飛田遊廓
飛田遊廓(とびたゆうかく)は、大阪市西成区の山王3丁目一帯に広がる遊廓、赤線、ちょんの間である。通称は飛田新地(とびたしんち)。大正時代に築かれた日本最大級の遊廓と言われた。
概要
1958年の売春防止法施行以後は料亭街『飛田料理組合』となっているが、現在も当時の雰囲気を残している。大部分の「料亭」は看板は料亭であるが、営業内容は1958年以前と何ら変わりがない。表向き料亭に転向[1]することにより、料亭内での客と仲居との自由恋愛という脱法行為として売春防止法を逃れられたためである。
同様に大阪市内には松島新地(西区)や今里新地(生野区)等、現代に生き残った旧赤線がある。
現在料亭(本来の料亭)として営業している「鯛よし百番」は、大正中期に遊廓として建てられた建物を使用しており、2000年に国の登録有形文化財となった[2]。ただし、歴史的な建造物や町並みは評価されつつも、依然として飛田新地の中は観光地ではない。その地域の成り立ちや性格上、写真撮影はタブー視されている[3]。
歴史
難波新地乙部遊廓が全焼した後、1916年(大正5年)に築かれた。規模は、22,600坪。1918年(大正7年)には既に100軒あまりの妓楼が並んでいた。妓楼の数は昭和初期には200軒を超える。花街も戦災を免れた唯一の廓である[4]。戦後にいわゆる赤線となった。
その他
かつて飛田料理組合の顧問弁護士を務めていた橋下徹は[5][6]、2013年5月27日に日本外国特派員協会において記者が「名称は『料理組合』かも知れないが、飛田は、お店の2階に上がってお金を払えば買春できることは、大阪のちょっとませた中学生なら誰でも知っている。中学生が聞いて、『橋下さん、うそついてはるわ!』と思うような詭弁を弄してひとりの政治家として恥ずかしくないのか」と問いただしたのに対し、「日本において違法なことがあれば、捜査機関が適正に処罰する。料理組合自体は違法でもない」、「違法なことであれば、捜査機関が行って逮捕されます。以上です」などと述べ、売春の実態の有無には直接的に触れず、料理組合それ自体には違法性が無いという点のみ説明している[7]。
交通
- かつての最寄り駅(いずれも廃止)
名所・旧跡
- 母子観音像 - 山王3丁目5
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飛田新地
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飛田大門跡。ガス灯を模した照明の附近に門の跡がある。
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鯛よし百番
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慈母観音
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慰霊碑
関連項目
脚注
参考文献
テンプレート:Coord- 元の位置に戻る ↑ 禁断の遊郭「飛田新地」が“外”に開かれた日(5/5ページ)産経ニュースWESTライフ(2012年8月4日)
- 元の位置に戻る ↑ テンプレート:Cite web
- 元の位置に戻る ↑ 禁断の遊郭「飛田新地」が“外”に開かれた日(1/5ページ)産経ニュースWESTライフ(2012年8月4日)
- 元の位置に戻る ↑ 「大阪春秋」25号 堀内宏昭編 大阪春秋社 昭和55年 p.106。
- 元の位置に戻る ↑ テンプレート:Cite news
- 元の位置に戻る ↑ テンプレート:Cite web
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