阿部正敏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
阿部 正敏(あべ まさとし)は、江戸時代中期の譜代大名、大坂城代。忠秋系阿部家6代。
人物
忍藩4代藩主・阿部正喬の五男として生まれる。正喬が隠居した際、まだ若年だったため、従兄の正允が家督を継いだ。寛保2年(1742年)に嫡子となったが、正允が長命を保ったため、家督を継いだのは安永9年(1780年)、51歳のときである。翌天明元年(1781年)に奏者番となる。正敏は江戸屋敷がたまたま当時の実力者田沼意次邸の隣で、意次が屋敷地の拡張を希望していると聞くや、自分の屋敷地を幕府に返上、幕府は意次に下賜する形で譲渡している。天明4年(1784年)、奏者番から大坂城代に昇格したが、在職中の天明7年(1787年)に死去している。
先代藩主・正允の次男・正陳を養子としたが、就封前に死去した。このため、実子の長男・正識が跡を継いだ。
年譜
- 1730年(享保15年) 生まれ(享保17年(1732年)4月28日生まれとする説もある)
- 1780年(安永9年) 正允死去、阿部家相続
- 1781年(天明元年) 奏者番
- 1784年(天明4年) 大坂城代(5月11日)
- 1787年(天明7年) 死去(4月19日)、享年58