高蔵寺ニュータウン

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テンプレート:基礎情報 ニュータウン 高蔵寺ニュータウン(こうぞうじニュータウン)は、愛知県春日井市東部の丘陵地帯に建設されたニュータウン千里多摩と並ぶ黎明期のニュータウンの一つである。

概要

ファイル:Kozoji-Newtown1976.jpg
1976年の空中写真。押沢台にはまだ入居が始まっていない。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成

高蔵寺ニュータウンは、名古屋市の中心部から北東17kmに位置する、東西約4km・南北約4kmに渡るニュータウンで、名古屋市のベッドタウンとして開発された。1968年に入居が開始された、日本で二番目に古い大規模ニュータウンである。 設計は津端修一。 ニュータウンの中心部には航空自衛隊高蔵寺分屯基地がある。高蔵寺ニュータウンの計画はこの基地の移転を前提にしたものだったが、移転候補先で反対運動に合い、移転計画が頓挫してしまった。そのため高蔵寺ニュータウンは、基地を抱えたまま現在に至っている。同基地が移転せずその部分が未だに開発されていない分だけ、計画よりも人口が少なくなっている。同基地は今なお航空自衛隊の弾薬庫として機能しており、有事の際のリスクは高い。

そのニュータウンの中心部に、アピタ高蔵寺店を中核としたサンマルシェと呼ばれるショッピングセンターがあり、このショッピングセンター周辺がニュータウンの中核施設群「センター地区」となっている。また、ニュータウン周辺には郊外型の店舗が多数進出している。

ニュータウンの最寄り駅である高蔵寺駅からは、JR中央本線で名古屋市内に20~30分で、愛知環状鉄道線瀬戸市に10分で行く事が出来る。

他の大規模ニュータウンと違って、ニュータウン内を鉄道が通っていないが(桃花台線がその役割を担う予定だった)、ニュータウンから高蔵寺駅までは名鉄バスが、ニュータウンから春日井市民病院まではかすがいシティバスはあとふるライナーが、ニュータウン内にはサンマルシェ循環バスが走っている。また、車の所有率も高い。

名古屋市のベッドタウンであるため、名古屋市への勤務者がきわめて多い。また、他のニュータウン同様、高齢化が深刻な問題になっており、一時は学区統廃合の議論も起こった。現在は初期入居者の子供たちのUターンにより、ある程度人口は持ち直しを見せている。

このニュータウンが丘陵地帯を開拓して作られた事にちなみ、地名には「台」の文字が付けられている。

ニュータウンの地名

テンプレート:出典の明記

藤山台

  • 高蔵寺ニュータウンの中で一番早く整備された街である。
  • 1968年に入居第一号が入居した。しかしまだ工事の真っ最中で赤土が見え、ブルドーザーダンプカーの轟音が響き渡っていた。同年藤山台小学校が開校したが、最初の児童数は24人だった。
  • 1968年7月7日早朝、藤山台団地内のダストシュートで火事が起こり壁を焼いてしまった。このあと難燃性のダストシュートに変えたが、ゴミの臭いが広がったり、ねずみの大量発生が原因で大型コンテナで回収するようになった。
  • 2013年藤山台小学校(旧)藤山台東小学校が統合し藤山台小学校(新)となる(当面藤山台東小の校舎を使用し藤山台小(旧)の校舎を建て替え、2016年に新校舎完成後さらに西藤山台小学校を統合)。

岩成台

  • 1971年に岩成台団地が入居開始。1976年には岩成台西団地も入居開始している。宅地整備も進んでいるが、1/3くらいを団地が占めている。
  • 岩成台の中ほどに岩成山がある。
  • 比較的高蔵寺駅に近いため、アクセスが良い。

高森台

  • 高蔵寺ニュータウンの中でも最も標高が高く、高蔵寺駅からも比較的遠い。
  • 1973年に高森台団地入居開始。県営住宅などの団地が多い。
  • 高森台の中央には、標高206メートルの高森山がそびえたっている。
  • 高森山は1960年代頃は、はげ山であったが、地元の子供たちや地域の方々の努力で、現在緑に覆われている。

