関東大学ラグビーリーグ戦グループ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2014年5月5日 (月) 01:50時点における27.114.87.53 (トーク)による版 (有力チームの紹介)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先: 案内検索

関東大学ラグビーリーグ戦グループかんとうだいがくラグビーリーグせんグループ)とは、関東ラグビーフットボール協会に加盟する大学ラグビー部(大学生チームによるラグビーフットボール競技を行う運動部)のうちで、関東大学ラグビーフットボール連盟に所属してリーグ戦を行うチームの集まりのことである。


略歴

関東の大学ラグビーは、他の地域で一般的に行なわれる総当たり戦とは異なり、対抗戦思想と呼ばれる、相互間で認め合った相手(毎年、シーズン前のマネージャー会議にて決定)と試合を組んで行う、という理念をもとにした試合形式で行なわれていた。しかしチーム数が増えるにしたがって、総当たり戦の二部制形式を導入するに至ったが、導入してしばらく、一部の有力校や人気校が2部リーグに降格する事態がおきた。そのため協会内の有力校が中心になり再び運営方法を改革することになり、二部制を廃止し、試合形式を再び以前の対抗戦方式(義務4試合+選択3試合以上の変則対抗戦)に戻すに至った。

しかし1シーズンでまた改編され、変則対抗戦方式のままで、対等な並立2ブロック制(両ブロックの1位同士で優勝を決定)を導入。しかしブロック制2シーズン目に備えた両ブロックの編成替えを巡って大学間に感情的な対立を生むに至り、結局以前の通常の対抗戦方式に戻ることになった。

それまでも伝統校を中心とした勢力と、それらの有力校以外の当時新興校と呼ばれた大学の間で多くの意見主張が合わず、何度かの制度改革が行なわれてきた。対抗戦方式復活後も、伝統校・有力校側の事情で日程やカードが決まる風潮に新興校が不満を募らせ、また対抗戦方式ゆえに全国大学ラグビー選手権大会出場校を選択する上での基準が不明瞭であったため、衝突が激化していった。

1967年には日大中大法大専大が中心になって対抗戦方式を主張する学校群と決別し、総当り戦を主張する学校群のみでの総当たり戦を実施するに至った。その翌年の1968年には正式に関東大学ラグビーフットボール連盟が発足。総当たり戦グループは関東ラグビーフットボール協会内で関東大学ラグビーリーグ戦グループと呼ばれるようになった。 対してもう一方のグループを関東大学ラグビー対抗戦グループと呼ぶ。なお関東大学ラグビーフットボール連盟の組織自体は関東ラグビーフットボール協会の承認団体・傘下団体ではなく、リーグ戦グループとしてのローカルな組織になる。したがってリーグ戦グループ所属校は、形の上では関東大学ラグビーフットボール連盟と関東ラグビーフットボール協会の双方に二重に登録することになる。これは過去の対抗戦とリーグ戦の分裂経緯に因るものである。

グループ分裂後、全国大学ラグビーフットボール選手権大会への関東からの出場校4枠分を決定する都合で、両グループの上位4代表が襷がけで対戦し、勝利したチームを関東代表とする関東大学ラグビー交流戦(交流試合)が導入された。

リーグ戦開始当初は、強豪校との対戦が減ったためにリーグ全体のレベル低下を招き、リーグ戦グループにとっては苦難の時代となった。法大が際立って伝統校に対して気を吐いていたがまもなく低迷し、その他の対抗戦に対するライバル意識を燃やしていたリーグ戦グループ中心校も、交流試合突破が困難であり、やっと出場した全国大学選手権でも良好な結果を出せなかった。対抗戦と比較しての注目度・人気といった点でも同様の悪影響を引き起こしていった。

その後、交流戦時代の後期に始まった大東大の台頭、法大の復活によって低迷していたリーグ戦グループが対抗戦グループと比肩しうるレベルとなり、関東協会傘下チーム全体のレベルが向上した。これは全国でのラグビー人気と相まった大学選手権の出場枠数改革(8校から16校への増加)の遠因にもなった。

