岡本真或
テンプレート:Infobox baseball player 岡本 真或(おかもと しんや、1974年10月21日 - )は、京都府出身の元プロ野球選手(投手)。本名及びテンプレート:Byまでの登録名は岡本 真也(読み同じ)。
現役時代は中日ドラゴンズ、埼玉西武ライオンズ、LGツインズ(韓国)、東北楽天ゴールデンイーグルスに在籍した。
目次
経歴
プロ入り前
京都府立峰山高等学校出身で、田中敏昭と同期であった。卒業後は社会人野球の佐藤工務店に入社するが、その後チームの廃部・休部などが続き、社会人時代だけで5つものチームを転々とした後、ヤマハで活躍した。2000年のドラフト4位で中日ドラゴンズに入団。
中日時代
入団後の2年間は目立たなかったが、3年目に先発として頭角を現す。30歳を目前にして球速150km/h近い速球を投げるようになり、高い奪三振率を記録した。
テンプレート:Byから完全にリリーフに専念する。中継ぎ右腕として自己最高の63試合に登板し、防御率2.03、9勝4敗の成績を挙げてオールスターゲーム初出場、さらに最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。この年からクローザーを任された岩瀬仁紀とともに、中日中継ぎ陣のエースとしての地位を確立した。
テンプレート:Byは前半戦だけでリリーフとして10勝をマークした。背筋痛で後半に離脱したが、それでも57試合に登板して防御率3.14と活躍した。
テンプレート:By、この年も中継ぎとして活躍するが、二段モーションからのフォームチェンジに苦労したこともあって、安定した状態がなかなか長続きせず、不安定な投球から打ち込まれて継投失敗となる場面がたびたび見られた。交流戦では活躍したが、同リーグとの対戦では防御率4点台と冴えなかった。
テンプレート:By、新しいフォームにも馴染んだのか、前半では防御率0点台で推移する驚異的なピッチングも見られた。後半は疲れからか打たれる場面も間々あったが、シーズンを通しては安定したピッチングで、先発陣が決して好調とは言えなかったこの年のチームを支え、チームの勝利の方程式の一角を引き続き担った。3年ぶりに60試合以上に登板して防御率2点台、リーグ3位で自己最多の38HPを記録、中日のCS制覇・日本一・アジアシリーズ制覇に貢献した。
西武時代
テンプレート:By1月、FA移籍した和田一浩の人的補償として埼玉西武ライオンズへ移籍。移籍後は西武の弱点でもあった中継ぎとしての役割を与えられ、5月の中旬頃までは防御率が1点台と評判通りの活躍をし、北京オリンピック野球日本代表の第一次候補選手に選出された。しかし、シーズン後半は山崎武司、アレックス・カブレラに本塁打を打たれるなどと大事な場面で打ち込まれるケースが目立ち、防御率が一時4点台へと悪化し、そのため二軍落ちも経験した。前年ほどの安定した投球内容ではなかったが、6年連続となる40試合登板を達成し、チーム2位の18ホールドを挙げて西武のリーグ優勝・日本一・アジアシリーズ制覇に貢献した。
テンプレート:By2月4日、登録名を岡本 慎也に変更。このシーズンは打ち込まれるケースが目立ち、6月27日に二軍落ちし、その後は一度も一軍に上がる事無く10月2日に球団から戦力外通告を受けた。
韓国時代
本人は現役続行を希望し、11月に12球団合同トライアウトを受けたがオファーがなく、同月に古巣中日時代に投手コーチを務めていた高橋三千丈の勧めもあり、高橋がコーチを務める韓国・LGツインズの入団テストを受ける。
テンプレート:By1月に正式契約。背番号は56に決定し、登録名も岡本 真或に変更した。シーズン開幕当初はリリーフとして起用され、3月27日の三星ライオンズとの開幕戦で韓国初セーブ、4月3日の対ネクセン・ヒーローズ戦で韓国初勝利をそれぞれ記録した。7月までは抑えとして起用され16セーブを記録したが、夏場から信頼を失って登板機会が減ってしまい、結局この年限りで退団。
楽天時代
11月19日に星野仙一が東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任したことで、楽天の入団テストを受け合格し、日本球界復帰を果たす。背番号は61に決定。しかし、二軍で24試合に登板したものの防御率は4.01で、プロ入り初の一軍登板なしに終わったため、同年10月9日に二度目の戦力外通告を受け[1]12月2日に自由契約公示された[2]。
結局テンプレート:By限りで現役を引退することとなり、テンプレート:By1月21日にLG在籍時に交流のあった韓国プロ野球関連の業務を手がける室井昌也の主催で、YMCAアジア青少年センター(東京都千代田区)で引退セレモニーをかねたトークライブイベントを実施した。
引退後
2012年7月に仙台市青葉区国分町でもつ鍋とうどんの飲食店を開業した。
プレースタイル
テンプレート:スポーツ選手の出典明記 26歳でプロ入りした遅咲きのリリーフ右腕。150km/h台を記録することもある速球と、フォークと間違えられるほど落差がある縦スライダーが最大の武器。西武移籍時に渡辺久信監督に「見たことのない軌道のスライダーだ」と言わしめたこともある。変化球は、この縦スライダーとフォークを投げ分けている。
人物
テンプレート:スポーツ選手の出典明記 ブルペンで投球練習をする前に、必ずブルペン捕手に一礼する習慣がある。
大塚晶則を慕っており、ピッチングに関しては大塚から多大な影響を受けたと語っている。
和田の人的補償で西武に移籍することが決まった際に渡辺監督は「願ってもない選手を獲得できた」と当時中継ぎ投手が課題だっただけに実績を踏まえて高く評価し、岡本自身もこの件に関して、「自分にとってプラスになったと考える」と語っている。一方で、中日の選手たちにとっては、セットアッパーとしてチームに貢献していた岡本がプロテクトから外れていたことすら誰も予想していなかったこともあり、ほとんどの選手がこの事実を聞かされた時は驚きを隠せなかった。また、投手陣からは「中継ぎ投手の評価が低いのではないか」という不満の声も聞かれ、特に川上憲伸や同じ中継ぎ投手であった平井正史はこの移籍に関して怒りをあらわにしていた。
4度の初記録
- 2008年に和田一浩の人的補償で西武へ移籍。これにより中日初のFA移籍による人的補償で他球団へ移籍した選手となった。(なお、中日はこれまでに金村義明、武田一浩、川崎憲次郎、谷繁元信の4名をFAで獲得したが所属球団への補償は全て金銭補償であった。)