中央台

  • ニュータウンの中心に位置し、サンマルシェなどニュータウンの中核的機能をもっている。
  • 中央台団地は、ニュータウンの団地の中でも比較的大型である。

石尾台

  • 団地がなく、住宅が立ち並ぶ地区。ニュータウンの中でも高齢化、少子化が進んでいる地区でもある。

押沢台

  • ニュータウン中心部から山を挟んだ東側にある地区。こちらも石尾台同様、少子化が進んでいる。

高座台

  • ニュータウンの中でも最も駅に近い地区。高座台団地やサンハイツたかくらなど新興住宅が多い。
  • ニュータウン唯一学校機関がひとつもない。
  • 計画にはなかった地区だが、「高蔵寺駅から団地が見えるように」と言う理由で造成された。

年表

テンプレート:出典の明記

  • 1960年5月 - ニュータウン建設の適地調査(候補地選定)開始
  • 1960年10月 - ニュータウン建設地が高蔵寺に決まる
  • 1964年12月 - 造成工事始まる
  • 1966年5月 - 起工式
  • 1967年6月 - 公団住宅建設開始
  • 1968年5月 - 高蔵寺ニュータウン第1次入居(藤山台集合住宅入居)開始
  • 1971年3月 - 岩成台集合住宅入居開始
  • 1971年5月 - 医者村に1件目の診療所が開業
  • 1971年7月 - 藤山台(現在の住所表記では岩成台)に、ココストアが開店
  • 1972年 - 1965年に次いで高森山で山火事が発生、高森山は禿げ山となる
    • これを受けて、同年11月に「どんぐり作戦」が始まる(住民の手による緑化として、全国のモデルケースとなる)
  • 1973年 - ニュータウン内の違法駐車が問題となり始める
  • 1973年3月 - 高森台集合住宅入居開始
  • 1974年7月 - 中央台集合住宅入居開始
  • 1975年2月 - 7つの診療科が揃い、医者村が完成
  • 1975年6月 - ニュータウン内を流れる愛知用水で幼児が水死する
    • 翌年にも児童の転落事故があり、愛知用水をフェンスで厳重に囲う等の対策が取られる事になる
  • 1976年5月 - 雨により高森台で石垣が崩壊し、1名が圧死する
    • 違法駐車に阻まれて重機が進入できず、救助が遅れてしまった
    • その後の数か月間で、各所で石垣の崩壊が相次ぎ、石垣の多くが緩斜面に改修される事になる
  • 1976年10月 - 中央台に総合スーパーユニーを核店舗とするショッピングセンターサンマルシェが開店
    • 現在のアピタ館と北西エリアに相当する部分が開業
  • 1978年3月 - 高座台集合住宅入居開始
  • 1979年3月 - 藤山台で火災が発生。違法駐車に阻まれてはしご車が進入できず、乳児が焼死する
    • これを受けて、「緑を取るか駐車場を取るか」の議論に決着をつけて、駐車場の造成が進む事になる
  • 1980年 - 愛知県立高蔵寺高等学校が開校
  • 1982年 - 自衛隊の部分が未着工のままで、竣工となる
  • 1982年9月 - 企業誘致エリアへの工場誘致に対して反対運動が起こる。それを受けて反反対運動も起こり、両者で署名合戦となる
    • 反反対派の方が署名数が多かったが、誘致予定の企業(VLSI工場)はそんなニュータウンの住民感情を嫌って、工場建設地を他地域(高森台から高蔵寺町)に決める事になる
    • ニュータウンの当初計画にあった「雇用の創出」にはつながらなかったものの、その後、各企業の物流センターや社員寮の様な種類の施設が進出し、現在に至っている
  • 1983年 - 中央台に東部市民センターがオープン
  • 1983年8月 - 岩成台西集合住宅入居開始
  • 1984年4月 - 石尾台にスーパーナフコを誘致
  • 1992年4月 - サンマルシェ南館が開業
  • 1999年4月 - サンマルシェ南西エリアが開業
  • 2002年4月 - 中央台で山火事が発生、自衛隊敷地に燃え広がる
  • 2004年4月 - 高座山の南側で山火事が発生、自衛隊敷地に燃え広がる
  • 2005年5月 - サンマルシェ本館を建て替え、アピタ館がオープンする
  • 2006年4月 - サンマルシェ循環バスの試験運行開始
  • 2008年 - ニュータウン40周年

学校

高等学校

中学校

(高座台は部分的に春日井市立高蔵寺中学校校区)

小学校

最寄駅

関連項目

外部リンク