褒ジ
テンプレート:Ambox-mini 褒姒(ほうじ)は、周(西周)の幽王の后。絶世の美女だったといわれ、西周を滅ぼす元凶となった。
経歴
彼女の出生については、多くが謎に包まれており、確かな情報はない。史記によれば、夏の時代から伝わる龍の口から出た泡をしまった箱があったが、厲王の時代に開けられた。なかの泡は宮中に広がり、最後にはトカゲと化し、後宮で7歳の童女と出会った。その童女が15歳のころ夫もなく出産し、不祥を恐れその子を捨てた。その捨て子が褒国(陝西褒城にあった姒姓の国)の貧しい商人に拾われたことから、後に褒姒といわれるようになった。
その後、褒国が周の怒りを買い、褒国の王は、周の罰を逃れるために、彼女を幽王の元へと献上した。当時幽王の正室は申后であったが、褒姒の美しさに惹かれた幽王は彼女を溺愛するようになった。その後、申后及び申后の子である太子宜臼を廃して、褒姒を后に、褒姒の子の伯服を太子とした。
だが、褒姒はどんなことがあっても笑顔を見せることはなかった。幽王は彼女の笑顔を見たさに様々な手段を用い、当初、高級な絹を裂く音を聞いた褒姒がフッと微か笑ったのを見て、幽王は全国から大量の絹を集めてそれを引き裂いた。そしてそれにあわせて褒姒が微かに笑うのだが、次第に笑わなくなった。
ある日、手違いで烽火が上がり、諸侯が周の王宮に集まったことがあった。有事でもないのに諸侯が集まったことに褒姒が笑ったのを見た幽王は、褒姒の笑顔を見たさに、有事でもないのに烽火をあげ諸侯を集めるといった行為を始めた。それによって、褒姒は笑顔を見せるようになったが、幽王の愚かな行為に、諸侯は次第に彼を見限りはじめた。
そして、后の座を追われた申后の父、申侯ら申一族が、周に不満を持っていた諸侯と、蛮族の犬戎と手を組み、周に反乱を起こした。幽王は有事の烽火を上げたが、いつもの戯れと見た諸侯は駆け付けなかった。幽王は驪山の麓で捕えられて殺され、周(西周)は滅びた。その後、褒姒は殺されたとも、幽王の後を追うため自殺したとも、敵の捕虜となったとも云われているが、定かではない。
傾国の美女としての褒
俗に、狼少年(イソップ童話「嘘をつく子供」)と同じように見て捉えるようになった褒と烽火の話によって、彼女は殷の妲己や、夏王朝の末喜、春秋時代の越の西施と並んで傾国の美女と呼ばれ、日本では小説などで玉藻前の正体である白面金毛九尾の狐が化けた者として紹介されるようになった。
何故彼女が簡単に笑わなかったかについては諸説があるが、数多の美女を見てきた幽王の気を向かせるために仕組んだ媚びの一つとも、内向的な性格からだとも云われている。
奇怪な出生譚から計算すると、褒姒が結婚した年齢は50歳をこえ、寵愛は受けられそうにない。この出生譚は後の時代に作られた物だろう。また詩経の小雅・正月には「赫赫宗周、褒姒滅之(輝かしい周王朝、褒姒がこれを滅ぼした)」とあり、亡国譚は春秋戦国時代から信じられていたことがわかる。