いすゞ・ジェミニ

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テンプレート:Pathnav テンプレート:画像改訂依頼 ジェミニGemini )は、1974年から2000年までいすゞ自動車で製造(3代目まで)・販売されていた乗用車である。1993年からは、OEM供給による販売となっていた。

概要

1974年の初代「PF型」は、提携先のゼネラルモーターズ (GM) の「グローバルカー(世界戦略車)構想」に基づき、オペルカデット(GM「Tカー」)をベースに開発された。この当時、世界各国でカデットをベースに開発された姉妹車たちが生産されていた。

2代目「JT0型」と3代目「JT1型」は、GMの「Rカー」としてOEM生産(相手先ブランド供給)を視野に入れ自主開発されたモデル。特に2代目は、いすゞの乗用車史上最大の販売台数を記録した。

しかし、3代目へのモデルチェンジでは一転して販売台数が低迷した。以後のいすゞ全体の業績悪化と販売不振により、4代目以降は自社開発を断念、ホンダのOEM供給を受けたが、いすゞの乗用車部門撤退に伴い5代目で販売を打ち切った。

初代 PF50/PF60/PFD60型(1974年 - 1987年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1974年11月登場。形式名は1974年に登場した1,600ccガソリン車がPF50型、1977年に登場した1,800ccガソリン車がPF60型。そして1979年に登場した1,800ccディーゼル車がPFD60型となっている。

いすゞではこの時期まで、基本設計が10年以上前に遡り、陳腐化したベレットの生産が続いていた。GMが引き続きベレットの生産継続を主張したのに対し、いすゞは市場性の見地よりモデルチェンジを要望、その結果、GMの「グローバルカー(世界戦略車)構想」に基づきオペル・カデット(GM「Tカー」)をベースに新型車を開発する事が決定した。

「Tカー」はオペル・カデットのほか、シボレー・シェベット、ポンティアック・1000セハン・ジェミニ、デーヴ・メプシ/メプシーナなど世界中で姉妹車が生産されていた。オーストラリアのGM系メーカーであるホールデンは「ホールデン・ジェミナイ("Gemini"のオーストラリア英語発音)」として日本からいすゞ製ジェミニを輸入した。

車名の「ジェミニ」は英語で「ふたご座」の意味。ベレットの後継車としての位置を明確とするため1975年までは「ベレット・ジェミニ」と名乗っていた。

ボディタイプは4ドアセダンと2ドアクーペの2種類。当初は1,600ccシングルキャブのSOHCエンジンを搭載したPF50型のみのラインナップであったが、ベース車両となったオペル・カデットそのままに逆スラントノーズを採用し、直線を基調にした欧州風のボディデザインとなった。

先代モデルたるべレットは基本設計の古さもあり、開発当初の本来の車格はともかく、ボディサイズは1970年代中期では廉価な「大衆車」クラスに位置していたが、ジェミニは開発年次の新しいカデットをベースとしたため、ボディサイズが大幅に拡大されていた。このため、日本の大衆車の代表的車種であるカローラサニーの当時(1974年)のモデルよりもエンジン、ボディとも一回り大きく、やや上位クラスにあった。ベースのカデット譲りの堅実な設計に、実績のあるいすゞ製エンジンを組み合わせたスペックは一定の商品性があり、ジェミニはすぐにいすゞの主力車種となった。

同じいすゞ製乗用車でも上級車種フローリアンとは明確な差があったが、1977年、ジェミニに1,800ccエンジン搭載モデルが追加され、クラス的にオーバーラップするようになった。しかしこの頃には、旧弊化したフローリアンを購入する一般ユーザーはほとんどおらず、両車のスタイル、性格の差もあり、元々不人気車種になっていたフローリアンの販売に特に影響は無かったようである。

ヘッドランプは、オリジナルは丸目2灯であったが1977年6月に角目2灯に変更。1979年にジェミニ独自のフェイスリフトが行われスラントノーズ形状に変更、ヘッドランプもスポーティー系グレードに限り丸目2灯に戻った。1981年に異型角目2灯に変更される。

1979年に大幅なボディデザインの変更を受け、ディーゼルエンジン搭載車と1,800ccDOHCガソリンエンジン搭載のホットモデル「ZZ」(ダブルズィー)シリーズが追加された。また車名表記も大文字&小文字の「Gemini」から大文字の「GEMINI」と変更されている。「ZZ」シリーズには「ZZ/L」や「ZZ/T」なども存在したが、極めてハードなサスペンションセッティングが施された走りに特化した限定車として、1981年に「ZZ/R」というスポーツモデルも追加された(『絶版日本車カタログ』三推社・講談社 99頁参照)。

このディーゼルエンジンモデルは「第二次オイルショック」の時期と重なったことで、低燃費車として脚光を浴び、1982年には世界初の電子制御式ディーゼルエンジンモデルも登場した。このため、後期型の初代ジェミニは「80年代のディーゼル車」とも言われるように、ディーゼル乗用車の代表として広く認知される。

もっともその後は、従前のいすゞ乗用車の多くと同じく、1980年代に入っても基本設計の変わらないままにフェイスリフトやマイナーチェンジを施されての長期生産が続くことになった。