前史 〜リーグ戦誕生まで〜

リーグ戦の誕生 〜対抗戦・リーグ戦の分裂以後〜

  • 1967年 関東ラグビー協会傘下の大学チームの中で総当たりの対戦方式を主張するチーム(法大、中大、日大、専大、防衛大、東洋大国士大大東大)により1回戦総当たりのリーグ戦を開始。大学選手権の関東代表は上位2校が出場。法大が2度目の大学日本一
  • 1968年 (7月)関東大学ラグビーは、対抗戦とリーグ戦に完全分離し、関東大学ラグビーフットボール連盟を発足。対抗戦との間で12月に大学選手権関東代表決定戦(翌年から関東大学交流試合)を実施。両グループ上位4校同士が順位による襷がけで対戦し勝者が関東代表権を獲得。
  • 1979年 対抗戦と合同による第1回関東大学ジュニア選手権大会が開催
  • 1982年 1979年から始まった対抗戦グループの全早慶明戦に対抗して第1回全日中法専戦を開始(対戦は年2カードずつで組み合わせが毎年変る方法。日中法専のみなのは、リーグ戦グループ結成の中心チームが以上4チームであったため)。
  • 1986年 大東大が大学選手権で初優勝
  • 1988年 大東大が大学選手権で2度目の優勝(明大との同点両校優勝)
  • 1992年 法大が3度目の大学日本一
  • 1993年 全国大学ラグビー選手権大会の出場校拡大(16校化)に伴い、交流試合廃止。リーグ戦からは上位4校が無条件に出場。5位校は、北海道または東北の代表校と全国地区対抗の関東1区または関東2区と対戦した勝者と代表決定戦を行う方式に変更。
  • 1994年 大東大が3度目の大学日本一。
  • 1995年 5位校の代表決定戦の対戦相手は直接に北海道または東北代表との対戦に変更(地区対抗予選の関東からの参加が廃止)。
  • 1997年 大学選手権出場の5位校の代表決定戦出場は隔年制となり、それ以外の年度は無条件に出場となる(対抗戦5位と隔年交代制。同年はリーグ戦5位が代表決定戦へ出場)。関東学院大が初の大学日本一。
  • 1998年 関東学院大が2度目の大学日本一(関東リーグ戦所属校として初の2連覇)
  • 1999年 関東協会傘下の大学による第1回東日本大学セブンズが開催
  • 2000年 関東学院大が法大を破り、3度目の大学日本一(大学選手権で初の関東大学ラグビーリーグ戦に所属するチーム同士の決勝戦)
  • 2001年 関東学院大が4度目の大学日本一(関東リーグ戦所属校として2度目の2連覇)
  • 2003年 関東学院大が5度目の大学日本一
  • 2006年 関東学院大が6度目の大学日本一(全国選手権決勝10年連続進出)。日大が部の不祥事によりリーグ戦残り試合および最下位に伴う入れ替え戦を辞退(不戦敗により次季の2部降格が決定)。
  • 2007年 関東学院大が部員の不祥事により、リーグ戦途中で残り試合(1試合)の出場と、大学選手権への出場を辞退(順位成績や次年度扱いは既定どおり)。
  • 2008年 2月~3月にかけて、関東ラグビー協会・大学部会の共通なテーマとして「リーグ戦・対抗戦の統一の模索」の話題が挙がったことが幾つかのスポーツ紙で報じられた。協会・部会内の有力校関係者にアンケートを採るなどの正式な動きがあった旨の報道も後日に行われた。その結果として「現状としては両グループでも関係者の多くは統合を望んでいない」という整理になり、今後も将来に向けての研究テーマの一つとして検討は継続するという曖昧な収束報道がなされ、将来への含みを持たせながらもとりあえずは現状を維持するといううやむやな結論に至った。
  • 2012年 関東ラグビー協会主催による対抗戦グループと合同の第一回関東大学春季大会が開催される[1]

公式戦

  • 毎年秋(9月〜11月頃)に各部のリーグ戦を実施
  • 各部リーグ戦終了後に2校の入れ替え戦(1試合)を実施(上部8位対下部1位、上部7位対下部2位)
  • 4月に7人制ラグビーの大会を実施

