『ぷっ』すま

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テンプレート:JIS2004 テンプレート:基礎情報 テレビ番組『ぷっ』すま 』は、テレビ朝日系列放送されている深夜番組草彅剛SMAP)とユースケ・サンタマリア(2人合わせて、通称:“彅スケ”)が、毎回ゲストと一緒に、いろんな対決で競い合うバラエティ番組である。司会進行は、主に同局アナウンサー大熊英司が務めている。1998年10月5日放送開始。2012年現在、放送年数15年目・放送回数600回を超えている深夜の人気長寿番組である。開始から2011年9月27日まではネオバラエティ枠で放送されていた。

概要

開始から半年間は月曜23:25(日本時間、以下も同じ)から30分間だったが、『ナイナイナ』の終了に伴い、1999年4月から火曜23:25からに移動、2000年4月より23:09から45分間、(ただし『大相撲ダイジェスト』放送期間中は30分間。2001年10月から23:15からに)、2002年4月より23:15から55分間(現行で『大相撲ダイジェスト』期間中も変化なしだった)と様変わりしている(いずれもテレビ朝日基準)。そして2009年10月改編で放送時間が5分拡大されて、23:15から24:15の放送となる。

2004年10月に発行されたオリコン・エンタテインメントで全世代から支持されている深夜番組第1位となり、2009年10月のオリコン「好きな長寿番組ランキング」には10位にランクインしている。[1]

最高視聴率は2005年4月5日放送のギリギリマスター85分スペシャルで16.3%(ビデオリサーチ調べ)。ちなみにその時のゲストは、銭形金太郎スペシャルの番宣で来ていた堀内健ネプチューン)と土田晃之

毎年12月の最終放送には総集編が放送され、最後に準レギュラーの江頭2:50が登場し、セットの破壊行為や女性ADに対するセクハラ行為などの暴走をすることが恒例となっている。

企画はほとんどの場合、スペシャルを除き、1回に1つ(社会科見学ツアーなどは、「ここ1当てまshow」や「物件拝見トレジャーバトル」も行うことがある。)、また企画終了宣言は基本的に告知されず、自然消滅的にフェードアウトする。はっきりと終了宣言がされたのは「普通免許一発合格への道」で、この企画では、目的も達成し、華々しい最後を飾った。ほかには、「目指せ味覚の王様!THEグルメ舌(タン)」など。

以前は多大な自腹金額の支払い(最高で車1台分)や、危険なゲーム・罰ゲームを売りにしていた。「A級ライセンス取得への道」「ビビリ王」「ギリギリマスター」など、過激で危険なゲームが増えていく一方だったのだが、『西部警察 SPECIAL』の撮影中の事故が起こって以降、自粛気味になり、「ギリギリマスター」は危険なチャレンジが減少し規模縮小、「ビビリ王」は年1、2回の放送になり、「A級ライセンス取得」への道は企画自体が打ち切られた。しかし「ギリギリマスター」と「ビビリ王」は、規模縮小されてもなお、企画の中で、1、2位を争う人気企画である。現在、罰ゲームは精神的ダメージが大きいものにシフトしている。

この番組はネオバラエティの中でも長寿の域に達しており、ほかの番組が打ち切られたり、また、ゴールデンに昇格する傾向にある中、特番を除いて一貫して深夜での放送を続けている。また、彅スケやスタッフも、「特番を除いてゴールデンには昇格させたくない」と思っている。

番組初期は地方ロケなどもたびたび行われていたが、彅スケが多忙かつユースケの病弱体質を考慮してか、最近は都内ロケまたはスタジオ収録の傾向が強かったが、2008年11月18日11月25日にはひさびさの地方ロケが放送され(ちなみに2回とも静岡県富士宮市で前半・後半編成。この回のゲストは眞鍋かをり木下優樹菜)、彅スケ曰く、「9月に放送された総集編で、初期の映像を見てロケ企画を考えたんじゃないか?」と発言もあった。これ以降、たびたび、ロケ企画が復活し出すこととなる。

2007年12月までは『ネオバラエティ』枠では、唯一、4:3標準画質で放送されていたが、2008年1月2日のスペシャルからハイビジョン制作となり、同年1月8日からレギュラー放送もハイビジョン放送になった。

以前この番組では次回予告をしておらず(関東地区のみ前日の『雑学王』のエンディング後に15秒CMで企画内容を予告する程度[2])、エンドロール後、すぐに終了となり、当時は予告を知りたい場合は、番組ホームページや番組表などでチェックするしかなかった。2009年10月より、エンディングの提供部分の上下の横長のテロップ表示による次回予告がされるようになった(それ以前は2008年の一部放送、また企画を2週に渡って放送された2008年11月18日放送分・2009年5月19日放送分、以降は放送が必ず二週にわたる「日帰りアルバム旅行」の前編放送時に次回予告が放送された)。 収録は、基本的に、隔週火曜日に2本撮りで行っている。2009年6月2日放送分は放送2日前(5月31日日曜日)に収録された。 2009年4月23日に草彅が公然わいせつで逮捕されたことによる芸能活動自粛の影響で、4月28日放送分から草彅は一時的に出演を控えた。なお、4月28日放送分では、ユースケやゲストだけが映った過去の放送を流し、草彅は映らないように編集して放送した。6月2日放送分より復帰、放送内容は4月28日に放送予定だったものである。

