阿波丸

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阿波丸(あわまる)

  1. 日本国有鉄道四国総局宇高船舶管理部(宇高航路)に在籍した客載車両渡船
  2. 戦前、日本郵船に在籍した貨客船。「三池丸級貨客船」及び「阿波丸事件」項を参照。

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国鉄 宇高連絡船 阿波丸
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JR四国 宇高連絡船 阿波丸

阿波丸(日本国有鉄道)

瀬戸丸型車載客船3隻の老朽取替えと、増え続ける貨客需要に対応すべく建造された伊予丸型3隻の第3船で、三菱重工下関造船所で1967年9月14日竣工し、10月1日就航した。同型船には伊予丸土佐丸と、車両渡船第三宇高丸老朽取替えのため1974年に追加建造された讃岐丸がある[1][2]。信号符字はJG2436であった。

船体下部塗色の赤は、阿波踊りの情熱を現したものとされていた。1988年瀬戸大橋線開通による宇高航路普通便の廃止により、カーフェリーに改装されインドネシアのJ・M Ferryに売却、現「Titian Murni」。

概要

伊予丸型は、全長が89.40mと大型化されたうえ、甲板室が船体全体にわたって設置されたため、旅客定員は1800名と大幅に増加した。貨車は船首積みおろしで、船内の軌道は3線。ワム27両積載でき、航海速力15.25ノットで、宇高間を60分で航行可能であった。

操舵室が1961年就航の初代讃岐丸より1層高い航海船橋に設置されたうえ、全周にわたり窓が設置され、混雑する備讃瀬戸での360度の監視が可能であった。また初代讃岐丸よりも更に前方に設置され、係船ウインチや船首防波板の開閉、ヒーリングポンプの操作もここから行われた。このため、船首部を欠落したようなユニークな船形となった。

狭隘な港内での良好な操縦性確保と、潮流の速い海域での安定した針路維持を両立させるため、船首を横方向へ振るバウスラスターと、主軸回転数一定のまま操舵室からの翼角の遠隔操作のみで、前後進、速力調節が迅速にできる可変ピッチプロペラを2基装備し、各プロペラ直後に舵を配置する2枚舵を採用したのは伊予丸型の他船と同様であった。

出力2310馬力で回転数毎分600回転の主機械が2台、2軸でマルチプルエンジンではなかったが、主軸回転数を毎分250回転に落とすため流体継手付き減速機は装備していた。

客室配置は伊予丸型の他船と同様で、客室は車両甲板の天井にあたる客室甲板と遊歩甲板にあり、客室甲板では船首側の三分の一がグリーン船室で、2人掛けリクライニングシートが並び、大きな窓から前方展望ができた。中央部の三分の一と船尾側の三分の一の2部屋は普通船室で、リクライニングしない2人掛けシートが中央部では前向きに、船尾側では後ろ向きに設置されていた。

遊歩甲板には、周囲を大型ガラス窓で囲った展望室があり、船首側三分の一はソファーのあるグリーンスペース、船尾側三分の二はベンチを置いた普通スペースであった。両舷側には廊下状の遊歩甲板が配置され、船尾部は露天甲板で、立ち食いのうどん屋があった。

なお伊予丸土佐丸では、車両甲板両舷中二階に相当する中甲板の舷側開口部船首端の形状が上方を向いており、左舷前方の非常脱出口に接近しすぎて、船体の強度上の弱点となる可能性がある、とのことで、本船と讃岐丸では、両舷とも、同部の開口形状を下方を向けた。

プロフィール

  • 総トン数:3,082.77トン
  • 全長:89.40m
  • 垂線間長:84.00m
  • 幅(型)15.80m
  • 深さ(型):5.45m
  • 満載喫水:3.70m
  • 定員:普通船室1500名、グリーン船室300名
  • 乗員:42名
  • 搭載車両:ワム換算27両(ワム型有蓋車は1両自重10t、荷重15t、車長10m)
  • 主機:4サイクル単動トタンクピストンV型排気ターボ過給機付ディーゼル機関 三井B&W1426MTBF-40V 2,310PS×2基
  • 最大速力:16.21kt
  • 航海速力:15.25kt
車両甲板、中甲板は密閉されていないため総トン数には含まれていない。
  1. 古川達郎 鉄道連絡船100年の航跡p202 成山堂書店1988
  2. 萩原幹生 宇高連絡船78年の歩みp121、p338 成山堂書店2000

テンプレート:宇高連絡船の船舶

阿波丸(日本郵船)

1945年(昭和20年)4月1日、台湾海峡で米軍潜水艦クイーンフィッシュ」により撃沈された(三池丸級貨客船及び阿波丸事件を参照)。

プロフィール