運営

  • 8校構成を基本とした総当たり戦を実施。最上部を1部とし、以下各部が続く。各部の構成数も下部の試合方式・運営方法も過去何度かの変遷があったが、現在は1部〜6部での総当たり戦で構成されている。
  • シーズン終了後には上部リーグと下部リーグ間での入れ替え戦を実施し、その結果で次シーズンの上部所属校を決定する。
  • 出場枠規定に因り1部リーグ上位4校は、全国大学ラグビーフットボール選手権大会への出場権利を有する(例年4校、隔年で5位校が北海道東北地区代表と代表決定戦を実施)。
  • 現在のリーグ順位決定方法は勝点制。詳細は以下の通り。
    • 勝ち4点、引き分け2点、負け1点、棄権0点
    • 2校が同じ勝ち点で並んだ場合は、以下の順番で若番の項目を優先して決定。
      1. 直接対戦の勝者
      2. 直接対戦のトライ数
      3. 全試合の総得失点差
      4. 全試合の総トライ数

有力チームの紹介

  • 1部リーグ所属チーム(2013年度1部所属チーム)
    • 流通経済大学 - 強豪である付属校からの人材供給で強化。展開ラグビーがスタイル。2010年度の大学選手権で初勝利を挙げた。2011年度には悲願のリーグ戦初制覇を果たした。ジャージは白。
    • 東海大学 - こちらも付属校から安定した人材供給で近年躍進。FW、BKが一体となったラグビーをする。2007年度に念願のリーグ戦初優勝を果たす。2008~2010年度はリーグ戦で全勝優勝、4連覇を果たした。2009年度には大学選手権で準優勝を記録している。ジャージは青。
    • 大東文化大学 - 荒々しいイメージのラグビースタイルだが、個の力に優れた選手を多く擁する。「タテの大東」と評されることも多く、対抗戦の明治大学とよく比較される。いち早く留学生の受け入れを実施し、1980年代後半-90年代前半にトンガ人旋風を巻き起こした。モスグリーンがチームカラー。
    • 法政大学 - FWは、他の強豪校が「大柄で圧力をかける」スタイルが多い中、「小柄だがボールへの集散が速い」スタイルをもつ。FWの速い集散、HFの速い球出し、高速BKによる積極的な外への展開ラグビーを見せる。タックルが強烈で、「炎のタックル」「魂のタックル」と評される。また、意外性のあるチームとして知られている。第1回大学選手権優勝校であり、これまで優勝3回・準優勝5回の実績を誇る。関東大学ラグビーリーグ戦創設期に中心となったチームの一つであり、リーグ戦最多の13回の優勝を誇る。オレンジと青の横縞のジャージ。
    • 日本大学 - 立正大を破って、 2008年度より1部リーグ復帰。関東大学ラグビーリーグ戦創設期に中心となったチームの一つであり、リーグ戦優勝3回を誇る古豪チーム。ジャージは黒とピンク。
    • 中央大学 - 関東大学ラグビーリーグ戦創設期に中心となったチームの一つである。人材は上位陣に劣るが、ひたむきなタックルと外への展開でアップセットを狙うチーム。ジャージは紺、青、白の3色。
    • 拓殖大学 - 2007年度より1部リーグ復帰。いきなりリーグ戦3位の好成績を挙げて大学選手権初出場を果たした。
    • 立正大学 - 2005年度に一度昇格を果たすも2006年に降格。2部では常に好成績を残すものの、なかなか入れ替え戦の壁を敗れなかったが、2012年の入れ替え戦で関東学院大学を破って7年ぶりの昇格を決めた。
  • そのほかの有力校
    • 関東学院大学 - かつては10年連続で大学選手権の決勝に進出し、6度優勝した強豪。FW、BKのバランスの取れたチーム。春口廣元監督が長年の辛苦を経て強豪に築き上げた。日本代表も多数巣立つ。春口元監督の指導及びチームカラーに引かれ、有力選手から比較的経験の浅い選手まで多数入部し、その部員数は全国屈指である。スカイブルーと紺の横縞は日本体育大学と同じだが、縞の太さが違う。2012年のリーグ戦で全敗を喫し、入れ替え戦も敗退。2013年は31年ぶりに2部からの再スタートとなる。
    • 専修大学 - 1980年代まで常にリーグ戦の上位につけていた法政大学と並ぶ古豪。1989年に5度目のリーグ戦制覇を果たすも以後低迷し、2002年に入れ替え戦で敗退し2部降格。以後2部では常に上位につけるも、新勢力の台頭もあって入れ替え戦を後一歩で逃す年も多い。