1985年に2代目の「FFジェミニ」が登場したものの、当初は1,500ccガソリンエンジンのみでグレート展開も小規模であったため、ディーゼルエンジン搭載モデルを中心に初代ジェミニも継続生産され、2代目と併売された。バリエーションは整理され、クーペは廃止されたものの、スポーツモデル「ZZ/R」や1,600、1,800ccのガソリン(SOHC)エンジン搭載モデルも残された。その後、2代目ジェミニのバリエーションが充実したのを受け、発売13年目の1987年2月にようやく生産終了となった。

初代ジェミニの総生産台数は768,537台(いすゞHPより)。

機構

駆動方式は後輪駆動。エンジンは当初1,600cc SOHCの「G161型」のみであったが、1977年6月より1,800cc SOHCの「G180型」が追加。さらに、1979年のビッグマイナーチェンジ時に1,800cc DOHCエンジンと1,800cc ディーゼルエンジンが追加された。

組み合わされるトランスミッションは当初4速MTのみでスタートするが、1975年に3速AT1976年に5速MTが追加された。

サスペンションは前輪がダブルウィッシュボーン式、後輪が3リンク・コイルスプリング式リジッドで、ステアリングラック・アンド・ピニオン式を採用していた。

歴史

  • 1974年(昭和49年)
    • 5月 前年(1973年)10月に生産が終了したベレットの後継車として「ベレットジェミニ」(PF50型)が発表。
    • 10月 1,600cc ガソリン車(PF50型)登場。クーペ、セダン共に「LD」、「LT」、「LS」の3グレードを用意していた。全車4速MT車。
  • 1975年(昭和50年)
    • 4月 安全対策向上の為に改良実施。また、これに合わせて車名からベレットの後継車という位置付けを明確にする為に付けていた「ベレット」という冠が取れ、単に「ジェミニ」となった。
    • 12月 昭和50年排ガス規制に適合。「LD」、「LT」に3速AT車を追加。
  • 1976年(昭和51年)
    • 5月 「LS」に5速MT車をオプション設定化。
    • 11月 昭和51年排ガス規制に対応する為のマイナーチェンジを実施。内、外装をやや豪華に設えた「LTミンクス」を追加。「ミンクス」の名は、かつていすゞがライセンス生産していた「ヒルマン・ミンクス」から取られた。
  • 1977年(昭和52年)
    • 6月 1,800cc ガソリン車(PF60型)登場。同時に、ヘッドランプのデザインが丸目2灯から角目2灯に変更された。
    • 11月 1,600cc ガソリン車が昭和53年排ガス規制に対応する為のマイナーチェンジを実施。
  • 1978年(昭和53年)
    • 11月 1,800cc ガソリン車が昭和53年排ガス規制に対応する為のマイナーチェンジを実施。1,800cc ガソリン車セダンに「ミンクス」クーペにスポーティグレードのLS/G「ブラックジェミニ」を追加。同時に、1,600cc ガソリン車も一部改良を実施した。
  • 1979年(昭和54年)
    • 6月 ビッグマイナーチェンジを受け、フロント部分は通称「逆スラ」からサイドマーカー付きのスラントノーズに変更され、ヘッドランプは銀縁の付いた角目2灯へと変更。スポーティモデルのLS系のみ丸目2灯とされ、テールライトは大型化された。1,800cc ガソリン車クーペに「ミンクス」を追加。またチルト機構付サンルーフを国産車で初めて設定した(オプション)。
    • 11月 1,800cc ガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ」を追加。1,800cc ディーゼル車(PFD60型)登場。
  • 1980年(昭和55年)
    • 3月 1,800cc ガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ-L」を追加。
    • 6月 LS相当のスポーティーなディーゼル車の「ゴールドディーゼル」とエアコンとステレオ標準装備の1800「クリーンLT」(ガソリンとディーゼルに設定)
    • 9月 ジェミニのディーゼル車が「ディーゼル乗用車クラス」での販売台数1位になった事を記念して、「いすゞジェミニディーゼル感謝祭」を開催。合わせて特別仕様車を限定発売した。
  • 1981年(昭和56年)
    • 1月 1,800cc ディーゼル車に998,000円の「LDスペシャル」を追加。
    • 4月 1,800cc ガソリン車にDOHCエンジン搭載の「ZZ-R」を限定発売。当時参戦していた国内ラリーを意識したモデルだった。
    • 10月 マイナーチェンジでインパネのデザインが大幅に変更される。ヘッドランプが近代的な異型2灯に変更。リアは変更なし。1,800cc車に「LG」、1,800cc ディーゼル車に「LJ」(クリーンLTの改称)「LS」(ゴールドの改称)を追加。
  • 1982年(昭和57年)
    • 10月 1,800cc ディーゼル車に初の電子制御燃料噴射装置を内蔵して66馬力にパワーアップした「LT-E」「LJ-E」を追加。
    • 11月 一部改良。73馬力までパワーを上げた1,800cc ディーゼルターボ車(PFD60型)が登場。世界初の電子制御式のターボチャージャー搭載ディーゼルエンジンであった。
  • 1983年(昭和58年)
    • 10月 一部改良でドアミラーを採用。車種整理でカスタムシリーズを追加。
  • 1984年(昭和59年)
    • 12月 特別仕様車「エクストラシリーズ」を追加。
  • 1985年(昭和60年)
    • 3月 1,800cc ガソリン車の「ZZ」を改良。
    • 5月 2代目「FFジェミニ」が登場するが、継続生産され、2代目と併売された。
  • 1987年(昭和62年)
    • 2月 生産終了。同時に2代目はFFという冠が取れ、単に「ジェミニ」となる。