番組の比較的初期から、番組の開始数分の間に2度CMを挟み、その後約35〜40分間一度もCMが流れない(あるいは開始直後の1度だけCMを挟み、その後約35〜40分間一度もCMが流れない)という時間編成を長期に渡って維持しており、同じネオバラエティの『アメトーーク!』・『シルシルミシル』などでも、類似した編成が見られる。

2011年4 - 9月期の平均視聴率は11%台と依然好調を維持していたが[3]、同年10月の改編によるネオバラエティ枠の再編に伴い、1999年4月から12年半続いた火曜ネオバラエティ枠から降格されることとなり、毎週金曜日24:50 - 25:20に移動するほか、放送時間も30分に短縮されることになった[4]。また、放送時間移動後も字幕放送が実施されており、テレビ朝日の24時以降の深夜帯では唯一の字幕放送対応番組となる。

番組の歴史

  • 2005年1月2日 爆笑問題をゲストに迎えて「ギリギリマスター」を、番組初の生放送で放送。
  • 2005年5月3日 放送300回達成。特別企画を期待していた草彅とユースケだったが、「芸能界ビビリ王決定戦」と聞いて、一気にテンションが下がった。なお、放送200回の時はスタッフも忘れていて、普通に放送された。
  • 2005年10月 ゲストがますだおかだの回で、収録が延びて増田英彦(ますだおかだ)のラジオ生番組の時間が迫っていたため、最終ゲームを残した所で、急遽、ゲスト交代というハプニングがあった。代役として駆り出されたのは、たまたま楽屋にいた川田広樹ガレッジセール)だった。川田は、最終ゲームに見事勝利し、優勝した。
  • 2006年1月2日 昨年に引き続き、2回目の生放送に挑み、爆笑問題がギリギリマスターのリベンジに挑戦した。なお、この放送からタイトルロゴが立体的になり、一部の効果音が新しくなった。また、その日で放送8年目を迎えた。
  • 2007年6月26日 放送400回目となったが、出演者はそれに気づかず、普通に、「物件拝見トレジャーバトル」を行った。スタッフが知ったのは、エンドロールの前で、出演者はエンドロールの途中に知らされた。
  • 2007年10月2日 10年目の突入となったが、これも出演者に教えておらずエンドロールの時に大熊アナから発表された。しかし、実際は翌週から10年目突入となった。
  • 2008年1月2日 この新春SPからハイビジョン放送に移行。それに伴い、ゲームセンターの車のゲームをモチーフとした、オープニングCGに変更された。
  • 2009年4月28日 草彅が一時出演を控えた影響で過去に行われた「物件拝見トレジャーバトル」の総集編と称して、「住んでみたい家ベスト10」が放送された。ベスト10は全てユースケチームの巡った物件から選ばれた。また、最後には、ゲストの江口洋介りょうが登場したが、草彅登場シーンカットのため、番宣のみが流されるという、異例の放送となった。
  • 2009年5月 草彅不在のまま通常の収録を行い、放送した。
    • 5月5日 冒頭の会話でユースケがいつもの口調で「ツヨシがやらかしまして」と草彅について触れ、「早く帰って来いよ!待ってるから」とエールを送った。次週以降も引き続き草彅に時々語りかけた。ユースケのこの対応はテレビ証券より「今回の不祥事をさまざまな番組が色々な形で謝罪したが最も良かったのがそれだった。重くなりがちな不祥事の謝罪をいかにして番組色を出して伝えるかが大事」と高く評価された[5]
  • 2009年6月2日 草彅が復帰、冒頭でユースケに土下座をした(また実際の謝罪会見時を彷彿とさせるスーツ姿だった)。その後は、草彅不在時に収録・放送された企画の1つである「ぶっつけ本番ハイスクール」のご当地グルメ問題に草彅が挑戦するオープニング[6]の後、今回の一件で放送が控えられた本編(江口洋介とりょうをゲストに迎えた「新・記憶力絵心クイズ」など)を、放送する構成だった。その後の放送回は草彅が一時出演を控える前に収録した放送を4週に渡り放送した。
  • 2009年6月30日 放送500回[7]となり、上記の400回目と同様に、出演者はエンドロールの途中に知った。
  • 2009年11月3日(第518回) オープニングがジェットコースターをモチーフとしたCGに変更、さらに字幕テロップなどもリニューアルされた。
  • 2011年6月28日 放送600回になったが、番組内ではそれについて全く触れられなかった。
  • 2011年9月27日 火曜ネオバラエティ枠最後となる生放送だった。しかし、当日で当番組のネットを終了する朝日放送では、従来通りに1時間15分遅れの時差ネットで放送。そのため、放送中は「関東地区で23:15〜放送されたものです」というテロップを画面の右上に表示していた。