全優勝校と優勝回数

※2013年度シーズン終了時の1部優勝回数

歴代順位表

入れ替え戦は、上部下位2校と下部上位2校の間で対戦。(例:1部7位×2部2位、1部8位×2部1位、2部7位×3部2位、2部8位×3部1位、3部7位×4部2位、3部8位×4部1位、4部7位×5部2位、4部8位×5部1位)

1部リーグ

※ボールド体は選手権出場。1966年以前の関東一リーグ時代の順位は資料不足により不明。

年度 優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位 9位
1 1967 法政大 中央大 日本大 専修大 東洋大 国士舘大 防衛大 大東文化大
2 1968 専修大 中央大 法政大 防衛大 日本大 東洋大 国士舘大 大東文化大 拓殖大
3 1969 法政大 日本大 専修大 中央大 東洋大 大東文化大 国士舘大 防衛大 拓殖大
4 1970 法政大 中央大 日本大 東洋大 専修大 大東文化大 防衛大 横浜国立大 国士舘大
5 1971 法政大 中央大 東洋大 大東文化大 日本大 専修大 防衛大
6 1972 中央大 日本大 東洋大 防衛大 法政大 専修大 大東文化大
7 1973 専修大 法政大 東洋大 日本大 中央大 大東文化大 防衛大
8 1974 大東文化大 日本大 中央大 専修大 法政大 東洋大 防衛大
9 1975 専修大 大東文化大 中央大 日本大 防衛大 東洋大 法政大 国士舘大
10 1976 日本大 専修大 中央大 東洋大 大東文化大 東海大 法政大 防衛大
11 1977 日本大 専修大 法政大 国士舘大 中央大 東洋大 東海大 大東文化大
12 1978 国士舘大 東海大 法政大 中央大 日本大 専修大 東洋大 拓殖大
13 1979 法政大 専修大 大東文化大 中央大 東海大 国士舘大 日本大 東洋大
14 1980 法政大 専修大 大東文化大 国士舘大 中央大 拓殖大 日本大 東海大
15 1981 法政大 専修大 日本大 東海大 国士舘大 中央大 大東文化大 拓殖大
16 1982 専修大 中央大 法政大 大東文化大 日本大 国士舘大 東海大 拓殖大
17 1983 法政大 日本大 専修大 大東文化大 東海大 中央大 国士舘大 関東学院大 拓殖大
18 1984 法政大 専修大 日本大 中央大 大東文化大 国士舘大 東海大 関東学院大 東洋大
19 1985 日本大 大東文化大 専修大 国士舘大 中央大 法政大 関東学院大 東海大 拓殖大
20 1986 大東文化大 中央大 法政大 専修大 国士舘大 日本大 東海大 関東学院大 拓殖大
21 1987 大東文化大 法政大 関東学院大 専修大 国士舘大 中央大 東洋大 日本大 東海大
22 1988 大東文化大 専修大 国士舘大 関東学院大 法政大 日本大 東海大 中央大 東洋大
23 1989 専修大 大東文化大 関東学院大 法政大 日本大 東海大 中央大 国士舘大 東洋大
24 1990 関東学院大 大東文化大 日本大 法政大 中央大 国士舘大 専修大 東海大 東京農業大
25 1991 大東文化大 関東学院大 法政大 専修大 国士舘大 日本大 東洋大 中央大 東海大
26 1992 法政大 関東学院大 大東文化大 中央大 国士舘大 東洋大 専修大 東海大 日本大
27 1993 法政大 関東学院大 大東文化大 中央大 専修大 東海大 国士舘大 東洋大
28 1994 大東文化大 法政大 中央大 関東学院大 日本大 東海大 国士舘大 専修大
29 1995 大東文化大 関東学院大 法政大 日本大 専修大 中央大 東海大 国士舘大
30 1996 関東学院大 中央大 日本大 法政大 専修大 大東文化大 東海大 国士舘大
31 1997 関東学院大 日本大 法政大 大東文化大 流通経済大 専修大 中央大 東海大
32 1998 法政大 関東学院大 中央大 日本大 流通経済大 大東文化大 専修大 山梨学院大
33 1999 関東学院大 流通経済大 日本大 大東文化大 法政大 中央大 専修大 山梨学院大
34 2000 関東学院大 法政大 大東文化大 日本大 専修大 中央大 東海大 流通経済大
35 2001 関東学院大 法政大 中央大 日本大 大東文化大 流通経済大 東海大 専修大
36 2002 関東学院大 法政大 東海大 中央大 流通経済大 大東文化大 日本大 専修大
37 2003 関東学院大 法政大 流通経済大 東海大 日本大 大東文化大 中央大 山梨学院大
38 2004 法政大 関東学院大 大東文化大 日本大 流通経済大 東海大 中央大 拓殖大
39 2005 関東学院大 法政大 大東文化大 東海大 流通経済大 日本大 中央大 立正大
40 2006 関東学院大 法政大 東海大 大東文化大 流通経済大 中央大 立正大 日本大
41 2007 東海大 関東学院大 拓殖大 法政大 大東文化大 中央大 流通経済大 立正大
42 2008 東海大 法政大 関東学院大 日本大 流通経済大 中央大 拓殖大 大東文化大
43 2009 東海大 関東学院大 法政大 流通経済大 拓殖大 中央大 大東文化大 日本大
44 2010 東海大 流通経済大 関東学院大 中央大 大東文化大 日本大 法政大 拓殖大
45 2011 流通経済大 東海大 関東学院大 大東文化大 法政大 日本大 中央大 拓殖大
46 2012 東海大 流通経済大 拓殖大 法政大 日本大 中央大 大東文化大 関東学院大
47 2013 流通経済大 中央大 大東文化大 東海大 日本大 法政大 立正大 拓殖大
  • 1967年から関東大学ラグビーが対抗戦とリーグ戦に分裂。関東代表は上位2校。
  • 1968年から交流戦開始
  • 1969年から1部2部制導入。入れ替え戦の開始
  • 1970年は次年度の1部構成数の変更に伴い2校が自動降格
  • 1974年は次年度の1部構成数の増枠に伴い1校が自動昇格
  • 1975年の大東文化大の選手権出場は同点抽選の結果
  • 1978年の1位の国士舘大の交流戦の対戦相手は対抗戦4位校の出場辞退で5位校
  • 1982年の専修大は同点抽選の結果、選手権の出場ならず。次年度の1部構成数の増枠に伴い1校が自動昇格
  • 1989年の専修大は同点抽選の結果、選手権の出場ならず
  • 1992年は次年度の1部構成数の変更に伴い1校が自動降格
  • 1993年に大学選手権の出場校増加に伴い関東交流戦廃止。
  • 2006年の日本大の順位に関しては沿革を参照
  • 2007年の関東学院大は部員の不祥事により選手権辞退