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2代目 JT150/190/600型(1985年 - 1990年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 2代目は1985年5月、発売された。型式名は1985年に登場した1,500cc ガソリン車がJT150型、1988年に登場した1,600cc DOHCガソリン車がJT190型。そして1,500cc ディーゼルと1,500cc ディーゼルターボ車はJT600型。

発売当初は、いすゞが得意とし、販売上も大きな比率を占めていたディーゼルエンジン搭載車や、スポーツモデルが設定されておらず、それらの領域をカバーするため後輪駆動の初代(PF60型)も併売されていた。そのため「FFジェミニ」と称し初代と区別していた。

初代のベースとなったオペル・カデットは1979年にフルモデルチェンジし、前輪駆動化されたが、2代目ジェミニはそれとは直接関係なく、「クオリティ・コンパクト」というコンセプトで、いすゞが独自開発したものである。だが、一方では、GMの世界戦略に組み込まれ「Rカー」として1984年11月よりGM向けに供給(輸出)もされた。駆動方式は前輪駆動を採用。初代ジェミニは、大衆車クラスのやや上に位置していたが、2代目は、ボディ、エンジンとも小型化し、大衆車クラスに位置する事となった。

117クーペ以来17年ぶりのいすゞオリジナル設計の乗用車で、モデルチェンジにあたり、アスカとの競合を避け、なおかつ米国市場をも意識して初代より一回り小型のクラス(現在のCセグメント)をターゲットとし、居住性と取り回しの良さを得るためにFF化、パワーステアリングサーボブレーキなど特に操縦性を重視した設計とされた。このコンセプト内容は、かつてベレット後継車の構想時にも検討されていた。そして、一般的なテストコースだけでなく、一般道を中心とした走り込みを敢行し、走りを磨き込んだ。それ故、正式発表前に、自動車雑誌にデモンストレーション同然にスクープ写真が掲載された。

ボディデザインは117クーペピアッツァなどでいすゞとの関係が深かったジウジアーロが手がけた。しかしフロント部のいすゞ社内によるリデザインにジウジアーロが難色を示したため、発表時には彼のデザインであることは伏せられた。[1]ボディタイプは4ドアセダンと、先代の2ドアクーペに代わって3ドアハッチバックが設定された。

1987年2月に1回目のマイナーチェンジ。特に大きな変更を受けたのはフロントマスクで、サイドマーカーをサイドに回りこませた、通称「つり目」といわれるフォグランプ一体の異型ヘッドランプを採用、同時にグリル形状も変更された。室内も見直しが行われ、インパネやクラスタースイッチの形状変更などが行なわれた。

また、これと同時に先代ジェミニ(PF60型)の製造が終了。差別化の為に付いていた「FF」と言う冠が取れ、単に「ジェミニ」になった。

1986年には専用の電子制御式ターボ付き1,500ccの2バルブSOHCガソリンエンジン「4XC1-T型」を搭載し、足回りを旧・西ドイツイルムシャー社がチューニングしたスポーツモデルの「1.5 イルムシャー」が登場。

ファイル:Isuzu 4XE1 engine 01.jpg
2代目ジェミニJT190に搭載の4XE1エンジン

1988年 には、1,600ccの4バルブDOHCエンジン「4XE1型)を搭載し、足回りを英国ロータス社がチューニングしてBBSホイールをオプション設定(ZZ-SEのみ標準装備)した「ZZハンドリング・バイ・ロータス」仕様が追加された。のちに同じエンジンを搭載した「1.6 イルムシャー」も追加される。

イルムシャー」は高い走行性能を有するヨーロピアン・スポーツ車として、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」は高性能ながらも落ち着いた操縦性を有するラグジュアリ・アダルトスポーツ車としての性格付けがなされていた。また、いずれも前席にレカロ社製のセミバケットシートを標準装備していた。

そして1989年2月に2度目のマイナーチェンジ。サイドマーカー(ターンシグナルレンズ)の位置がフェンダー部分に変更され、セダンのみリヤナンバープレートの位置が、トランクリッド部分からバンパー中央部分に移動されている[2]

2代目は大衆車クラスに変更された関係で当初は販売面が憂慮されたが、当時の世界最高レベルのカースタント技術を持つレミー・ジュリアンが監修を務め「街の遊撃手」というキャッチコピー視覚表現した、ジェミニがパリの街並みを踊るように駆け抜けていくテレビCMが大きな反響を呼んだこと[3][4]やカラーバリエーションが豊富なことで人気を集めた。

