精華町
テンプレート:Infobox 精華町(せいかちょう)は、京都府の南西端に位置する町。
目次
概要
関西文化学術研究都市の地理的な中心であり、国立国会図書館関西館、ATRなどがある。エビイモ、万願寺とうがらし、イチゴが特産。もともと京田辺市、木津町、精華町の関西文化学術研究都市3市町の合併で10万人の新市になるよう住民投票する予定で京田辺市長も賛成だったが、木津町、精華町の両町長の反対で合併ができなかった。
地理
西の京阪奈丘陵と東の木津川に挟まれ南北に延びる地帯である。京都府の南端を占め、東側は木津川市・北側は京田辺市・西側は生駒市・南側は奈良市に接しており、奈良県の県境に位置する町であり、大阪府には接していないが京田辺市・生駒市を介して僅か2km先に大阪府枚方市・交野市域がある。
東側は木津川沿いの農業地帯、南部と西部は丘陵地にある住宅地である。[1]
- Sakuragaoka2 Seikatown Kyotopref.JPG
開発された丘陵
(桜が丘2丁目)
人口
町制施行後初めて行った1955年10月1日現在の国勢調査では9,452人であった。その後やや減少し、1960年10月1日現在の国勢調査では9,372人であったが、以後は増え続け、更には関西文化学術研究都市として、大阪市や京都市、奈良市などへのベッドタウンとして丘陵が宅地開発されてきたことから人口流入が増え1995年4月1日に22,329人と2万人を超え、2002年4月1日に31,262人と3万人を超えた。また、平成17年実施国勢調査速報値によると、人口増加率は29.9%と全国の他の市町村を大きく引き離して1位である(平成17年度に34540人)。特に1995年から2005年までの人口が急激に増加している。[2] [3] [4]
平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、4.08%増の35,633人であり、増減率は県下26市町村中3位、36行政区域中4位。 テンプレート:人口統計
面積
- 25.66km²
気候
歴史
1889年、市制町村制の施行により、現在の精華町の区域に旧来からあった村が再編成されて相楽郡狛田村、祝園村、稲田村、山田荘村が置かれた。1931年、狛田村、祝園村、稲田村の3村が合併して川西村が成立した。
戦後昭和の大合併により、相楽郡でも合併が検討された。1949年2月、京都府自治制度調査委員会によって出された町村合併の試案によると、相楽郡の合併の組み合わせはいずれも新制中学校の区域に基づいたものであった[5]。相楽郡北西部では精華中学校の区域である川西村・山田荘村・相楽村の3村の合併が検討された[5]。最終的に相楽村は木津町との合併を決定し、川西村・山田荘村の2村合併となったが、ともに精華中学校を運営している仲間の村々ということが強く意識され、1951年4月、精華中学校の名を由来とする精華村が誕生することとなった[6]。(精華中学校の名称は戦前の精華高等小学校に由来している[7]。精華高等小学校の「精華」は、1890年(明治23年)10月30日に発布された教育勅語の「国体の精華」(日本の国の最も美しい美点)という一節からとられたものである[6]。詳細は精華町立精華中学校を参照。)
1951年の合併の際に町制施行の希望があったが、合併が短時日のうちに進められたことにより実現されなかった。その後も風水害の復旧工事などもあり、町制施行は見送られたが、1953年に町村合併促進法が出され、精華村は町制施行の機運をより高めた。1954年7月、新町村建設計画に基づく町制実施の基本方針が立てられることになり、翌1955年2月10日に区長会で町制実施の計画が明確に出され、2月23日には村議会全会一致で可決、町制施行促進委員会が設けられ、府会の議決を経て、4月1日に町制施行し、現在に至る。
年表
- 1889年(明治22年)4月1日 - 狛田村・祝園村・稲田村・山田荘村発足
- 1931年(昭和6年)10月1日 - 狛田村・祝園村・稲田村の3村が合併して川西村成立。
- 1951年(昭和26年)4月1日 - 山田荘村と川西村が合併して、精華村成立。
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 町制施行。人口9452人(1955年国勢調査)
- 1968年(昭和43年) - 「こどもを守る町」を宣言する。[8]
- 1971年(昭和46年)10月 - 町章を制定する。[9]
- 1977年(昭和52年)1月20日 - 電話市外局番を077484から07749-4へ変更(山田、柘榴、乾谷は07747で変更なし)
- 1987年(昭和62年)12月 - 精華町非核・平和都市宣言を宣言する。[8]
- 1995年(平成7年)1月1日 - 電話市外局番を0774へ統一。
