航海自主権を、政府の援助や三菱銅山の利益を元に、激しい値下げ競争を行うことで手に入れた。
その後、三井系国策会社である「共同運輸会社」[2]とさらなる値下げ競争を行ったことで、海運業の衰退を危惧した政府の仲介で両社が合併し、日本郵船会社が設立。その後も欧米の海運会社が独占する世界中の航路に分け入ってゆき、わずか10年余りで世界の主要都市ほぼ全てに航路を開設した。
ファンネルマーク(船の煙突部分につける会社のマーク)は、白地に2本の赤の線で「二引」と呼ばれ、郵便汽船三菱会社と三井系国策海運会社・共同運輸の対等合併を意とする。
また、イメージキャラクターにアニメ「サザエさん」のフネを起用し、その広告が第46回日本雑誌広告賞金賞と、JR東日本ポスターグランプリ2003銅賞を受賞した。フネさん起用の契約は2006年(平成18年)3月をもって終了し、4月からは琴欧洲を起用している。
同社顧問の徳川恒孝は徳川家18代目当主であり、副社長等を歴任している。
沿革
- 1870年 - 九十九商会(後の三川商会、三菱商会へ)が大阪市西区で設立。
- 1875年(明治8年) - 国有会社である日本国郵便蒸気船会社の経営が岩崎弥太郎に任される(三菱商会が郵便汽船三菱会社へ改称)。
- 1885年(明治18年) - 郵便汽船三菱会社と共同運輸会社が合併し、日本郵船会社を設立。
- 1893年(明治26年) - 株式会社として日本郵船株式会社が誕生。
- 1893年(明治26年) - 日本初の遠洋定期航路としてボンベイ(現、ムンバイ、インド)航路開設。
- 1923年(大正12年) - 近海・内航部門を分離し、(旧)近海郵船株式会社を設立。
- 1926年(大正15年) - 第二東洋汽船株式会社を合併。
- 1939年(昭和14年) - (旧)近海郵船株式会社を合併。
- 1940年代 - 船舶運営会設立に際し引き続き船舶の運航実務を行うと共に実務者第一班の班長会社に指定
- 1945年(昭和20年) - 安導権を持つ日本郵船所属の船舶阿波丸が、アメリカ海軍の潜水艦の不当な雷撃を受け撃沈された(阿波丸事件)。
- 1949年(昭和24年) - 東京、大阪、名古屋の証券取引所へ上場。
- 1950年(昭和25年) - 札幌証券取引所へ上場。
- 1960年(昭和35年) - 氷川丸の解役を機に客船事業から撤退
- 1964年(昭和39年) - 三菱海運株式会社(前三菱汽船、極東海運:三菱商事船舶部より分離独立)と合併。
- 1964年(昭和39年) - 世界初のチップ専用船「呉丸」竣工。
- 1969年(昭和44年) - 近海・内航部門を近海郵船株式会社(1949年企業再建整備法に基づき郵船近海機船から継承され設立)へ委譲。
- 1973年(昭和48年) - 日本郵船所属の船舶山城丸が、第四次中東戦争に巻き込まれ被災、廃船となる。
- 1989年(平成元年) - フィリピンにマンニング(船員配乗)会社NYK-FIL Ship Management社を設立。
- 1989年(平成元年) - クリスタルクルーズジャパン株式会社(後の郵船クルーズ株式会社、大型旅客船「飛鳥」所有)設立。
- 1991年(平成3年) - ナビックスラインの定航海運会社、日本ライナーシステム株式会社と合併。
- 1993年(平成5年) - 「日本郵船歴史資料館」開館。
- 1998年(平成10年) - 旧六大海運会社の一角、昭和海運株式会社と合併。
- 2002年(平成14年) - 地球深部探査船「ちきゅう」の運用管理者に決定。
- 2003年(平成15年) - 「日本郵船歴史資料館」を「日本郵船歴史博物館」に改称し、横浜郵船ビル内に移転。
- 2005年(平成17年) - 全日本空輸との合弁会社であった日本貨物航空(NCA)を全日本空輸保有株式の譲渡を受け連結子会社化。
- 2006年(平成18年) - 陸運大手のヤマトホールディングスとの資本提携を発表。
- 2007年(平成19年) - NYK-TDG MARITIME ACADEMYをフィリピンに開校。
- 2008年(平成20年) - 太陽光発電システム搭載の自動車専用船「アウリガ・リーダー」竣工。
- 2008年(平成20年) - ノルウェーの特殊石油タンカー大手のクヌッツェン・オフショア・タンカーズ(KOT)の株式50%を取得。深海油田輸送事業に参入。