番組進行

番組の初めには、必ずと言っていいほど、ユースケと草彅が小芝居(「偶然に居合わせた」など)をする。長時間やっているようだが、特にオチもなく、グダグダ感で終わってしまうため、フルにオンエアされることは一切ない。

ゲストは、たいてい2組で2人(ときどき、ゲスト1人とお笑いコンビ1組で3人、またはゲスト2人と「助っ人」土田晃之天野ひろゆきなどのサポート役を含め、3人の時がある)で、ゲームにより「草彅対ユースケ対ゲストチーム」(2002年5月14日放送)「彅スケチーム対ゲストチーム」、「草彅チーム対ユースケチーム」、「個人戦」の4パターンがある。ゲームは基本的に、3回か4回勝負で行われるが、チーム戦で、ポイントで最終戦前に勝敗が決まってしまっている場合は、最終戦で勝つチャンスを作るため、負けているチームが頼み込んで、勝っているチームの要求(ものまねであることが多い)を受け入れなければならない。

ゲストがこの番組で出演番組や映画の宣伝をするためには、ゲームに勝たなければならず、番組開始時に、必ず2人がPRを止めに入るオチがある。複数回戦の場合は、1回勝つ毎にPRタイムの10秒 - 15秒がもらえる。ビビリ王の場合は、最下位でなければ良い。これは鉄の掟となっているが、PRタイムが得られなかったゲストには、彅スケが、必ず、何かを要求(大半はものまね)し、それに答えれば、15秒間のPRタイムがもらえる。ゲストの頑張りによっては、ユースケがお情けで15秒間のPRタイムを与えることもある。ただし、彅スケら本人が出演する番組に関しては、自由にかつ積極的に番組宣伝をしている(SMAPメンバーが出演する番組の場合は主に草彅がやっている)。

罰ゲームは、敗者に行うのが普通であるが、内容によっては勝者でもやることがある。大熊アナもやらされたことがある。また、その内容は、大きく分けて、肉体的にダメージが来るもの(電気ショック、落とし穴、ロシアンなど)と、精神的にダメージが来るもの(モノマネ、一発芸、即興作詞など)に分かれる。どちらかといえば、後者が多い(特にモノマネと一発芸は相手が納得するまで続けさせられるというルールであることが多い上、むちゃ振りも多いため、なかなか終わらないこともある。また、編集でカットされているだけで、実際はもっとやらされている可能性もある。過去にユースケが、「このままじゃラチが明かないかもしんない。」と言っていることもあり、多くの場合、モノマネが罰ゲームの際は悲鳴があがる)。後者の罰ゲームをやらされた大熊アナは、後に、「初めて心臓が痛くなるということを経験した」と語っている。

また、エンドロール後に、草彅(極稀にユースケ)とゲストの一人によるショートコントを行い、番組を締めるのが恒例となっている。ネタ合わせは草彅主導で行われるが、一時期、特にネタが思いつかなかったとき、草彅が「○○〜、○○〜」とゲストの名前を歌いながら、ゲストが「俺の歌が聞こえる」と返す、通称「俺の歌シリーズ」が行われていた。なお、この「俺の歌」は、ケンドーコバヤシがゲストで出演した際に、草彅がケンコバの歌を歌ったとき、「お、俺の歌が聞こえる!」と発言したのが始まりである。

彅スケの気だるさからか、1時間の番組だが、収録する時には約5倍の時間がかかっている(これは、2005年5月24日の放送で、和田アキ子が「巻き(業界用語で「急ぐ」の意味)だよ!」と発言したことから判明)。過去には、収録が朝の5時30分までかかったこともあり、その時出演していた土田晃之は、「午前5時に丸太を切る仕事をしたことがある」という話を、ネタとして有効活用している(2009年12月15日の放送ではゲストに来た土田が、新企画「あの人のコメント当てましょう!リポーターリポート!」(ある有名人が挑戦したリポート内容を、どれだけ正確に穴埋めできるかを競い、リポートした人物と同じことを体験し、そのリポート内容を予想、正解すればそのつど、設定したポイントをゲットできる)のコーナーに対し、「明け方に丸太切るより楽ですもんね」と発言した)。丸太の件以来、長時間収録の可能性がある企画のとき、ユースケがゲストに、「過去、1本の収録に10時間以上かかって、朝方帰ったことがある。」などと説明することがある。また、彅スケが、グダグダなコントやトークをするため、なかなか先に進まないこともある。さらに、ゲストが彅スケと仲のいい場合、ゲストまでもがグダグダ感に加わり、さらに進行が遅れてしまうこともある。あげくの果てに、放送できないシーンでもないのに、お詫びのテロップが放送されたことさえある。