2部リーグ(1998年〜)

年度 優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
1998 東洋大 東海大 立正大 亜細亜大 創価大 拓殖大 白鴎大 国際武道大
1999 東海大 白鴎大 拓殖大 国際武道大 立正大 創価大 東洋大 亜細亜大
2000 山梨学院大 拓殖大 国士舘大 立正大 白鴎大 国際武道大 東洋大 創価大
2001 山梨学院大 拓殖大 立正大 国士舘大 国際武道大 東洋大 白鴎大 亜細亜大
2002 山梨学院大 拓殖大 立正大 国士舘大 東洋大 埼玉工業大 白鴎大 国際武道大
2003 拓殖大 専修大 立正大 白鴎大 国士舘大 埼玉工業大 東洋大 国際武道大
2004 立正大 専修大 山梨学院大 埼玉工業大 国際武道大 国士舘大 白鴎大 防衛大学校
2005 拓殖大 山梨学院大 専修大 埼玉工業大 白鴎大 国士舘大 東洋大 国際武道大
2006 拓殖大 埼玉工業大 山梨学院大 専修大 国際武道大 白鴎大 国士舘大 東洋大
2007 日本大 埼玉工業大 山梨学院大 専修大 国際武道大 国士舘大 白鴎大 東洋大
2008 立正大 専修大 埼玉工業大 山梨学院大 国際武道大 東洋大 国士舘大 防衛大学校
2009 埼玉工業大 立正大 山梨学院大 國學院大 専修大 東洋大 国士舘大 国際武道大
2010 立正大 山梨学院大 埼玉工業大 専修大 朝鮮大学校 東洋大 國學院大 玉川大
2011 立正大 山梨学院大 専修大 埼玉工業大 東洋大 玉川大 白鴎大 朝鮮大学校
2012 立正大 山梨学院大 専修大 國學院大 国士舘大 東洋大 玉川大 埼玉工業大
2013 山梨学院大 関東学院大 専修大 國學院大 東洋大 国士舘大 玉川大 白鴎大