- 2011年(平成23年) - 洋上原油生産事業で合弁会社を設立。ペトロブラスに浮体式海洋石油・ガス生産貯蔵積出設備を供給。
- 2012年(平成24年) - 豪ウィートストーンLNGプロジェクトへ三菱商事と東京電力と共同参画。
事業所
2004年(平成16年)3月現在の主な事業所は以下の通り。
- 本店 東京
- 支店 横浜、名古屋、大阪、神戸、福岡、台北
- 出張所 苫小牧、室蘭、釧路
- 海外在勤・駐在・現地法人等 ニューヨーク、シカゴ、ロサンゼルス、ロンドン、パリ、ミラノ、デュッセルドルフ、シドニー、ブエノスアイレス、ソウル、香港、バンコク、シンガポール、上海他52箇所
付記
- 東京都千代田区にある同社本社ビルの屋上には、長年TBSテレビのお天気カメラ(情報カメラとも呼ぶ。リモコンによる遠隔操作式)が設置されている。皇居前広場越しに皇居や霞が関、国会議事堂など都心を一望できることから、TBSでの使用頻度は高い。
歴代社長
代数 | 氏名 | 在任期間 | 出身校 | その他 |
---|---|---|---|---|
初代 | 森岡昌純 | 1885年 - 1894年 | 薩摩藩 | 共同運輸会社出身。貴族院勅選議員、男爵 |
第2代 | 吉川泰二郎 | 1894年 - 1895年 | 慶應義塾(現・慶應義塾大学) | 郵便汽船三菱会社神戸支配人・東京支配人 |
第3代 | 近藤廉平 | 1895年 - 1921年 | 慶應義塾(現・慶應義塾大学)、大学南校(現・東京大学) | 貴族院男爵議員 |
第4代 | 伊東米治郎 | 1974年 - 1924年 | ミシガン大学 | 日本郵船上海・ロンドン支店長 |
第5代 | 白仁武 | 1924年 - 1929年 | 帝国大学法科大学政治学科 | 栃木県知事、関東都督府民政長官、内閣拓殖局長官 |
第6代 | 各務鎌吉 | 1929年 - 1935年 | 東京高等商業学校(現・一橋大学) | 貴族院勅選議員、東京海上火災保険社長 |
第7代 | 大谷登 | 1935年 - 1942年 | 東京高等商業学校(現・一橋大学) | 大日本航空初代取締役会長 |
第8代 | 寺井久信 | 1942年 - 1946年 | 東京帝国大学 | 日本郵船ロンドン支店長 |
第9代 | 市原章則 | 1946年 - 1946年 | 東京帝国大学 | 日本郵船常務、副社長 |
第10代 | 浅尾新甫 | 1946年 - 1961年 | 東京帝国大学、オックスフォード大学 | 日本郵船インド・神戸支店勤務、経済同友会代表幹事、日本工業倶楽部理事、日経連常任理事、経団連常任理事 |
第11代 | 児玉忠康 | 1961年 - 1965年 | 京都帝国大学(現・京都大学) | 日本海難防止協会会長 |
第11代 | 有吉義弥 | 1965年 - 1971年 | 東京帝国大学 | 商船管理委員会理事長 |
第12代 | 菊地庄次郎 | 1971年 - 1978年 | 東京帝国大学経済学部 | 日本船主協会会長、経済同友会副代表幹事、日本経営者団体連盟常任理事 |
第13代 | 小野晋 | 1978年 - 1984年 | 旧制府立高等学校 | 日本船主協会会長 |
第14代 | 宮岡公夫 | 1984年 - 1989年 | 海軍兵科第四期予備学生 | 日本船主協会会長 |
第15代 | 根本二郎 | 1989年 - 1995年 | 東京大学法学部 | 日本経営者団体連盟(日経連)会長 |
第16代 | 河村健太郎 | 1995年 - 1999年 | 東京大学 | - |
第17代 | 草刈隆郎 | 1999年 - 2004年 | 慶應義塾大学経済学部 | 日本経団連副会長、日本・ベルギー協会会長 |
第18代 | 宮原耕治 | 2004年 - 2009年 | 東京大学法学部 | 日本経団連副会長 |
第19代 | 工藤泰三 | 2009年 - | 慶應義塾大学経済学部 | - |
不祥事
2007年(平成19年)6月脱税が発覚、東京国税局の摘発を受ける。平成18年3月期までの7年間で約6億円の所得隠しを指摘された。このほか、申告漏れ総額は約45億円で、重加算税などを含めた追徴税額(更正処分)は約15億円に上る。
