Sakura (ドラマー)

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テンプレート:小文字 sakura(サクラ、1969年11月20日 - )は、日本ドラマーギタリスト音楽プロデューサー東京都練馬区出身。本名は櫻澤 泰徳(さくらざわ やすのり)で、L'Arc〜en〜Ciel時代から時々本名を名乗っていたほか、この名義で活動することもある。

来歴

  • 東京都練馬区桜台に、三兄姉の末っ子として生まれる。
  • ドラムを始めたきっかけは「数ある楽器の中で、自分にとってドラムが一番簡単そうに見えたから」。今は後悔している(これはドラムが簡単ではなく奥が深かった、という意味で)とも本人は語っている。
  • 1992年12月30日、当時のL'Arc〜en〜Cielのドラマーであったperoが脱退。翌年1993年1月16日、「大阪に来ませんか?」というtetsuyaの誘いに応え、インディーズのセッション・ドラマー(Speak easy、ハーレムQ、Smell of the Bananaなどに参加、当時の渾名はホーテン)として有名であったsakuraが、L'Arc〜en〜Cielに加入する。
  • L'Arc〜en〜Ciel在籍時の1997年2月24日覚せい剤取締法違反(覚醒剤所持)の現行犯で逮捕。これが原因でバンドは活動中止になった。同年5月懲役2年、執行猶予3年の判決が言い渡され、後の1997年11月4日に、sakuraはL'Arc〜en〜Cielからの脱退を正式に発表。理由は「音楽性の違いのため」とされている。
  • 1998年某日、元MALICE MIZERのTETSU、元BY-SEXUALのRYOとDENと共に、ロックバンドZIGZO(ジグゾ)を結成。ドラマーとして完全復帰を果たす。その後も、ZIGZOとして数々のライヴ活動・イベント活動を行うが、2002年3月16日赤坂BLITZでのライブをもって解散。
  • ZIGZO解散後、L'Arc〜en〜CielのギタリストであるkenとファッションモデルのEinと共にSONS OF ALL PUSSYS(S.O.A.P.)を結成する。2002年8月9日札幌KRAPS HALLでのライヴで活動を開始。
  • 2002年から2006年までムックプロデューサーを務める。
  • 2004年から2005年まで、元CASCADEのボーカルTAMAMIZUのソロ活動に参加。
  • 2005年day after tomorrowのTVサポート・ドラマーを務める。
  • 2005年3月13日に元D≒SIREJILSのボーカルYUKIYAのソロライブにサポート参加。
  • 2005年5月25日にPENICILLINのボーカルHAKUEIのシークレットバンド「海賊」のライブで臨時でサポート参加。
  • 2006年は、SONS OF ALL PUSSYSと並行して、Sakura-Die-Nerimaの名前でLion Headsのギタリストとしても活動しており、2006年8月23日に、ファースト・アルバム「白、黒、青、赤。」がリリースされた。
  • 2007年倖田來未のTVサポート・ドラマーを務め、柴咲コウのアルバム「嬉々」のレコーディングに参加。
  • 2007年から2008年SOPHIA都啓一豊田和貴インストゥルメンタルバンド「スペースフィルターズ」のライブサポート・ドラマーを務める。
  • 2009年にはDEAD ENDMORRIEのソロバンドCreature Creatureのライブにもサポートドラムとして参加。
  • 2009年にリリースされたGACKTのシングル「Faraway 〜星に願いを〜」の表題曲と、「LOST ANGELS」に収録されている「No Reason」にレコーディング参加。
  • 2004年から現在までシドのプロデューサーとしても活動している。
  • 2009年から現在までCreature Creatureに固定サポートメンバーとして参加、活動中。
  • 2010年SOPHIA都啓一らと共にロックバンドRayflowerを結成、活動中。
  • 2011年11月20日に行われた誕生日ライブ「暗黒秋櫻」にてZIGZO再結成を発表。2012年3月17日赤坂BLITZにて「THE 2nd SCENCE ZIGZO」再結成公演、同年6月16日より全国ツアー「TOUR THE 2nd SCENE ZIGZO」を7都市9公演開催。
  • 2012年5月25日高田馬場CLUB PHASEにて行われた「暗黒秋櫻~番外編~」で、aiedeadmanthe studs)、INSIDE ME森重樹一)と共にThe Madcap Laughs結成を発表。

