Luis-Mary

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テンプレート:Infobox Musician Luis-Mary (ルイ・マリー)は、日本ヴィジュアル系ロックバンド1989年大阪府で結成され、インディーズ時代はFORK SONG RECORDSからCDをリリースした後、1991年日本クラウンからメジャーデビューをした。

メンバー

来歴

インディーズ時代

大阪スクールオブミュージック専門学校総合音楽科に籍を置いていた山下と丸山を中心に結成され、後に西川と有田が加入。

インディーズ時代はライブ活動を中心としていた。当時はTBSイカすバンド天国』の全盛期であり、原宿では「ホコ天バンド」が脚光を浴びていた。そのため、大阪でも何らかの形でミュージックシーンを盛り上げようという動きが始まり、特にシャ乱Qはシーンのリーダー的存在となった。そして、テンプレート:要出典

やがて、ライブハウスのオーナー[1]は、インディーズでCDを出すよう提案。発売後、日本クラウンからメジャーデビューの声がかかった。

メジャーデビューから解散まで

上京後、東京でのスケジュール管理のため、当時BUCK-TICKが所属していた音楽プロダクションV・シェイクハンドに所属。それ以前にアーティスト契約としてライブハウスYANTA鹿鳴館(現・西九条ブランニュー)との契約も残っていたが、YANTA鹿鳴館側はLuis-Maryへのよしみから何も言わなかった。日本クラウン側も、大阪でのLuis-Maryの人気やバンドとしての実力をじっくり見すえた結果、CDをリリース。ファン層拡大のためファンクラブ『Luis-Mary OFFICIAL FAN CLUB XTRA ISSUE』を発足し、会報も作られた。日本クラウンは「CDを出し続ければ絶対に売れるに違いない」と、かなりのバックアップ体制でLuis-Maryをプッシュしたが、リリースしたCDは売れず、最終的に西川が自身とバンドとの音楽性の違いを主張し、解散を決意。1993年3月16日の宇都宮でのライブをもって解散した。他のメンバーとしては、解散は不本意であったという。 

その後の活動とメンバーの現状

  • HAINEこと西川はソロプロジェクトであるT.M.Revolutionなどで活動中。
    • また、西川がT.M.Revolutionとしてデビューした後、日本クラウンからLuis-Maryのベスト盤のアルバム・VHSがリリースされている。西川は「お前の脱退のためにバンドを解散したのだから責任を取って残れ」と言われ、T.M.Revolutionとしてデビューするまで事務所に残り、給料も出ていた。
  • Zyenoこと山下善次は現在ツグティに改名し愛$ラブチャンネル(アイドルラブチャンネル)のギタリストとして活動中。

ディスコグラフィ

シングル

発売日 タイトル 最高位 備考
1st 1991年1月23日 Lainy Blue 圏外 インディーズ、1000枚限定
2nd 1991年11月21日 RAINY BLUE 圏外
3rd 1992年3月10日 WHiSPER (in your eyes) 圏外
4th 1992年10月21日 DRIVE ME MAD 圏外

アルバム

発売日 タイトル 最高位 備考
1st 1991年6月20日 ESCAPE〜鏡の中で〜 圏外 インディーズ
2nd 1991年7月21日 DAMAGE 95位
3rd 1992年3月16日 砂漠の雨 46位
4th 1993年3月5日 RUSH 圏外

ベストアルバム

発売日 タイトル 最高位 備考
1st 1993年7月21日 Best Collection 圏外
2nd 1997年9月26日 PERFECT SELECTION 70位
3rd 1997年12月17日 PERFECT SELECTION.2 圏外
3rd 1998年3月18日 PERFECT SELECTION.3 圏外

VHS

  1. Imperfect Crime (1991年12月16日)
  2. PERFECT SELECTION.4 (1998年5月21日)

脚注

  1. FOLK SONG RECORDからのリリースに至るまで強力にLuis-Maryをプッシュしたのは、当時ヤンタ鹿鳴館のブッキングマネージャーであった中塚芳生で、日本クラウンとの関係も中塚芳生がボーカルをつとめたバンド、ナムチェバザールを通じての縁によるものである。ちなみにFOLK SONG RECORDからリリースされたCDシングルLainy BlueとアルバムESCAPE~鏡の中で~は中塚芳生のプロデュースである。


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