また、この番組にはツッコミ役の人間がおらず、ナレーション(字幕)がその役割を担っているため、スタジオはかなりグダグダな空気になっているらしい[8]

恒例のシチュエーション

毎回恒例なのが、草彅による「イタズラ」である。

  • 爬虫類系の動物(ヘビやイグアナなど)が登場すると、草彅が手に持ち、ユースケやゲストを追いかけ回し、スタッフを含め、スタジオ中がパニックになる。
  • 罰ゲームが電気ショックの時は、草彅の側に電気ショックの装置があり、スイッチを勝手に操作して、全員(押している本人も含む)に強烈な電気を流すイタズラをするのがお約束となっている(しかし、草彅は電気が大の苦手)。「スイッチがちゃんと入っているか確認する」と言っておいて、電気の強さを最強にしたりもする。
  • 「ギリギリマスター」のゲームが破裂系になると、次第に破裂が近づいてきたところで、側にある装飾用の風船を割り、周りを驚かせる。

草彅が好奇心旺盛に行動し、遊び盛りの少年のようだったり、お菓子を目の前にしてテンションが上がったり、ゲームなどの豊富な知識を披露すると、ナレーションやテロップで永遠の5歳児と称されることがある。

草彅が運動系で活躍すると、ユースケが「剛はダンスやってるから」と“ダンス万能説”を頻繁に唱えるのがお決まりとなっている。

草彅が所属するSMAPの所属事務所であるジャニーズ事務所所属のタレントがゲスト出演した場合、草彅は「先輩(後輩)」とテロップが表示されることが恒例となっている。その時、近藤真彦東山紀之のような大御所レベルの草彅の先輩は、「大先輩」と表示される。

草彅は、「人気急上昇中」という触れ込みで登場した若手芸人に対して、何の躊躇もなく「全然知らない」と発言したり、ネタや一発ギャグを披露しても笑わない、挙句の果てに「全然面白くない」と罵倒するなど、相手が狼狽するほどの仕打ちを浴びせることから、「芸人キラー」と呼ばれ、お決まりの展開となっている。

罰ゲームで、ものまねや即興作詞のときに彅スケチームがやらされて、かつ、ゲストチームが一向に納得しない場合は、ユースケが「じゃあ、そこまで言うんだったらお手本を見せてくれよ」と、言って相手チームに行わせることが、番組恒例の洗礼と称し、行っている。その逆もある。

対決の結果、下位に沈んだ場合は料理にありつけない(もしくはあからさまに量が少ない)。それを下位が直訴すると上位が「じゃあ、何かモノマネ(芸人では一発ギャグ)をやってもらって面白かったら…」と言う流れになる。しかし、ほぼ十中八九スベり、そこから発生するスベり笑いがツボに入って料理にありつくことがある。

以上のように彅スケが、他出演者に一発ギャグやモノマネを振る際には、ほぼ必ずテロップでは彅スケを指して「極悪MC」と表示される。

最近のエンディングはユースケのむちゃぶりで草彅とゲストのコントで締めくくる(行われない場合あり、まれにユースケがやる場合もあり)。ほとんどの場合、グダグダ感、および妙に冷めた空気で終了してしまうので、ユースケが適当なタイミングで、「バイバイ」や「バイナラ」といって番組を締めることが通例となっている。また、コント開始時にユースケが打ち合わせを無視して、勝手なタイトルを付けようとすることも多い。ロケ企画や草彅一時出演休止時には、コントは行われていない。

ユースケは女性ゲスト(自分より年下)や「彼女が水着に着替えたら」に出てくる女性に対しては下の名前+ちゃん付けで呼んでいる。

出演者

レギュラー

番組自体がかれこれ15年も続いているため、コンビ歴は2013年現在で15年ということになる。そのため、企画でコンビプレイを見せた際には「これが○○年目のコンビがするコンビプレイです!!」とナレーターに言われる。

  • 大熊英司(テレビ朝日アナウンサー、進行)
    • 2001年4月から出演。地方ロケ企画の場合や、「彼女が水着に着替えたら」などのときは、出演しないこともある。最近では、実験台として参加する場合もあり、そのときに出す「大熊シャウト」は有名。

企画レギュラー

  • 島本真衣「あの子が水着にきがえたら」ほか

過去の企画レギュラー

  • 武内絵美(「あの子が水着にきがえたら」)
  • 龍円愛梨(「あの子が水着にきがえたら」)
  • 前田有紀(「あの子が水着にきがえたら」「物件拝見トレジャーバトル」ほか)

メイン司会は、草彅とユースケの2人となっているが、実際上は番組内での対決企画でゲストと競う立場に立っていることから、番組の進行全般を大熊が担当している。それゆえ、「司会者が司会をしない番組」と揶揄されることもあるが、本人達は、それすらもネタにしている。