- 西武移籍初年の2008年、西武が日本一、アジアシリーズを制覇。これにより初の二年連続でセパ両リーグで日本一とアジアシリーズ制覇を経験した選手となった。
- 2010年にLGツインズに入団。これにより球団創設以降初の日本人選手となった。
- 2010年オフに楽天に入団。これにより初の韓国プロ野球に在籍経験のある日本人選手(在日韓国人は除く)で、韓国でプレーした後に日本プロ野球に復帰を果たした選手となった。
日本シリーズとの相性
岡本は日本シリーズと相性が悪く、シーズン中のような活躍が出来ておらず、下記の選手(いずれも外国人)からホームランを打たれている。
- 2004年(中日在籍時)の日本シリーズにて、アレックス・カブレラから満塁ホームランを打たれる。
- 2006年(中日在籍時)の日本シリーズにて、フェルナンド・セギノールからホームランを打たれる。
- 2008年(西武在籍時)の日本シリーズにて、アレックス・ラミレスからサヨナラホームランを打たれる。
詳細情報
年度別投手成績
テンプレート:By2 | 中日 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 22 | 6.0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.83 |
テンプレート:By2 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 51 | 10.2 | 15 | 2 | 4 | 1 | 1 | 10 | 0 | 0 | 12 | 11 | 9.28 | 1.78 | |
テンプレート:By2 | 40 | 12 | 0 | 0 | 0 | 4 | 6 | 0 | -- | .400 | 398 | 97.0 | 79 | 9 | 27 | 2 | 3 | 96 | 10 | 0 | 39 | 36 | 3.34 | 1.09 | |
テンプレート:By2 | 63 | 0 | 0 | 0 | 0 | 9 | 4 | 0 | -- | .692 | 304 | 75.1 | 60 | 6 | 26 | 1 | 2 | 85 | 4 | 0 | 19 | 17 | 2.03 | 1.14 | |
テンプレート:By2 | 57 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 3 | 1 | 17 | .769 | 272 | 63.0 | 60 | 4 | 30 | 2 | 2 | 65 | 3 | 0 | 22 | 22 | 3.14 | 1.43 | |
テンプレート:By2 | 56 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | 1 | 18 | .800 | 226 | 53.0 | 51 | 5 | 21 | 3 | 1 | 56 | 3 | 0 | 21 | 20 | 3.40 | 1.36 | |
テンプレート:By2 | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 0 | 33 | .714 | 225 | 56.0 | 43 | 3 | 21 | 2 | 1 | 44 | 2 | 0 | 18 | 18 | 2.89 | 1.14 | |
テンプレート:By2 | 西武 | 47 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 18 | .000 | 182 | 42.1 | 38 | 5 | 21 | 2 | 0 | 42 | 9 | 0 | 18 | 18 | 3.83 | 1.39 |
テンプレート:By2 | 22 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 6 | .000 | 97 | 22.2 | 18 | 2 | 14 | 0 | 0 | 17 | 5 | 0 | 10 | 10 | 3.97 | 1.41 | |
テンプレート:By2 | LG | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 16 | 1 | .600 | 205 | 48.0 | 36 | 6 | 29 | 4 | 4 | 40 | 5 | 0 | 17 | 16 | 3.00 | 1.35 |
NPB:9年 | 357 | 12 | 0 | 0 | 0 | 32 | 19 | 2 | 92 | .627 | 1777 | 426.0 | 364 | 36 | 169 | 13 | 13 | 421 | 36 | 0 | 159 | 152 | 3.21 | 1.25 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
KBO:1年 | 46 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 3 | 16 | 1 | .600 | 205 | 48.0 | 36 | 6 | 29 | 4 | 4 | 40 | 5 | 0 | 17 | 16 | 3.00 | 1.35 |
タイトル
- 最優秀中継ぎ投手:1回 (2004年)
記録
- NPB
- 初登板:2001年10月2日、対横浜ベイスターズ26回戦(ナゴヤドーム)、9回表に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、9回表に三浦大輔から空振り三振
- 初先発・初勝利:2003年6月8日、対広島東洋カープ14回戦(ナゴヤドーム)、6回無失点
- 初ホールド:2005年4月5日、対ヤクルトスワローズ1回戦(明治神宮野球場)、6回裏無死に2番手で救援登板、2回無失点
- 初セーブ:2005年5月18日、対北海道日本ハムファイターズ2回戦(札幌ドーム)、8回裏に5番手で救援登板・完了、2回1失点
背番号
- 12 (2001年 - 2009年)
- 56 (2010年)
- 61 (2011年)
登録名
- 岡本 真也 (おかもと しんや、2001年 - 2008年)
- 岡本 慎也 (おかもと しんや、2009年)
- 岡本 真或 (おかもと しんや、2010年 - 2011年)