国内主要関連会社
- 郵船ロジスティクス株式会社(旧・郵船航空サービス / NYKロジスティックスジャパン株式会社)
- 郵船クルーズ株式会社
- 郵船トラベル株式会社
- 郵船商事株式会社
- 名郵不動産株式会社
- 株式会社ユニエツクス
- 郵船港運株式会社
- 郵船不動産株式会社
- ノーススタートランスポート株式会社
- 郵船海陸運輸株式会社
- 郵船情報開発株式会社
- 郵船ナブテック
- 郵船コーディアルサービス株式会社
- 株式会社郵船アカウンティング
- NYKバルク・プロジェクト貨物輸送株式会社(旧大倉財閥系で当時NKKの傘下だった旧日之出汽船が前身。その後に同社が買収して日之出郵船となり、NYKグローバルバルク株式会社を合併して現社名となる)
- 近海郵船物流株式会社
- 日本貨物航空株式会社(ANAグループであったが、2005年(平成17年)8月5日付を以て日本郵船の連結子会社となった)
- 東京船舶株式会社
- NSユナイテッド海運株式会社
- 三菱鉱石輸送株式会社
- 共栄タンカー株式会社
- 太平洋汽船株式会社
- 八馬汽船株式会社
- 旭海運株式会社
- 旭運輸株式会社
- 日本コンテナ・ターミナル株式会社
- 日本コンテナ輸送株式会社
- 株式会社日本海洋科学(旧郵船海洋科学より社名変更)
- 株式会社ウィングマリタイムサービス(旧株式会社日本海洋社より社名変更)
- 株式会社MTI(Monohakobi Technology Institute)
- カメリアライン株式会社
- 小笠原海運株式会社
- 苫小牧海運株式会社
- 株式会社ヒカワマリン
- 株式会社ジェネック
など
現在所有する船
他多数
かつて所有していた船
客船、貨客船
- 欧州航路
- 北米航路サンフランシスコ線
- 北米航路シアトル線
- 南米航路西海岸線
- 南洋航路
- 豪州航路
- 上海航路(日華連絡船)
貨物船
- 山城丸
- T型貨物船:対馬丸、富山丸など14隻
- 飛鳥丸、愛宕丸 - 日本郵船最初のディーゼル機関搭載船。
- 郵船N型貨物船:長良丸、能登丸、那古丸、能代丸、鳴戸丸、野島丸
- 郵船A型貨物船:赤城丸、有馬丸、浅香丸、粟田丸、吾妻丸
- 郵船S型貨物船:崎戸丸、讃岐丸、佐渡丸、佐倉丸、相模丸、相良丸、笹子丸
- 勝鬨丸(拿捕船)
- 箱根丸 (コンテナ船)
著名な出身者
- 根本二郎(元名誉会長) - 日本経済団体連合会名誉会長
- 寺島成信(元参与)- 日本で最初の経済学博士、海運論専攻
- 米窪満亮(元船長) - 初代労働大臣
- 前田利祐 - 加賀前田家第18代当主
- 徳川恒孝(元副社長) - 徳川宗家第18代当主
- 間宮忠敏(元副社長) - 独立行政法人国際観光振興機構理事長
- 京極高晴(元事業部長)- 靖国神社第15代宮司
- 日野西光忠(元常務)- 宮内庁宮務主管
- 松井道夫 - 松井証券社長、旧姓・務台
- 内田百間 (元嘱託) - 作家
脚注
関連項目
- 旧日本郵船小樽支店(国の重要文化財。北海道小樽市) - 館内壁面には金唐革紙(手製高級壁紙)がはられている。復元品は上田尚の製作。現在では日本画家の後藤仁を中心に復元製作されている。(後藤仁公式ホームページ「後藤 仁(GOTO JIN)のアトリエ」後藤仁公式ブログ「後藤 仁(GOTO JIN)の制作・旅日誌」]、金唐紙 財団法人日本原子力文化振興財団(2011年11月20日閲覧)、金唐紙の歴史 金唐紙研究所(2011年11月20日閲覧)参照)
- 三菱商業学校(旧慶應義塾大学分校) - 郵船設立の基礎を創る。
- 三菱商船学校(現東京海洋大学)
- 旧ワサ・ダウン住宅 - 日本郵船船員寮として利用されていた。
- みなと異人館 - 同上。
- 神戸郵船ビル
- 交換船
- 浅間丸事件
- 海運アライアンス
- ヤマトホールディングス - 資本提携
- 明朗会
- 命令航路
- クヌッツェン・オフショア・タンカーズ(KOT)
外部リンク
- 日本郵船 - 日本郵船公式ウェブサイト
- NYK Line
- 日本郵船歴史博物館・日本郵船氷川丸
- 旧日本郵船 小樽支店
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