ユースケが体調を崩し、何週間か連続で番組を休むことがあった。原因は、「ココ1当てましょう」や「カロリーファイター」による過剰な食物摂取と運動によるもの。その際江頭に進行を頼むも、2週目以降は現れなくなり、結局草彅と大熊の二人で進行していた。ユースケは2004年1月頃から数週間ほど休んでいたときは、草彅が1人で進めた。また、2006年2月に草彅がインフルエンザにかかり、この番組を含む出演する全ての番組を休んだ。なお、草彅が復帰した週からは、大熊がトリノオリンピック取材のため3月28日の放送まで休んだ。そのときは、ほかのアナウンサーが進行した。

2009年4月23日に草彅が起こした不祥事によって、予定されていた放送は自粛。レギュラー放送は草彅が写らないように編集された。翌週からはユースケが1人で司会を進めた。

準レギュラー

  • 江頭2:50
    • 諸事情により、出演率が少なくなる年もあるが、年一回は必ず出演する。また番組企画により、一瞬だけ、「正式レギュラー」だった事がある。主に、「ギリギリマスター」、「物件拝見トレジャーバトル」、「ビビリ王決定戦」に登場。草彅の因縁のライバルとしても知られている。「ギリギリマスター」では、橋渡しやロングダンクシュートなどの挑戦者として、成功する度に“ドーン”の声と共に、伸縮性の良いタイツに差し込んだ腕を股間部分から突き上げ、気持ちの高ぶりを表現。「ドーン教開祖」と言われ、ゲストや彅スケらは「ドーン信者」と呼ばれている。これまで数多くの奇跡(周囲の予測を遥か超えるハプニング)を巻き起こしており、テロップでは「神話創造」と称される事があるほど。「ドーン教」の表現が初めて使用されたのは、2006年11月14日放送分の「ギリギリマスター」(ゲストが田中麗奈品川庄司のときであり、これ以後「ギリギリマスター」で危険な企画の際には必ず出演するようになり、2007年2月28日放送分(ゲスト:北陽)での「ギリギリマスター」で、「神話創造」の表現が使用され、江頭の新たなキャラクターが確立された。また、「物件拝見トレジャーバトル」では、仕掛け人側として、その物件の住人として出演する。江頭が持っている宝箱を賭けた、簡単なゲームを行う。
    • ユースケがインフルエンザに感染したため1か月ほど休養、それに伴う代理の司会をしたことがある。しかしその際、正式なクイズの勝手に慣れていなかったのもあって一発で正解してしまった為罰ゲームを受けられない(「おいしい展開」をわざわざ自ら見過ごす)という大失態を連発、その回の最後には「ユースケ!頼むから早く帰ってきてくれ!!」と懇願した。数週後の「物件拝見-」でユースケ側の仕掛け人として登場、この回について「不評だった、不評だった!!」「またユースケが休みだったら、本当にどうしようかと思ったけど、声が聞こえた瞬間に何よりも安心した!」と語った。また、番組によるとこの代理司会で苦渋を舐めさせられたトラウマで、「レギュラー交代を直訴することが全く無くなった」。
      • ちなみに江頭が同様な事態に陥ったのは同じく準レギュラーとして出演している『めちゃイケ』の第8回抜き打ちテスト企画で山本圭一が不祥事で吉本を解雇になったために山本の代わりにテストを受けさせられた[9]時であった。この際にも、バカ解答をいじられようとわざとウケを狙った解答をしていたが、結局どれも面白くなかったために一つもいじらないまま終わり、「これ、何が楽しいんだよ!?」と結果発表直前に大暴れし、順位は12人中5位と、好成績で終わってしまった。また、この回は歴代の抜き打ちテスト企画の最下位の者が全員集合した回であったため、みんなを笑わせようとした江頭が逆に歴代おバカさん達に笑わされることとなった。
    • 去って行く際には「バイトの時間だ」と言って去って行く。
    • 一度江頭抜きでこれまでの江頭名場面を集めた総集編を行ったことがあり、その際彅スケから「ギリギリマスターでのチャレンジの際は1時間前から入念にストレッチをしており、常に全力で挑んでくれる」といった裏話を暴露し、そのことを電話出演した江頭に話したところ「パッっと来てスマートに成功するよう見せたいから営業妨害だ」と怒った。

