南西アフリカ人民機構
テンプレート:政党 南西アフリカ人民機構(なんせいアフリカじんみんきこう、テンプレート:Lang-en-short)は、ナミビアの政党。もとはナミビアがドイツ領であった第一次世界大戦中に独立運動を行っていた勢力が、大戦後に勢力を結集してできた武装組織。1960年代に強硬派武装組織から大衆組織へと改組され、合法的手段で(時に武力を用いることもあったが)独立を求めるようになった。
ナミビア北部に居住するオバンボ人中心の組織で、ドイツ撤退後の南アフリカによる統治にも反抗し、国際社会に人権状況を訴えるなどした。1966年からザンビアを拠点にナミビア独立戦争を開始し、1973年の国際連合総会でナミビア代表として認められた[1]。
闘争当初はオバンボ人とオヴィンブンド人が文化的に近かったこともあり、隣国アンゴラの独立勢力の一派だったオヴィンブンド人主体のアンゴラ全面独立民族同盟(UNITA)と親密な関係にあったが、アンゴラ独立後にUNITAが冷戦を背景に国際化するアンゴラ内戦の文脈の中で、SWAPOの仇敵の南アフリカとの同盟を図るとSWAPOとUNITAの関係は冷却化し、SWAPOは南アフリカと戦うアンゴラ解放人民運動(MPLA)との友好関係を強化して1976年6月にアンゴラの首都ルアンダに本拠地を移転した[2]。
SWAPOはアンゴラを拠点に、アンゴラに展開していたキューバ軍やアンゴラ政府軍と共に南アフリカ軍やUNITAと戦った。1988年にキューバ軍のアンゴラ撤退とナミビアの独立をリンクさせるリンケージ政策がアンゴラ、南アフリカ、キューバ政府の間で認められたこともあり、1991年7月までの間にキューバ軍が撤退することとナミビアの独立を認めることが承認された[3]。
1990年にナミビアが独立を達成すると、SWAPO議長のサム・ヌジョマが初代大統領に選出され、SWAPOは政党となった。同国では独立以来ヌジョマSWAPO政権が続いた。また中道左派・社会民主主義政党の国際組織である社会主義インターナショナルに加盟した。
2004年11月15日から16日に行われた大統領選で、ヌジョマの指名したSWAPO候補としてヒフィケプニェ・ポハンバ土地相が当選。また同時に行われた議会選でも改選72議席中55議席を獲得し、SWAPO政権の続投が確定した。
脚註
参考文献
- 青木一能「第6章アンゴラ情勢とナミビア独立問題」『フロントライン諸国と南部アフリカ解放』林晃史編、アジア経済研究所、1984年3月。
- 青木一能「アンゴラとキューバ」『アフリカ・ラテンアメリカ関係の史的展開』矢内原勝、小田英郎編、平凡社、1989年6月。
外部リンク
- SWAPO公式ホームページ
- SWAPO青年連盟公式ホームページ
- "Namibian Voters Deny Total Power to SWAPO," by Michael Johns, The Wall Street Journal, November 19, 1989.