船越町
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テンプレート:Infobox 船越町(ふなこしちょう)はかつて広島県安芸郡に存在した町である。
1975年3月20日に安芸郡矢野町とともに広島市に編入されて消滅した。ちなみに安芸郡船越・矢野両町の編入は広島市の政令指定都市昇格(1980年4月1日)前最後の合併でもあった。現在は、政令指定都市になったことで全域安芸区になっている。
目次
[非表示]沿革
主要施設
- JSW日本製鋼所広島製造所
- 戦後まもなく間では日本製鋼所に従事する人々が多く住み、合併前は県内でも一番小さな町で人口密度も県下一番の町だった。
- 広島市中央卸売市場東部市場
地理
- 船越峠
- 安芸郡府中町との旧街道の境に位置し、新垰(しんたお)と云う。
- 旧峠は人一人が通れるぐらいの道であり、現船越峠の南に位置し戦後の宅地造成で面影は無い。
- 祠(ほこら)
- 旧街道沿いの山側に沿って、10箇所あまりの祠がある。
- これは、旧海岸線だと言われている。
- 河川
- 瀬野川
- 花都川
- 岩滝山から流れ出るなだらかな流れと、隣町の海田市の日浦山からの急な流れが合流している。
- 流れに時間差があって、その昔、大雨の後は船越側からの澱んだ水が海田市側に逆流をして、よくトラブルとなっていたと言う。
- 的場川
名所・旧跡
- 岩滝神社
- 新宮古墳
- 岩滝山南麓のゆるやかな斜面上、元の船越町役場の東側に位置する。
- この古墳は6世紀中頃のもので、翡翠製勾玉付首飾が出土し、古墳の規模,構造などの点から海田湾周辺の同時期の古墳の中でも傑出している。
- その昔、この古墳のすぐそばまで遠浅の海が迫っており、海に勢力をもった豪族と考えられる。
産業
- 南部にJSW日本製鋼所広島製造所がある。
大字
- 合併を経験せず、単独村政→単独町政を続けた末に広島市に編入されたため編成されていない。
地名
- 花都(はなと)
- 船越町の東側に位置し、江戸時代に一番華やかな土地。
- 竹浦
- 岩滝山の東の裾野に位置する。
- 引地
- 岩滝山の南側に位置し、江戸時代に旧街道からの海岸から現山陽本線までを干拓。
- 荷場(にば)
- 現船越郵便局を中心とした位置。
- 江戸時代には船着場があって、この名前が付けられた。
- 西
- 岩滝山の西側の裾野に位置。
- 東古谷(ひがしこや)
- 岩滝山の南西に延びる峰(古谷と云い的場川が流れている)の東側、荷場の西側に位置する。
- 西古谷(にしこや)
- 古谷の西に位置し、戦前までは水はけの悪い土地であった。
- 松石新開(含む 鴻治新田)
- 現山陽本線の南側に位置し、戦前に干拓された新しい地名。
- 戦後まもなくまではブドウ畑であり、日本製鋼所の社宅や中国からの引き上げ寮があった。
交通(1975年3月19日当時のデータ)
鉄道
- 国鉄山陽本線と国鉄山陽新幹線(町内は全区間府中トンネルになっていて明かり区間はない)が通っているが、駅などの施設はない。
- 呉線も同時に通っており、町の中程で山陽本線と人工のトンネルで交差している。
- 全線電化以前はオープンな客車であったため車両から乗り出した乗客がトンネルに当っての死亡事故が多かった。
道路
町内に主要地方道は一切通っていない。
- 国道
- 一般県道
- 広島県道151号府中海田線
- 広島県道164号広島海田線…国道2号旧道。
- 広島県道274号瀬野船越線
教育
小学校(1975年3月19日当時のデータ)
- 船越町立船越小学校
- 明治 6年 安芸郡内の矢野小学校に続き、船越小学校(旧海田小学校)を創設。
- 明治19年 安芸小学校と校名変更
- 明治20年 海田高等小学校と校名変更(船越村へ移転)
- 明治21年 鼓浦高等小学校・鼓浦尋常小学校と校名変更
- 明治24年 船越尋常小学校開校
- 明治32年 鼓浦第一高等小学校と校名変更
- 明治43年 船越尋常高等小学校と校名変更(船越海田組合立)
- 昭和16年 船越国民学校と校名変更
- 昭和22年 船越小学校と校名変更
中学校(1975年3月19日当時のデータ)
- 船越町立船越中学校
- 昭和22年 海田、船越、矢野組合立鼓浦中学校設立申請 5月1日認可
- 海田旧海軍第11空廠跡を仮校舎として、授業開始
- 組合立中学校より分離して船越町立船越中学校を設立し、船越小学校において開校式並びに入学式を行う。
- 昭和50年 船越町、広島市合併に伴い広島市立船越中学校と改名
- 昭和53年 現在地に、新築移転
- 昭和22年 海田、船越、矢野組合立鼓浦中学校設立申請 5月1日認可
高等学校
- 広島電機大学附属高等学校(女子部)
備考
- 元々、3つの豪族(花都の三沢、引地の澤井、西の百田)があった。特に引地の澤井は多くの平地を有していたが、平地ゆえに戦後の農地改革で急激に衰退した。
- 町の花として、たれゆえそう【誰故草】があるが、昔から周辺町村に多く自生しており地元町民はあまり興味を示していない。