主な企画

テンプレート:See

スペシャル

  • 1999年3月26日 「木村拓哉を『ギャフン!』と言わせてやるスペシャル」
    • 『ぷっ』すま初のゴールデン84分スペシャルを放送。
  • 1999年10月15日 「香取慎吾は『ギャフン!』と言わせてやるスペシャル」
  • 2000年12月26日 「世紀末バースデー芸能人乱入スペシャル!!」
  • 2002年12月17日 「ビビリ王 超豪華芸能人 キングオブチキン決定戦スペシャル」
  • 2003年12月23日 「『ぷっ』すまクリスマススペシャルin北海道」
  • 2004年8月31日 「ギリギリマスター!芸能界寸止め王決定戦スペシャル」
  • 2005年1月2日 「挑戦!『ぷっ』すま生放送 正月からギブア〜ップスペシャル」
    • 無謀ともいえる新春生放送を実施。
  • 2005年2月8日 「彅スケvsジャイアンツvs香取慎吾&日本代表 絶対に負けませんスペシャル」
  • 2005年4月5日 「ギリギリマスター拡大版85分スペシャル」
  • 2006年1月2日 「謹賀新年!生『ぷっ』すま 何が起こるか予測不能 5時間無謀の生放送スペシャル」
    • 前年に引き続き、新春生放送を実施。この回から、タイトルロゴがリニューアルされた。
  • 2006年10月2日 「超『ぷっ』すまvs美女100人!男と女の修羅場&マル秘セレブ御用達グルメ 解禁スペシャル!!」(月バラ!枠)
  • 2007年1月2日 「超『ぷっ』すま 猪突猛進!ドラマの主役達ビビリまくりスペシャル」
  • 2007年3月27日 「試して足して THE体感チャレンジクイズスペシャル!!」
  • 2008年1月2日 「超『ぷっ』すま 正月早々!松も米倉も深キョンも韓流スターもぶっつけ大本番スペシャル!」
  • 2008年9月29日 「超『ぷっ』すま!祝10周年 金メダリストも芸人も女優も東国原も大集合 異種!!格闘技戦だスペシャル」
    • 10周年記念という事で、番組中盤に、「栄光と挫折の10年間」をオンエア。
  • 2009年10月6日 「超『ぷっ』すま 人気者だらけの3時間!秋の大豊作スペシャル!!」
    • 『ネオバラ祭り』の一環で3時間スペシャルと、23時15分からの通常放送を合わせて、計4時間の放送になる。
  • 2010年3月30日 「超『ぷっ』すま!! 春の京都!!芸能人&食通が教える超穴場グルメ人気No.1&超有名企業のウラ側すべて見せますSP!!」
    • 前回同様『ネオバラ祭り』の一環で3時間スペシャルと、23時15分からの通常放送を合わせて、計4時間の放送。
  • 2011年12月30日 「『ぷっ』すま 2011 話題となったあの人やこの人の見たことない姿を見てみたいスペシャル!!」
    • 時間短縮並びに放送時間移動後の初の特番であり、長崎文化放送・大分朝日放送を除く本番組ネット局と、本番組非ネットの長野朝日放送・琉球朝日放送(当時)のANNフルネット21局では24:20 - 25:50に同時ネットで放送。但し、長崎文化放送は24:30 - 26:00に同時ネット局から10分遅れ、大分朝日放送は翌日10:15 - 11:45に放送され、朝日放送は、本放送から3ヶ月後の2012年3月30日25:36 - 27:11に放送された。
  • 2012年12月28日 「超『ぷっ』すま 年末スペシャル 豪華ビビリ王決定戦SP!」
    • 24:00 - 25:30(29日0:00 - 1:30)に放送。相武紗季小栗旬をゲストに迎え、「ビビリ王決定戦」に挑戦した。
  • 2014年3月8日 「鎌倉のスペシャリストになるための『ぷっ』すま鎌倉部!」
    • テレビ朝日のみで14:30 - 17:25に放送された。

スタッフ

  • ナレーター:伊津野亮
  • 構成:すずきB、町田裕章、藤井靖大、カツオ
  • カメラ:石毛雄己・神尾淳(スウィッシュ・ジャパン
  • 音声:渡邊拓(スウィッシュ・ジャパン)
  • VE:武藤康広(スウィッシュ・ジャパン)
  • 照明:根建康広(プログレッソ
  • 美術:森つねお、奥田裕美(テレビ朝日クリエイト
  • タイトル:安田達夫
  • ヘアメイク:下山麻衣子、天野郷子(山田かつら
  • スタイリスト:横田太樹
  • 編集:林芳宗・最上昌哉(IMAGICA
  • MA:阿左美茂樹(IMAGICA)
  • TK:草野麻里(M&M)
  • 音効:小沼圭・吉田達朗(TSP
  • スタイリスト:横田太樹
  • 編成:松瀬俊一郎(テレビ朝日)
  • 宣伝:平野三和(テレビ朝日)
  • 協力:ジャニーズ事務所
  • ディレクター:加藤貴大、白野勝敏、塚田正道、藤野義明
  • チーフディレクター:鎗野貴生(K-max)
  • 演出:飯山直樹(K-max)
  • プロデューサー:荻野健太郎(テレビ朝日)〔2013年7月12日から担当〕、小西寛(K-max)、菊池貴也(K-max)
  • ゼネラルプロデューサー:奥田創史(テレビ朝日)〔2012年7月から担当〕
  • 制作協力:K-max
  • 制作著作:テレビ朝日