2代目の総生産台数は 748,216台(いすゞHPより))、米国販売数はいすゞ名義で150,873台、GM名義で363,171台(Ward's Automotive Yearbookより)。

後年、トミーテックの「トミカリミテッドヴィンテージ」NEOシリーズで後期のC/C(白:実車色はピュアホワイト、赤:同・ビビッドレッド)と中期のハンドリング・バイ・ロータス(緑:同・ブリティッシュグリーン、青:同・トルーパーブルー)がモデル化されている。

グレード

グレード展開は当初「C/C」を基本グレードとして、実用仕様の4ドア「T/T」とビジネスユースに徹した3ドア「D/D」の実質3種類だった[5]。その後、スポーツモデルの「イルムシャー」、「ZZハンドリング・バイ・ロータス」を追加。また、1988年には「C/C」の上級モデルの「G/G」が追加された。

他にも「パティオ」、屋根がキャンバストップになった「C/Cユーロルーフ」、レカロシート装備のターボディーゼル「S/S」(中期のみ)、ガソリン・ディーゼル共にNAVi5モデルなどが設定されていた。

機構

基本的なコンセプトは、当時いすゞが生産していた、アスカと共通しており、それをサイズダウンしたものと言える。ただし、駆動方式は時流に合わせた前輪駆動を採用した。

エンジンは1,500cc SOHCの4XC1型および同ターボ付の4XC1-T型、1,600cc DOHCの4XE1型、1,500cc ディーゼルの4EC1型および同ターボ付の4EC1-T型。組み合わされるトランスミッションは当初、5速MTと3速ATでスタートしたが、1986年にコンピューター制御の5速オートマチックであるドライビングロボットこと「NAVi5」を搭載したモデルが登場した。

サスペンションは前輪にマクファーソンストラットコイル式、後輪にコンパウンドクランクコイル(トーションビーム)を採用。また、スポーツモデルの「イルムシャー」仕様にはメーカーオプション扱いでビスカス式LSDの装備も可能だった。

ステアリングはラック・アンド・ピニオン式。パワーステアリング仕様も選べた。また、ブレーキには全車サーボが標準装備されたのも特徴の一つである。

歴史

  • 1985年(昭和60年)
    • 5月 フルモデルチェンジで2代目が登場。1,500cc ガソリン車(JT150型)のセダンハッチバックが登場。先代ジェミニ(PF型)の一部モデルが継続販売であった為に「FFジェミニ」と言う名称で販売が開始された。
    • 11月 1,500cc ディーゼルターボ車、1,500cc ディーゼル車(共にJT600型)のセダン/ハッチバックが登場。
    • 12月 セダン及びハッチバックの「C/C」が、日本産業デザイン振興会主催の1985年度グッドデザイン賞商品に選出された。
  • 1986年(昭和61年)
    • 1月 特別仕様車「ホワイト・ジェミニ」を限定発売
    • 2月 特別仕様車「ブラック・ジェミニ」を限定発売。
    • 3月 特別仕様車「ブライトスプリング・ジェミニ」を限定発売。
    • 4月 一部改良で同時に1,500cc ガソリン車のセダン/ハッチバックに、コンピューター制御の5速オートマチック「NAVi5」搭載モデルが追加[6]
    • 5月 1,500cc ガソリン車のセダン/ハッチバックに、インタークーラー付きターボエンジンを搭載した「イルムシャー」(JT150型)を追加。
    • 7月 「C/C」ベースの特別仕様車「サマー・ジェミニ」を限定販売。
    • 9月 特別仕様車「ホワイト・ジェミニ」を限定発売。
    • 12月 「C/C」ベースの特別仕様車「ウインター・ジェミニ」を限定販売。
  • 1987年(昭和62年)
    • 2月 マイナーチェンジ。ヘッドランプの形状が変更され、同時にグリル形状やテールレンズも変更。室内もインパネやクラスタースイッチの形状やシート表皮、内装色などが変更された。
    • 3月 いすゞ自動車創立50周年特別記念車として特別仕様の「C/C」を限定発売。
    • 4月 セダンの1,500cc ガソリン/ディーゼル車に「パティオ」を追加。通販会社ディノスと提携した専用モデルの「ディノス」を限定発売。グレード名は「E/E」(セダン「T/T」とほぼ同仕様)。
    • 5月 1,500cc ガソリン車のセダン/ハッチバックに「ユーロルーフ」モデルを追加。1,500cc ガソリンターボ車に特別仕様車として「イルムシャーRS」を台数限定発売。
    • 6月
      • 1,500cc ガソリンターボ車のセダン/ハッチバックに、競技用ベース車両で時計、オーディオ、ホイールキャップ等の装備が省略された「イルムシャーR」を追加設定。
      • いすゞ自動車創立50周年特別記念車の第2弾として特別仕様の「C/C」と「イルムシャー」を限定発売。
    • 7月 1,500cc ディーゼルターボ車のセダン/ハッチバックに日本初の自動制御式マニュアルトランスミッション(AMT)である「NAVi5」搭載モデルが追加。
    • 8月 「C/C」ベースの特別仕様車「サマー・ジェミニ」を限定発売。
    • 9月 1,500cc ガソリンターボ車に特別仕様車として「イルムシャーRS」を200台の台数限定発売。
    • 11月 特別仕様車「ハイクオリティ・ジェミニ」を限定発売。
  • 1988年(昭和63年)
    • 2月 「NAVi5」を一部改良(「D4」レンジの追加)。
    • 3月
      • 1,600cc DOHCガソリンエンジン搭載車「ZZハンドリング・バイ・ロータス」(JT190型)を追加。
      • 1,500cc ガソリン車のセダンに「C/C」の上級グレードとして「G/G」を追加。イルムシャー専用色だった「トルーパーブルー」「ファントムグレー」を設定。
    • 4月 「C/Cユーロルーフ」ベースでバンパーやサイドプロテクターなどがシルバー(ベース車は素材色)に塗り分けられた2トーンカラーの特別仕様車「C/C-SE・スプリングキュート」を限定発売。
    • 5月 前年に限定発売した「ディノス」が、通販会社「ディノス」でのカタログ販売専用モデルとして追加。
    • 6月
      • 1,600cc ガソリン車に「イルムシャー」と受注生産の「イルムシャーR」を追加(いずれも1,600cc DOHC16バルブ)。
      • 特別仕様車「クールサマー・ジェミニ」を限定発売。
    • 9月 特別仕様車「オータムエレガント・ジェミニ」を限定発売。
  • 1989年(平成元年)
    • 2月
      • マイナーチェンジ。内外装の変更を行う。フロントウインカーのフロントフェンダー部分への移設に伴い、フロントマーカーランプのクリアレンズ化、リアコンビランプの意匠変更、リアナンバープレートをトランク部分からバンパーへ移設しリアコンビランプ間のブラック塗装を廃して車体と同色に変更(ハッチバック車とイルムシャーを除く)、ステアリングパッドのデザイン変更、オーデイオスペースの拡大(2.5→3DIN)等。
      • 特別仕様車「スプリングフィット・ジェミニ」を限定発売。
    • 6月 1,500cc ガソリン車のセダンに「G/Gリミテッド」を追加。
    • 7月 1,600cc ガソリン車のセダンに「ZZ-SEハンドリング・バイ・ロータス」を追加。
    • 9月 特別仕様車「オータムフィット・ジェミニ」を限定発売。
    • 11月
      • 特別仕様車「ウインターフィット・ジェミニ」を限定発売。
      • イルムシャーRS」を台数限定発売。
  • 1990年(平成2年)
    • 1月 C/Cベースの特別仕様車「ウインター・ジェミニ」を限定発売。
    • 3月 販売終了。3代目にバトンタッチ。