人物

  • を好み、インテリアやカーテン、衣服、ドラム・スティックに至るまで黒色である。髪の色も黒だが、ZIGZOのラストライブの時には銀色に染めていた。
  • L'Arc〜en〜Ciel在籍時代には、「四角よりは丸がいいよ」などと抽象的な発言でメンバーを煙に巻くことがあり、他の関西出身のメンバー3人には「東京の人は難しいことを言うんだな、東京の人はみんなこうなのかな」と思われていた。余談だが、現在のドラマーのyukihiroも関東出身。
  • L'Arc〜en〜Ciel時代には、よく花をモチーフとしたペイントを上半身から顔にかけて描いていた。刺青にしなかった理由は「(刺青は)痛いし、あとで黒じゃなくなるのが嫌だから」。
  • アーティストネームは、L'Arc〜en〜Ciel時代には小文字のsakuraであったが、SONS OF ALL PUSSYSのメンバーとして活動する現在ではSakuraとなっている。
  • ken同様、演奏中に喫煙することがあり(Kenが喫煙しているのを確認できるのはsakura脱退後であり、sakura脱退をきっかけに演奏しながら喫煙し始めたと言われている)、「Blurry Eyes」のミュージック・ビデオで確認できる。2011年現在、ガラム・メンソールとセブンスターを愛煙。
  • L'Arc〜en〜Cielを脱退した今も、メンバーとは親交があり、TETSU69の「REVERSE」のレコーディングに参加したり、HYDEのライブにドラマーとしてゲスト参加したこともある。
  • 人前で歌うのが苦手らしく、ボーカルを取ることは無い。ただし、L'Arc〜en〜Cielの楽曲「予感」「I'm so happy」などではコーラスを担当し、SONS OF ALL PUSSYSでは「S.O.A.P. 100%」でラップを披露している。
  • レコーディングでは微妙な周波数の違い、音の広がりにまでこだわる。L'Arc〜en〜Ciel時代は、レコーディングセットのチューニングを曲ごとに激しく変えたり、マイクのセッティングなどもとことんまでこだわっていた。

機材

  • 2011年現在、2005年に製作したPearlのカスタム・モデルを愛用。内面にカーボンクロスを貼り付けた6プライ・メイプル。22"×22"BD、10"×8"TT、12"×8"TT、14"×12"TT、16"×12"TT。BDのレッグを外し、バスドラムアンカーを付けている。ラックを導入しているが、スタンド類はストレートで統一。TOSHI NAGAIモデルのスネアドラムもお気に入りであるらしい。
  • 2012年のZIGZO再結成公演では、海外発注したというPearlのアクリル製キットを使用。24"×16"BD、14"×8"TT、16"×16"FT、18"×16"FT。タムとライドシンバルを、バスドラムに取り付けたホルダーからセッティングしている。
  • シンバルスタンドはフラット・ベース・タイプを愛用。
  • L'Arc〜en〜Ciel時代、「flower」のPVで確認できるキャノンタムはビル・ブラッフォードからの影響。
  • L'Arc〜en〜CielからZIGZO時代にかけ、26インチのベースドラムを愛用していた。当時はドラムシェルが全てメイプルで、ワンバスの代わりに多種多数のタム、シンバルが組まれていた。特にインディーズ時代と、ヘブンリーツアーファイナルでは、ラルク後任のyukihiroにも匹敵するほどの多点セットを組み込んでいた。
  • sakura仕様スティックはメイプル素材。sakuraデザインのトライバル風文様が描かれている。

バンド遍歴

外部リンク

テンプレート:L'Arc〜en〜Ciel