過去のスタッフ

  • 構成:おちまさとそーたに鈴木おさむ渡辺勝彦、張眞英、安部裕之、たかはC、松田幸三
  • エグゼクティブプロデューサー:青山幸光(テレビ朝日)
  • チーフプロデューサー→ゼネラルプロデューサー:澤將晃、山本隆司、河口勇治、奥川晃弘(テレビ朝日)
  • プロデューサー:工藤浩之(K-max)、金澤美保、渡辺実、松本能幸、友寄隆英[10](テレビ朝日)
  • ディレクター:鷹中亮介(K-max)、金澤美保(テレビ朝日)、佐々部龍太
  • AP:平出聡・志水大介(K-max)、内久保智子、山ノ内禎枝
  • 編成:吉村周(テレビ朝日)
  • カメラ:辻稔
  • 小道具:塚谷将朗・益子尚正・宮本恵美子(テレフィット
  • 美術進行:廣澤陽子・小笠原吾郎(テレビ朝日クリエイト)
  • VTR編集:大橋一明、松沢章
  • 音効:高橋直幹(TSP)
  • スタイリスト:梶原浩敬、黒澤彰乃、田中ゆうこ

ネット局と放送時間

放送対象地域 放送局 系列 放送曜日・放送時間 放送開始日 放送日の遅れ
関東広域圏 テレビ朝日 (EX) テレビ朝日系列 金曜 24時50分 - 25時20分 2011年10月7日 制作局
岩手県 岩手朝日テレビ (IAT)[11] 2011年10月20日 同時ネット
山形県 山形テレビ (YTS) 2011年10月7日
静岡県 静岡朝日テレビ (SATV)
大分県 大分朝日放送 (OAB)
鹿児島県 鹿児島放送 (KKB)
北海道 北海道テレビ (HTB) 金曜 24時15分 - 24時45分[12] 14日遅れ
青森県 青森朝日放送 (ABA) 水曜 24時20分 - 24時50分 2011年10月26日 19日遅れ
宮城県 東日本放送 (KHB) 木曜 24時56分 - 25時26分[13][14] 2011年10月17日 7日遅れ
秋田県 秋田朝日放送 (AAB) 月曜 24時50分 - 25時20分[15]
福島県 福島放送 (KFB) 火曜 24時20分 - 24時50分[16] 2011年10月22日 18日遅れ
新潟県 新潟テレビ21 (UX) 金曜 25時25分 - 25時55分 2011年10月19日 14日遅れ
長野県 長野朝日放送 (abn) 土曜 25時15分 - 25時45分[17] 2012年4月7日 36日遅れ[18]
石川県 北陸朝日放送 (HAB) 土曜 16時55分 - 17時25分[19] 2011年10月22日 36日遅れ
中京広域圏 メ〜テレ (NBN) 水曜 24時20分 - 24時50分[20] 2011年10月18日 12日遅れ
近畿広域圏 朝日放送 (ABC) 月曜 25時38分 - 26時13分[21] 2012年4月2日 17日遅れ[22]
広島県 広島ホームテレビ (HOME) 土曜 24時45分 - 25時15分[19] 2011年10月22日 29日遅れ[23]
山口県 山口朝日放送 (yab) 木曜 24時15分 - 24時45分[24] 2011年10月30日 20日遅れ
香川県・岡山県 瀬戸内海放送 (KSB) 火曜24時20分 - 24時50分[25] 2011年10月7日 11日遅れ
愛媛県 愛媛朝日テレビ (eat) 木曜 24時55分 - 25時25分[26] 2011年10月28日 97日遅れ
福岡県 九州朝日放送(KBC) 木曜 25時20分 - 25時50分 2011年10月20日 13日遅れ
熊本県 熊本朝日放送 (KAB) 土曜 25時25分 - 25時55分[27] 2011年10月22日 15日遅れ
長崎県 長崎文化放送 (NCC) 木曜 25時21分 - 25時51分 2011年10月24日 20日遅れ
沖縄県 琉球朝日放送 (QAB) 金曜 24時20分 - 24時50分[28] 2012年1月13日 175日遅れ[22]
鳥取県島根県 山陰放送 (BSS) TBS系列 火曜 25時36分 - 26時05分 2011年11月25日 19日遅れ
高知県 テレビ高知 (KUTV) 水曜 25時24分 - 25時54分 2014年4月16日 26日遅れ

過去のネット局

2011年9月まで

放送時間の変遷

期間 放送時間(日本時間
1998.10 1999.03 月曜日 23:25 - 23:55(30分)
1999.04 2000.03 火曜日 23:25 - 23:55(30分)
2000.04 2001.09 火曜日 23:09 - 23:54(45分)
2001.10 2002.03 火曜日 23:15 - 24:00(45分)
2002.04 2009.09 火曜日 23:15 - 24:10(55分)
2009.10 2011.09 火曜日 23:15 - 24:15(60分)
2011.10 金曜日 24:50 - 25:20(30分)