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3代目 JT151/191/641型(1990年 - 1993年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 3代目は1990年3月登場。ボディサイズは2代目よりも拡大された。

形式名は、1,500cc ガソリン車がJT151F型、1,600cc DOHCガソリン車がJT191F型、1,600cc DOHCガソリンインタークーラー付きターボ4WD車がJT191S型、1,700cc ディーゼルターボ車がJT641F型、同4WD車がJT641S型。

これらにホットモデルとして「イルムシャー」仕様および「ZZハンドリング・バイ・ロータス」仕様がラインナップされている点は先代と変わらない。その中でもハイパワーエンジン+フルタイム4WDを搭載したJT191S型は「イルムシャーR」を名乗る最上位ホットモデルである。

デビュー当初4ドアセダンのみの設定だったが、1990年9月にクーペが、翌1991年3月に3ドアハッチバックが追加されている。

セダンは北米市場において「いすゞ・スタイラス(STYLUS)」の名称で1990年12月より販売が開始された。

また、派生車種として、米GM社のGEOブランド向けに、フロントフェイスが異なる2ドアクーペ「ジオ・ストーム(日本ではヤナセで販売されていたPAネロと同デザイン)が販売されていた。いすゞ・ジェミニクーペ、ハッチバックはこの「ジオ・ストーム」をフェイスリフトしたモデルとなっている。またストームはその後、2代目ピアッツァのベースになっている。

3代目は技術的に特徴が多く、販売当時ジェミニシリーズが使われたラリーフィールドを意識した設計が施されている。1,500cc ガソリン車の動力性能は著しく向上し、「カプセルシェイプ」と銘打った一体型ボディ構造を持ち、強度重視で厚い鉄板を使用したため、当時の1,600ccクラス車としては車重は重い部類に入る。

足回りでは「ニシボリック・サスペンション」の採用が挙げられる。多くの評論家が酷評したニシボリック・サスペンションであったが、国内ラリーシーンにおいては"FF車ベースなのにFR車的なドリフトが出来る"という好評もあった。1991-92年の全日本ラリー選手権では連続でクラス優勝に輝いている。

