越渇磨島
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テンプレート:Infobox 越渇磨島(エカルマ島、えかるまとう)は千島列島の中部に位置する島である。ロシア名はエカルマ島(o. Экарма)、英語表記はEkarma。
島の名前の由来は、アイヌ語の「エカリ・マ・ウシ(安全な船着場の多い所)」から。これは、島の周囲に暗礁が無いため。
地理
捨子古丹島から越渇磨海峡を挟んだ北西約 9 キロメートルに位置する、安山岩質の火山から成る東西約 7.4 キロメートル、幅約 5.5 キロメートルの長方形の島である。湖水や顕著な河川はなく、淡水源は雨水に頼るほかない。また、島の北部では高温の硫黄泉の湧出が数ヶ所で見られる。
最高点は海抜 1,170 メートルの越渇磨岳(えかるまだけ、ロシア名:エカルマ山 влк.Экарма)。
歴史
- 1644年(正保元年)、「正保御国絵図」が作成された際、幕命により松前藩が提出した自藩領地図には、「クナシリ」「エトロホ」「ウルフ」など39の島々が描かれていた。
- 1715年(正徳5年)、松前藩主は幕府に対し、「北海道本島、樺太、千島列島、勘察加」は松前藩領と報告。
- 1855年(安政元年)、日露通好条約によりロシア領となる。
- 1875年(明治8)、樺太・千島交換条約により日本領になる。
- 1893年、捨子古丹島にて越冬していた千島報效義会の会員 9 人のうち 5 人が越渇磨島に出漁して遭難し、全員死亡した[1]。
日本の行政区分においては北海道根室振興局管内の占守郡に属した。日本政府は国際法的には所属未定と主張しているが、現在はロシア連邦が実効支配している。
関連項目
参考文献
- 『北方領土地名考』 北方領土問題対策協会編、1978年
テンプレート:脚注ヘルプ
- ↑ 寺沢孝毅 『北千島の自然誌』 丸善〈丸善ブックス〉、1995年 89 頁