豊橋鉄道モ3500形電車

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テンプレート:Pathnav テンプレート:鉄道車両 豊橋鉄道モ3500形電車(とよはしてつどうモ3500がたでんしゃ)は、豊橋鉄道(豊鉄)に在籍する軌道線(東田本線)用電車(路面電車)である。1992年(平成4年)と2000年(平成12年)の2度にわたって東京都電車(都電)荒川線より譲り受けた。

都電在籍時代

モ3500形は、1954年(昭和29年)から1956年(昭和31年)にかけて都電の7000形として製造された。7000形は軌間が他の路線とは異なった杉並線を除く各線に配備されたが、1967年(昭和42年)以降都電の第一次大量撤去に併せて多くが廃車された。

都電はその大半が廃止されたが、専用軌道の多かった27系統・32系統(現在の荒川線に相当)のみが存続され、経年の浅かった7000形の3次グループ車がこの区間に充当された。1977年(昭和52年)から翌1978年(昭和53年)にかけて、車体の更新が7000形全車に対して行われモ3500形の原型となるスタイルとなり、同時にワンマン運転対応車両となった。

2013年(平成25年)現在、都電では7000形19両が使用されている。

豊橋鉄道移籍後

豊鉄へは1992年に7009と7028が、2000年に7017と7021が東京都交通局よりそれぞれ譲渡され、順にモ3500形3501 - 3504とされた。

豊鉄に入線するにあたっては、赤岩口分区にて下述のかなり大掛かりな改造が行われている。

  • 台車軌間の変更 - 1,372mm から 1,067mm へ変更した。台車は都電時代の D-20A のままで交換せず改造で対応した。
  • 電動機の変更 - 台車の軌間変更に伴うもので、電動機を都電時代の NE-60A から TB-28A に変更した。この変更のため、都電時代の 60kw に比べ 37.3kw と電動機の出力が低くなった。
  • ドアの改造 - 荒川線よりホームが低いため各扉にステップを新設したほか、前扉を引き戸からバス用の折戸に交換し、中央扉を窓1つ分内側(車両中央寄り)へ移設した。中央扉の移設は井原電停のカーブに対応させるため(このカーブでは台車が車体外へはみ出しながら通過するが、従来の扉位置でステップを作ると台車とステップが接触してしまうため)。
  • 冷房化改造(1992年移籍分2両のみ) - 2両は都電時代の冷房化改造の対象から外れていたため、冷房装置を搭載していなかった。
  • 集電装置の換装 - 集電装置をZ形パンタグラフへ変更した。2000年移籍車は冷房化改造後だったので集電装置は菱形パンタグラフだったが、1992年移籍車は非冷房車だったためビューゲルを使用していた。
  • 床下機器の位置変更

なお、1992年移籍車と2000年移籍車とでは、冷房装置や方向幕操作機などに若干の相違点が存在する。また、都電時代に取り付けられた電鈴(扉が閉まると「チンチン」と鳴るベル)は、豊橋鉄道に譲渡された後も変わらず使用されている。

2012年から2013年頃に車体外板の腐食部分の鉄板を張り替える修繕工事が全車に対して行われた。

2013年(平成25年)モ3501号、2014年(平成26年)モ3502号の冷房装置が新型に交換された。

3501・3502の2両は1992年12月24日に運行を開始した。運行開始時の塗装は、3501がアイボリー地に緑と黄緑の帯を配する都電での7000形冷房改造車に準じた車体塗装で、帯には「Welcome to Toyohashi」の一文が記載されていた。3502もほぼ同様の車体塗装であったが、側面下部の黄緑の帯がなく、その分だけ緑の部分が大きい簡略塗装となっており、帯の「Welcome to Toyohashi」の一文は記載されていなかった。後に後述の通り、全車とも全面広告車両として塗装が変更され、導入当初の外観を保つ車両は消滅した。

広告塗装

ファイル:Toyohashi-railroad-mo3502.jpg
モ3502、ヤマサちくわ

3502は1995年(平成7年)7月から、3501は1996年(平成8年)1月から全面広告車となった。2000年入線の3503・3504の2両は当初から全面広告車として運行を開始した。

  • 3501 - サーラグループ(アイボリー+濃淡グリーン)
  • 3502 - ヤマサちくわ(バーミリオンベース)
  • 3503 - 開拓塾(濃淡ブルーベース)→LRT都市サミット豊橋2013(白ベース)→吉田商会
  • 3504 - 県民共済…愛知県生活協同組合(ブルーベース)

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参考文献


テンプレート:豊橋鉄道の車両