デザインは中村史郎を中心に(チーフデザイナー本多貞夫、セダンエクステリア中村史郎、クーペエクステリア前田克紀、中村がブラッセル駐在となった為セダンも前田が引継ぐ)いすゞ社内でまとめられたものであるが、GMの意向が強く影響した点は否めず、欧州車の味わいが売りであったいすゞ車では異例の、アメリカンなデザインとなった。4ドアセダンにはリアのドアフレームがCピラーを覆い隠すように閉じるなど、他に例を見ない斬新なデザイン手法も使われていた。

販売面では、フルモデルチェンジ後、旧型モデルからの買い替えが順調に進んだことやCM効果によって、日本国内月販目標5千台に対し1990年4月21日時点における受注台数が6,602台と目標を超えて達成したものの販売可能台数が4,300台と品不足状態になったり、重視した米国市場で月間販売台数が一万台を超える販売好調状態であるなど、新車効果が大きく作用した出足であった[7]が長くは続かず、1991年4月には「乗用車販売の不振に苦しむいすゞ」[8]と伝えられるなど、世界的な自動車不況などの影響によってジェミニは極度の販売不振に陥った[9]

この事実は1991年10月期決算におけるいすゞの大幅な経常赤字の要因となっており[9][10]、次期ジェミニの開発延期を決定するなどの再建計画を実施したが、1992年10月期決算においても再び大幅な経常赤字を記録したことによって、資金回収の目処が立たない乗用車生産から撤退し得意分野の商用車事業とSUVに経営資源を集中化させる等の内容が1992年度中期経営計画にて決定[9]したことに伴い、ジェミニの自社生産も1993年7月限りで終了した。

3代目の総生産台数は 406,625台(いすゞHPより)、米国販売数は17,754台(Ward's Automotive Yearbookより)。

機構

駆動方式は前輪駆動だが、イルムシャーR仕様と一部のターボディーゼル車については4WDを採用している。

また、イルムシャーRの4WDにはLSDが組み込まれ、前後トルク配分可変機構が備わっている。

エンジンは1,500cc SOHC 12バルブの4XC1型、1,600cc DOHC 16バルブの4XE1型、同インタークーラーターボ付の4XE1-T型、1,700cc ディーゼルインタークーラーターボ付の4EE1-T型[11]の5種類が搭載された。

特に、4XE1インタークーラー付きターボ仕様(180PS)は、ホンダシビックタイプRB16Bエンジン(185PS)が登場するまで1,600ccクラス最強のエンジンであった。

組み合わされるトランスミッションは5速MTと電子制御式4速AT。

サスペンションは四輪独立操架で、前輪がマクファーソンストラットコイル、後輪にはパラレルリンク・ロアアームのストラット形式をベースにナチュラル4WSと称したトーコントロール機構の一種であるニシボリック・サスペンションを装備する。

ステアリングパワーステアリングラック・アンド・ピニオン式。ブレーキにサーボが標準装備されている点は先代と同様だが、本車はこのクラスではめずらしく全グレード前後輪ともディスクブレーキとなっている。

そのほか、ガソリン車の排気系パイプ類にステンレス材を採用したり、「C/C-X」以上のグレードにヒーター付きドアミラーを標準装備するなどコストを掛けたつくりとなっている。シートは先代のJT0型を踏襲した「ファニチャーシート」と呼ばれるヨーロピアンテイストのデザインだが、クッション硬度を上げたり、前後部別のハイトアジャスターを装備するなどより人間工学に配慮したものとなっていた(「C/C」シリーズのみ)。スポーツ系グレードの前席には先代同様、レカロ社製のセミバケットシートを標準装備していた。

歴史

  • 1990年(平成2年)
    • 3月 フルモデルチェンジで3代目が登場。当初はセダンの1,500cc ガソリン車(JT151F型)、1,600cc ガソリン車(JT191F型)、1,700cc ディーゼル車(JT641F型)がラインナップされた。グレード名は1,500cc ガソリン車と1,700cc ディーゼル車が「C/C」、「C/C-L」、「C/C-X」「ZZ」。1,600cc ガソリン車が「ZZハンドリング・バイ・ロータス」。
    • 5月 1,600cc ガソリン車に「イルムシャー」とフルタイム4WD(JT191S型)の「イルムシャーR」が追加。
    • 9月 2ドアクーペの1,600cc ガソリン車(JT191F型)が追加登場。グレードは「OZ」、「OZ-G」。
  • 1991年(平成3年)
    • 3月
      • 3ドアハッチバックの1,500cc ガソリン車(JT151F型)、1,600cc ガソリン車(JT191F型)が追加登場。グレードは「OZ」、「OZ-G」。
      • 1,600cc ガソリン車のクーペにフルタイム4WD(JT191S型)の「イルムシャーR
      • 1,700cc ディーゼル車のセダンに「T/T」が追加。
    • 5月 1,600cc ガソリン車のハッチバックにフルタイム4WD(JT191S型)の「イルムシャーR」が追加。
    • 6月
      • 特別仕様車「ジョイフルサマー・ジェミニ」を限定発売。
      • 特別仕様車「イルムシャーRS」(車体色はミスティックブルーマイカのみ)を100台限定で発売。
    • 9月 特別仕様車「ジョイフルオータム・ジェミニ」を限定発売。
    • 10月 セダンの1,700cc ディーゼルターボ車にフルタイム4WD(JT641S型)を追加。
  • 1992年(平成4年)
    • 1月 初売りの特別仕様車として「初売り仕様車」(一部地域では「初売り・ジェミニ」や「お年玉・ジェミニ」等の名称)を限定発売。
    • 2月
      • 特別仕様車「エンジョイスプリング・ジェミニ」を限定発売。
      • 特別仕様車「イルムシャーDSP」(車体色はトーチレッドとエボニーブラック)を135台限定で発売。
    • 3月 マイナーチェンジ。
    • 6月 特別仕様車「エンジョイサマー・ジェミニ」を限定発売。手組エンジンでバランス取りされ,各部にオプションパーツを装備した,特別仕様車「イルムシャー・タイプコンペティション」(車体色はトーチレッドのみ)を50台限定で発売。内訳は,4WDが30台,FFは20台。助手席側ダッシュボードにシリアルナンバープレートがリベット留めされているほか,各部にType Competitionの刻印やロゴが入っている。
    • 9月 特別仕様車「ジョイフルオータム・ジェミニ」を限定発売。
    • 11月 マイナーチェンジ。フロントグリルの追加とテールレンズのデザインを変更。
    • 12月 いすゞ自動車が乗用車の自社開発・生産から撤退を表明し生産打ち切りが決定。この報道により、在庫車もほとんどが即完売状態になった。
  • 1993年(平成5年)
    • 4月 量販グレード以外は全て注文生産へ。
    • 7月 生産終了。後継モデルはホンダからのOEM車となった。そのため、この3代目が、最後のいすゞオリジナルジェミニとなる。