- 2012年(平成24年)7月10日 - 京都府内で初めて、全小中学校にドライミストの発生装置を取り付けた[10]。
地域
町名と郵便番号
町名 郵便番号 町名 郵便番号 町名 郵便番号 乾谷 619-0233 下狛 619-0245 菱田 619-0246 植田 619-0236 菅井 619-0242 祝園 619-0241 北稲八間 619-0244 精華台 619-0238 祝園西 619-0240 桜が丘 619-0232 光台 619-0237 南稲八妻 619-0243 柘榴 619-0234 東畑 619-0235 山田 619-0231
行政
町長は木村要。町議会構成員は21名。
産業
産業人口
区分 調査年 産業人口 比率 第1次産業 2005年10月1日
第18回国勢調査490人 3.14% 第2次産業 3,487人 22.35% 第3次産業 11,365人 72.85%
農業
- イチゴが特産である。
商業
- せいかガーデンシティ
- アピタタウンけいはんな(2005年(平成17年)11月3日にユータウンけいはんなとして開店[11])
- けいはんなインターネット研究会
- 株式会社タイムドメイン
- 株式会社けいはんな - 2007年11月30日府出資の第3セクター初の破綻。負債109億円。
工業
- 国際電気通信基礎技術研究所 (ATR)
- NTT西日本京阪奈ビル
- パナソニック先端技術研究所
- 独立行政法人情報通信研究機構 (NICT) けいはんな研究所
- 京セラ中央研究所
- 大川センター
- 島津製作所基盤技術研究所(けいはんな)
精華町に本社のある企業
- アクティブリンク
- タカコ
- サイレックス・テクノロジー
姉妹都市・提携都市
- テンプレート:Flagicon アメリカ合衆国オクラホマ州ノーマン市(友好都市宣言が2000年10月に調印され、2005年9月に姉妹都市提携が結ばれた)
教育
2012年7月10日に京都府内で初めて、全小中学校にドライミストの発生装置を取り付けた。[10]
大学
- 京都府立大学精華キャンパス
高等学校
中学校
合計生徒数897人(2004年5月1日)
小学校
合計生徒数2472人(2004年5月1日)
特別支援学校
京都精華大学および京都精華女子高等学校は京都市左京区に所在し、精華町とは無関係である。
交通
鉄道
道路
高速自動車国道
- 路線なし
一般国道
主要府道
一般府道
バス
施設
- 精華町立総合体育館
- 祝園分屯地
- 打越台環境センター
- Seikatown gymnasium.JPG
精華町立総合体育館
- Uchikoshidai environmental Center.JPG
打越台環境センター
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
旧跡
レジャー
- 花空間けいはんな(京都フラワーセンター) - 2009年3月31日閉園。同4月1日付にて京都府農林水産技術センター生物資源研究センター研究ほ場となるが、2010年9月閉所。2011年4月27日から京都府立大精華キャンパスとなり、公園部分は以前と同様一般公開をしている(休止日あり)。|
- 私のしごと館 - 2010年3月31日で閉館。その後買い手がつかず、現在は国有財産になっている。
- けいはんな記念公園
観光
祭
- いごもり祭(祝園神社、1月)
精華町出身の有名人
参考文献
- 精華町史編纂委員会『精華町史(本文編)』1996年
- テンプレート:Cite book
脚注
関連項目
外部リンク
テンプレート:Navbox- ↑ 1.0 1.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 2.0 2.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 3.0 3.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 4.0 4.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 5.0 5.1 精華町史編纂委員会『精華町史(本文編)』800-801頁,1996年
- ↑ 6.0 6.1 精華町『広報せいか No.410(1997年5月号)8頁』1997年5月
- ↑ 精華町史編纂委員会『精華町史(本文編)』797頁,1996年
- ↑ 8.0 8.1 テンプレート:Cite web
- ↑ 図典 日本の市町村章 p150
- ↑ 10.0 10.1 テンプレート:Cite news
- ↑ “ユーストア、京都府下に初出店 大型SC「ユータウンけいはんな」オープン”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2005年11月11日)