脚注

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外部リンク

テンプレート:前後番組 テンプレート:草彅剛 テンプレート:ユースケ・サンタマリア

テンプレート:ネオバラエティ
  1. 「好きな長寿番組」ランキング(2009.10) - オリコンランキング
  2. ただし、2009年4月28日 - 5月26日までは、草彅が一時芸能活動自粛のため予告されず、『シルシルミシル』か『アメトーーク!』の予告CMに差し替えられた。
  3. 関東地区、ビデオリサーチ社調べ。
  4. 爆笑問題、中居正広、マツコ&有吉・・・この秋テレ朝の“ネオバラ枠”が生まれ変わる!WEBザ・テレビジョン 2011年9月12日
  5. 2009年7月号『日経エンタテインメント!』(日経BP社)の連載「テレビ証券」より
  6. この時の罰ゲームがあまりにも過酷なもので、ユースケが「ツヨシが戻ってきたら絶対にこのコーナーだけやらせる」と発言したことがきっかけで行われた。
  7. 「ココ1当てまSHOW!」(ゲスト:上地雄輔misono)は、草彅復帰後初の収録でもあった
  8. そのことを触れられたとき、ユースケは「OAでは字幕がツッこんでいるから大丈夫」といっていた(2008年9月スペシャルより)
  9. ちなみに準レギュラーはほかにもいたが、江頭は準レギュラーの中で一番登場頻度が高かったために呼ばれた。
  10. 友寄は、2010年7月20日~2012年6月までは、ゼネラルプロデューサーを、2012年7月~2013年7月5日まではプロデューサーを担当。
  11. 2011年10月20日から2013年3月までは木曜 25時20分 - 25時50分で放送されていたが、2013年4月4日に2013年3月24日・3月31日放送分を放送し、2013年4月5日から同時ネットになった。
  12. 2012年9月7日まで同時ネットの金曜24時50分 - 25時20分に放送されていたが、2012年10月5日から現在の時間に変更された。
  13. 2014年4月28日までは月曜 24時20分 - 24時50分に放送されていた。
  14. 2014年5月1日からは本番組終了後、ステブレ無しで『タモリ倶楽部』(遅れネット)が放送されており、番組表上では同一番組扱いされている。
  15. 2014年3月24日までは月曜 25時15分 - 25時45分に放送されていた。
  16. 2012年3月までは、土曜 25時30分 - 26時00分に放送されていた。
  17. 2012年9月までは土曜25時00分 - 25時30分に放送されていた。
  18. 「オードリーが彅スケにしてあげたい10の事!前編」より再開。
  19. 19.0 19.1 2012年9月までは土曜24時30分 - 25時00分に放送されていた。
  20. 11日遅れの火曜24時50分 - 25分20分に放送されていたが、2012年4月4日から現在の時間に変更された
  21. 2012年10月1日から。当初は月曜 25時38分 - 26時38分に2回分放送され、2012年8月27日から9月17日までは現在より1分長く25時38分 - 26時14分だった。なお、編成上の都合で放送休止になったり、『さまぁ〜ず×さまぁ〜ず』の不定期放送で穴埋めとなったりする週がある。
  22. 22.0 22.1 「ツヨシにしてあげたい10の事!」より再開。「ユースケにしてあげたい10の事!」は放送なし。
  23. 当初は8日遅れであったが休止が何度か入り現在の遅れ日数になった
  24. 2012年1月までは、日曜 25時10分 - 25時40分だったが、2012年3月末までの間、月曜 24時15分 - 24時45分で放送されていた。
  25. 同時ネットの金曜24時50分 - 25分20分に放送されていたが、2012年4月3日から現在の時間に変更された
  26. 2013年10月3日より現時間帯に移動。これまでは金曜25時20分 - 25時50分、土曜25時00分 - 25時30分、土曜 15時55分(競馬番組打ち切り時から16時開始) - 16時30分。尚、金曜深夜時代は朝まで生テレビ!が放送される週は休止し、土曜夕方時代はゴルフ中継やドラマPR番組等で休止することが多かった。土曜深夜時代は『ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!』(2013年10月現在も同時間帯で放送中)とあわせて『バラスペ』と題し1時間枠の後半パートで放送されていた。(コンプレックス形式での放送。現在、題字表記は無し。)また、未放送の回もある。
  27. 2012年9月までは土曜25時10分 - 25時40分に放送されていた。
  28. 第2週は24時50分 - 25時20分。『朝まで生テレビ!』が放送される週は休止。2012年3月までは25時15分 - 25時45分(第2週は25時45分 - 26時15分)に放送されていた。2012年4月16日 - 20日の間は五日連続で放送された(17時24分 - 17時54分)。
  29. 一時期『水曜どうでしょう』放送の関係で遅れ放送だった(同時刻に『パパパパパフィー』を時差放送していた。)。
  30. 2006年9月までは23:20 - 24:15に放送されていた。
  31. 2009年3月までは木曜 25時04分 - 25時59分に、2009年4月から2010年9月までは木曜 24時26分 - 25時26分に放送されていた。2010年10月から2011年3月までは木曜 23時50分 - 24時50分に放送されていた(2週分連続放送)。2011年4月から現在の日時。