蕭昭文

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テンプレート:基礎情報 中国君主 テンプレート:Wikisourcelang テンプレート:Wikisourcelang 蕭 昭文(しょう しょうぶん)は、南朝(南斉)の第4代皇帝。第2代皇帝武帝の孫。斉の3人の廃帝の一人で諡号廟号はなく、廃位後の王号から海陵王と史称される。

生涯

皇太子蕭長懋の次男として生まれる。永明4年(486年)に臨汝公に封ぜられた。隆昌元年(494年)に兄の蕭昭業が廃位(殺害)されたことにより、西昌侯蕭鸞により帝位につけられた。

しかし政治の実権は蕭鸞が執っており、蕭鸞の許可無しでは皇帝は食事の献立すら自由に出来なかった。そして即位からわずか4ヶ月後に、蕭鸞が手を回した皇太后の詔により廃位され、海陵王に落とされて間もなく殺された。

先代:
廃帝鬱林王
の第4代皇帝
494年
次代:
明帝
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