3部リーグ(1998年〜)

年度 優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
1998 国士舘大 東京農業大 神奈川大 獨協大 防衛大学校 國學院大 玉川大 千葉商科大
1999 国士舘大 東京農業大 神奈川大 防衛大学校 獨協大 埼玉工業大 國學院大 東京経済大
2000 亜細亜大 神奈川大 東京農業大 埼玉工業大 獨協大 玉川大 防衛大学校 東京経済大
2001 埼玉工業大 創価大 神奈川大 東京経済大 東京農業大 玉川大 防衛大学校 獨協大
2002 國學院大 防衛大学校 東京農業大 神奈川大 玉川大 創価大 東京経済大 亜細亜大
2003 神奈川大 防衛大学校 國學院大 東京農業大 獨協大 横浜国立大 玉川大 創価大
2004 東洋大 國學院大 東京農業大 神奈川大 獨協大 玉川大 朝鮮大学校 横浜国立大
2005 國學院大 防衛大学校 神奈川大 東京農業大 東京工業大 城西大 玉川大 獨協大
2006 國學院大 東京農業大 防衛大学校 神奈川大 朝鮮大学校 東京工業大 東京理科大 城西大
2007 國學院大 防衛大学校 玉川大 朝鮮大学校 神奈川大 東京農業大 東京工業大 東京理科大
2008 國學院大 玉川大 白鴎大 東京農業大 朝鮮大学校 神奈川大 桜美林大 東京理科大
2009 玉川大 朝鮮大学校 白鴎大 東京農業大 城西大 横浜国立大 神奈川大 防衛大学校
2010 国士舘大 白鴎大 城西大 防衛大学校 東京農業大 国際武道大 横浜国立大 駿河台大
2011 国士舘大 國學院大 防衛大学校 東京農業大 国際武道大 横浜国立大 城西大 駿河台大
2012 白鴎大 国際武道大 朝鮮大学校 東京農業大 防衛大学校 城西大 横浜国立大 東京工業大
2013 東京農業大 埼玉工業大 朝鮮大学校 東京工業大 国際武道大 防衛大学校 城西大 東京理科大
  • 2003年に亜細亜大が脱退

4部リーグ(1998年〜)

年度 優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
1998 埼玉工業大 東京経済大 駒澤大 城西大 東京工業大 明海大 横浜国立大 東京国際大
1999 城西大 玉川大 東京工業大 産業能率大 駒澤大 千葉商科大 明海大 東京都立大
2000 國學院大 城西大 東京工業大 駒澤大 東京国際大 産業能率大 東京理科大 千葉商科大
2001 國學院大 千葉大 城西大 東京国際大 東京工業大 横浜国立大 駒澤大 産業能率大
2002 獨協大 横浜国立大 千葉大 横浜市立大 東京理科大 東京工業大 東京国際大 城西大
2003 朝鮮大学校 東京工業大 桜美林大 城西大 千葉大 横浜市立大 東京経済大 東京理科大
2004 城西大 東京工業大 東京経済大 駒澤大 創価大 桜美林大 横浜市立大 千葉大
2005 朝鮮大学校 東京理科大 横浜国立大 東京経済大 創価大 桜美林大 明海大 駒澤大
2006 玉川大 桜美林大 横浜国立大 獨協大 千葉商科大 千葉大 創価大 東京経済大
2007 城西大 桜美林大 横浜国立大 埼玉大 獨協大 千葉大 駒澤大 千葉商科大
2008 城西大 横浜国立大 東京工業大 千葉工業大 駿河台大 埼玉大 千葉大 獨協大
2009 東京工業大 駿河台大 東京理科大 桜美林大 駒澤大 埼玉大 獨協大 千葉工業大
2010 東京理科大 東京工業大 桜美林大 千葉工業大 獨協大 埼玉大 駒澤大 神奈川大
2011 東京工業大 駒澤大 順天堂大 埼玉大 東京理科大 獨協大 千葉工業大 桜美林大
2012 埼玉大 東京理科大 駒澤大 桜美林大 駿河台大 順天堂大 獨協大 千葉工業大
2013 横浜国立大 駿河台大 駒澤大 獨協大 創価大 桜美林大 順天堂大 埼玉大
  • 2002年に城西大は一旦降格も亜細亜大が脱退により空席埋めのために昇格