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4代目 MJ1/2/3型(1993年 - 1997年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表 1993年8月30日発表、同年9月3日発売。

いすゞ自動車が乗用車の自社生産から撤退し、4代目以降はホンダから供給されるドマーニOEMモデルとなった。なお、ドマーニに設定されていた1,800cc・DOHCエンジンは供給されず、1,500cc・SOHCと1,600cc・SOHCの2本立てとなる。先代よりラインナップが縮小され、ボディタイプは4ドアセダンのみとなり、ジェミニの売りだったホットモデル(イルムシャー/ハンドリング・バイ・ロータス)やディーゼル車は廃止された。

不評だった3代目と比較して「デザインは先代よりもジェミニらしい」「運転ポジションが悪かった先代より前が見やすい」という意見もあった。

販売先は、ほとんどがいすゞ固定客の業務用車の代替などであり、一般ユーザー向けの広告展開は殆どされず、更にはこの頃にはミニバンステーションワゴンが全盛となっており、セダン型車の人気が著しく低下していたこともあり、このモデル以降、地味な存在の車となった。だがドマーニ自体も兄弟車であるシビックフェリオの影に隠れたモデルであったため、OEM車両としてはそこそこ売れた口でもある。

型式名はE-MJ1[12]とE-MJ2[13]の2種類。

グレードは「1600G/G[14]、「1600C/C[15]、「1600C/C 4WD[16]

仕様はドマーニと殆ど同じだが、若干の違いがあった。ドマーニの「1600Ri」「1600Ri-F」は175/70R13が標準だったが、ジェミニの「1600C/C」「1600C/C 4WD」は175/65R14が標準とされた[17]等。

ボディカラーはフロストホワイト、ボーグシルバー・メタリック、ハーバードブルー・パール、ローザンヌグリーン・パールの4色[18]

歴史

  • 1994年5月24日 一部変更。
    • ベース車のドマーニと同じデュアルポンプ式4WDを採用。「1600G/G」にオートアンテナが標準装備。「1600C/C」のAT車に「助手席エアバッグ+ABS」をオプション設定。
  • 1995年1月31日
    • VTEC-E(リーンバーン)エンジン搭載の「1500C/C」(型式・E-MJ3)を発表(発売は2月3日)[19]。旧ジェミニ保有の約半数を占めるディーゼル車ユーザーの代替ニーズへの対応車種として設定された。
  • 1995年10月13日
    • マイナーチェンジ(発売は10月21日)。リヤの「ISUZU」と「GEMINI」のマークデザインを変更。フロントドアの「GEMINI」のステッカーは樹脂製のエンブレムに変更。14インチホイールカバーのデザイン変更(13インチは従来どおり)。「1500C/C」はベースモデルの「ドマーニVi-Eフォンテーヌ」と同様に、CDチェンジャーコントロール機能内蔵AM/FM電子チューナー付カセットステレオが標準装備となり、ドアミラーとドアハンドルがボディ同色となった。

ボディカラーはハーバードブルー・パール、ローザンヌグリーン・パールが廃止され、ファントムグレー・パール、サイプレスグリーン・パール、ダークアメジスト・パールを設定、等。 テンプレート:-

5代目 MJ4/5/6型(1997年 - 2000年)

