親富孝通り
親富孝通り(おやふこうどおり)とは福岡県福岡市中央区天神地区北西部を南北に走る「福岡市道 幹線2級『舞鶴薬院線』」(「天神万町通り」が正式名称という記事もあるが、これも通称である)の一部分の通称。元は「親不孝通り」という表記であり、今も「親不孝通り」と表記されることがある。飲食店や娯楽施設が立ち並ぶ繁華街として知られており、週末の夜などは多くの若者で賑わう。
接続する主な通り
名前の由来
1970年代当時、通りの北部に水城学園、九州英数学舘という地元予備校があった。通りの南部に公共交通機関の路線があったことや食堂などが通りに出店したことなどから、多くの予備校生がこの通りを通るようになり、やがて「親不孝通り」と呼ばれるようになった[1]。当初は予備校生を対象とした喫茶店やゲームセンターなどが立ち並んでいたが、しだいに若者の集まる通りとして居酒屋やバー、カラオケボックスなどが立ち並ぶようになり、夜の街へと変貌していった。バブル期には九州最大級のディスコマリアクラブが開店。同時期にストリートミュージシャンのメッカにもなり若者の街として全国に知られるようになった。一方、親不孝通りの名前の由来となった2つの予備校は、少子化と、その後相次いで福岡に進出した大手全国区予備校(河合塾、代々木ゼミナール、駿台予備学校など)の影響とを受けて閉校または予備校としての営業を終了している。
若者の集まる繁華街として賑わう一方で犯罪なども増加した。もともと、大学受験浪人のことを「親不孝」と称して自然発生的に生まれた通称名であったが、予備校閉校後にその意味を知らない世代の若者に曲解され、「親不孝通り」という名称がイメージが悪く犯罪の誘発の一因となっているという声が上がり、本来の「天神万町通り」の名称を浸透させようと福岡市や通り沿いの商店が「親不孝通り」と書かれた看板等を撤去したものの浸透せず、2000年に「おやふこう」の発音を残した「親富孝通り」と改称された。
通り自体も時が経つにつれ(特に予備校の閉校の影響で)、一時の賑わいは薄れている。近年は割安な地価に目をつけて、小さいながらも店を持ちたい人が集まっている。
関連項目
- 外山恒一(元教育運動家、2007年東京都知事選挙立候補者。天神地区及び親不孝通りにおけるストリートミュージシャンのパイオニア)
- 安達ひでや(チンドン屋。一時期、親不孝通りのストリートミュージシャンであった)
- 白木正四郎(親不孝通り生まれの作家、映画監督、RKB毎日放送キャスター)
- 北天神
- 関帝廟 - 2002年に「福岡関帝廟」が通り沿いに設置された。