5部リーグ(1998年〜)

年度 優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位
1998 東京都立大 産業能率大 埼玉大 横浜市立大 駿河台大 千葉大 文教大
1999 東京国際大 東京理科大 横浜市立大 横浜国立大 埼玉大 千葉工業大 駿河台大
2000 千葉大 横浜国立大 横浜市立大 埼玉大 麻布大 明海大 東京都立大
2001 東京理科大 横浜市立大 埼玉大 千葉工業大 明海大 東京都立大 麻布大 千葉商科大
2002 桜美林大 朝鮮大学校 駒澤大 千葉工業大 埼玉大 明海大 産業能率大 東京都立大
2003 駒澤大 千葉工業大 明星大 明海大 和光大 埼玉大 東京国際大
2004 東京理科大 明海大 千葉工業大 和光大 駿河台大 明星大 埼玉大
2005 千葉大 千葉商科大 千葉工業大 駿河台大 和光大 横浜市立大 明星大
2006 埼玉大 駒澤大 千葉工業大 駿河台大 明海大 文教大 和光大
2007 千葉工業大 駿河台大 横浜商科大 創価大 東京経済大 文教大 和光大 明海大
2008 東京経済大 駒澤大 横浜商科大 文教大 首都大東京 創価大 千葉商科大 産業能率大
2009 千葉大 創価大 文教大 横浜市立大 東京経済大 首都大東京 横浜商科大 産業能率大
2010 順天堂大 東京経済大 文教大 首都大東京 創価大 千葉大 横浜市立大 千葉商科大
2011 神奈川大 文教大 東京経済大 創価大 首都大東京 千葉大 横浜市立大 和光大
2012 創価大 千葉大 東京経済大 首都大東京 横浜市立大 文教大 神奈川大 神奈川工科大
2013 千葉工業大 千葉大 神奈川大 横浜市立大 東京経済大 明星大 首都大東京 文教大
  • 2006年に和光大は一旦降格後に新規加入校による5部の枠数が8になったことによる空席埋めで昇格

6部リーグ(1998年〜)

年度 優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位
1998 東京理科大 千葉工業大 和光大 麻布大 明星大 横浜商科大
1999 千葉大 麻布大 和光大 文教大 明星大 横浜商科大
2000 千葉工業大 文教大 明星大 和光大 駿河台大 横浜商科大
2001 桜美林大 朝鮮大学校 和光大 明星大 文教大 横浜商科大 駿河台大
2002 明星大 和光大 駿河台大 文教大 横浜商科大 麻布大 千葉商科大
2003 駿河台大 文教大 横浜商科大 産業能率大 千葉商科大 麻布大 東京都立大
2004 千葉商科大 文教大 産業能率大 横浜商科大 東京国際大 麻布大 首都大東京
2005 文教大 埼玉大 産業能率大 横浜商科大 東京国際大 麻布大 首都大東京
2006 横浜商科大 産業能率大 横浜市立大 東京国際大 明星大 首都大東京 麻布大
2007 首都大東京 産業能率大 東京国際大 横浜市立大 明星大 麻布大 神奈川工科大
2008 和光大 横浜市立大 麻布大 明星大 神奈川工科大 東京国際大 明海大
2009 順天堂大 千葉商科大 麻布大 和光大
2010 和光大 麻布大 産業能率大 明星大 神奈川工科大
2011 神奈川工科大 麻布大 明星大 明海大 産業能率大
2012 明星大 和光大 麻布大 千葉商科大 産業能率大 横浜商科大 明海大
  • 2000年に千葉工業大が自動昇格
  • 2001年に桜美林大、朝鮮大学校が新加盟
  • 2007年に神奈川工科大が新加盟
  • 2009年に順天堂大が新加盟
  • 2011年に東京国際大が脱退

トピックス

  • 2部以下の参加校の中にはシーズン開始に伴いエントリーはしたものの、部員不足やその他の諸事情により、中途での棄権やシーズンを通しての不戦敗による最下位や降格になるチームの存在も数例ある。

脚注

  1. 第一回関東大学春季大会(平成22年度)について

外部リンク

テンプレート:Rugby-stub テンプレート:関東大学ラグビーリーグ戦グループ テンプレート:チームや団体の略称 テンプレート:大学ラグビー