テンプレート:Infobox 自動車のスペック表

歴史

  • 1997年2月
    • フルモデルチェンジ。ベースにしていたホンダ・ドマーニがモデルチェンジしたために代替わりした。

前後ウインカーの色がアンバーであることや、フロントグリルの形状は、ドマーニよりもカナダで製造・販売されていたアキュラ・EL(初代)の前期型に近い外観である。

  • 2000年9月
    • シビックのフルモデルチェンジに伴いドマーニ廃止。ジェミニも販売を打ち切り5代目で絶版となった。

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CM

2代目のジェミニのCMがあまりにも有名である。 1980年代、世界トップレベルのカースタント技術を持ち、映画007などのカースタントも手がけたレミー・ジュリアンが監修を担当し、『街の遊撃手』というキャッチコピーでジェミニがパリの街並みを踊るように爽快に駆け抜けていくテレビCMは当時テレビを見ていた者なら知らぬ者はいないほどである。

映像には合成CGを一切使っていないことで有名だが、撮影用の車体には細工を施している場合がある。 2台並んでのドリフト走行、または4台でぴったりと息の合った同じ動きをしているシーンが挿入されているCMシリーズは、ほぼ全てにおいて相互の車体の下部をジョイントで繋いでいる。

次のカットでは車が別々に分かれたり違う動きをするが、実際には別撮りしたジョイントで繋がっていないシーンと繋がっているシーンを組み合わせてひとつのCMを作っている。

CMのメイキング映像では川を飛び越えるシーンや車2台が橋の上で交互にジャンプを繰り返すシーン、また片輪走行で階段を下っているシーンが有名だが、そちらは車体に一切の細工をしていない。 そのため、これらのCMメイキング映像では車体に細工をしていなかったこと[20]と、映像に加工をしていないこと[21]で有名だったため、全てが本物の車の挙動だと思い込んでいる人も多い。

当時、CM撮影に携わったスタッフはジョイント部分が見えないように、カメラアングルひとつにも綿密な計算をし膨大な時間を費やしたという。

しかし、どうしてもジョイント部分が映ってしまうシーンがあり、『ISUZU GEMINI』の文字で見えない様にするといった手段が使われた。

広告代理店は、マッキャンエリクソン博報堂である。

車名の由来

英語でふたご座を表し、いすゞとGMの協力で誕生したことから、両者のパートナーシップをふたご座に例えて命名。

ちなみにGM「Tカー」オペル・カデット(後輪駆動モデル)をベースにした車種は、アジア・オセアニア地域においては、Geminiの名称でいすゞの他に、韓国・セハン自動車(当時、現在のGM大宇[22]、豪・ホールデンでも販売された。

姉妹車

初代
2代目
3代目

脚注

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関連項目

テンプレート:Sister

外部リンク

いすゞ

情報サイト

テンプレート:いすゞ車種年表 (初期) テンプレート:いすゞ車種年表

テンプレート:自動車
  1. ジウジアーロが関わったことが公になったのは、1987年にイタリアのアウトモビリア社が出版したジウジアーロの作品集に、写真が掲載されたためである。
  2. トランクそのものは同じものを使用しているが、もともとプレートがあった部分にはカバーがかぶせられている。なお、このナンバー位置は3代目のセダンにも引き継がれている
  3. テンプレート:PDFlink MotorRing No.15社団法人 自動車技術会)2002年10月25日発行
  4. Gemini いすゞ公式
  5. 前期の「D/D」に至ってはビニールレザーシートのみならず、規格型の角型シールドビーム、専用グリルを採用するほど徹底的に簡素化されていた。
  6. この当時はまだ「D4」レンジがなかった。
  7. 「いすゞ、ジェミニ受注好調--6千台突破、品不足も」日経産業新聞 1990年4月25日
  8. 日刊工業新聞 1991年4月19日
  9. 9.0 9.1 9.2 自動車業界における組織構造の変革 SFC 慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス 1995年度 組織行動論 OB68班
  10. 「いすゞ乗用車事業を再編、モデル数を減らす--ジェミニ、米で自社販売停止」日本経済新聞朝刊 1991年10月18日
  11. このエンジンは後にマツダにもOEM供給され、8代目ファミリアセダン4代目フォードレーザーセダンに搭載されている。
  12. 1600 FF・ドマーニ「E-MA4」に相当
  13. 1600 4WD・ドマーニ「E-MA6」に相当
  14. ドマーニ「1600Vi」に相当
  15. ドマーニ「1600Ri」に相当
  16. ドマーニ「1600Ri-F」に相当
  17. ドマーニもABSを装備した場合には175/65R14
  18. 白とシルバーはドマーニと共通だが、紺と緑はドマーニに設定されていた色ではなく、シビックフェリオに設定されていた色である。
  19. 本家のホンダ・ドマーニに前年(1994年)2月追加されたVi-Eフォンテーヌ(型式・E-MA7)に相当
  20. 最終作となる「片輪走行篇」の新年ver時のジェミニのみ、上半分のみ切断をし、前後を逆にしてバックをしている様に見せかけている。
  21. 「遊園地篇」のみ、ジェミニ2台(ホップステップジャンプと同一カラー)が大観覧車を飛び越える部分のみ、映像を加工している。
  22. 後に車名はメプシ(Maepsy)を経てメプシーナ(Maepsy-Na)に改名。