青木 一都(あおき かずくに、享保6年(1721年) - 寛延2年10月26日(1749年12月5日))は、摂津麻田藩の第6代藩主。
第5代藩主・青木一典の長男。母は冷泉為経の娘。正室は谷衛衝の娘。官位は従五位下。甲斐守。出羽守。
幼名は源五郎。1736年、15歳の時に父の死で跡を継いだ。1749年10月26日に嗣子なくして29歳の若さで死去した。法名は覚翁院殿大徹浄真大居士。家督は弟の見典が養嗣子として継いだ。
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