蕭淵明

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テンプレート:基礎情報 中国君主 蕭 淵明(しょう えんめい)は、南朝の第5代皇帝(ただし歴代皇帝として数えられないこともある)。皇帝としての号は閔帝(びんてい)であるが、北斉より贈られたものであることから、即位前の爵位より貞陽侯と呼ぶことも多い。

生涯

初代皇帝武帝の兄・長沙王蕭懿の五男で、先代皇帝元帝の従兄にあたる。貞陽侯に封じられていたが、侯景東魏から梁に降伏してきた際、侯景とともに東魏を攻撃するために派遣された。軍は敗北し、蕭淵明は東魏の捕虜となったが、殺害されることはなく、官位を与えられて抑留され続けた。

その後、侯景の乱により梁は乱れ、侯景は戦死し、侯景を倒した元帝もまた西魏の援助を受けた蕭詧に殺された。ここにおいて、元帝の配下の王僧弁陳霸先蕭方智を擁立するが、東魏に代わって興った北斉は、西魏から代わった北周に対抗するために、抑留していた蕭淵明を自らの軍とともに皇帝として梁に送り込んだ。兵力に押された王僧弁は彼を皇帝として迎え入れるが、それを認めようとしない陳霸先と対立し、結局王僧弁は陳霸先に攻め殺されてしまう。

北斉軍も既に帰還しており、後ろ盾を失った閔帝は、権力を握った陳霸先により間もなく皇位を廃されて建安公とされ、再び蕭方智が皇帝につけられた。その後、陳霸先は蕭淵明を北斉に送り返そうとしたが、その直前に病没した。

先代:
敬帝
の第5代皇帝
555年
次代:
敬帝
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