西野水道
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ファイル:西野水道入口.jpg
西野水道への入口(滋賀県の史跡に指定されている、1845年完成の初代のもの)
西野水道(にしのすいどう)は、滋賀県長浜市高月町西野にある、余呉川の放水路である。
近年までは、西野隧道と書籍等に記載される場合もあった。
概要
かつて余呉川は大雨の度に氾濫を起こし、流域の集落に大きな被害をもたらし続けていた。特に、現在の長浜市高月町西野周辺はその集落の高低差ゆえ、氾濫の度に集落は浸水・飢饉に悩まされた。その集落で育った僧の西野恵荘が、これを打開するには琵琶湖に放水路を作らなければならないと考え、1840年(天保11年)7月29日に掘削しはじめた。工事は岩盤の固さ、資金、落石事故などが原因で難工事であったが、1845年(弘化2年)9月1日に完成した。
1950年(昭和25年)に新たな水路が掘られ、1980年(昭和60年)にはその南側に大規模な放水路が完成した。初代の水路は、1984年(昭和59年)に滋賀県指定史跡に指定されている[1]。
放水路について
全部で3つある。
- 初代 西野恵荘が掘削した放水路。全長220m。滋賀県指定文化財(史跡)。
- 2代目 現在は琵琶湖側への連絡通路として使用されている。全長245m。
- 3代目 現在の放水路。全長252m。
見学について
初代西野水道は整備保全されており、見学することが出来る。入場料は無料で、常時見学可能である。現地には見学用の長靴、ヘルメット、懐中電灯が用意されているが、洞内に照明が全くない。
西野恵荘について
- 第1期(能登の石工)
- 第2期(伊勢の石工)