統監府
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テンプレート:行政官庁 テンプレート:Infobox 韓国統監府(かんこくとうかんふ)は、第二次日韓協約に基づいて大韓帝国の外交権を掌握した大日本帝国が、漢城(現・ソウル特別市)に設置した官庁である。正式名称は統監府。1905年(明治38年)12月21日、韓国ニ統監府及理事庁ヲ置クノ件(明治38年勅令第240号)に基づいて置かれた。1910年(明治43年)10月1日、韓国併合により、大韓帝国政府の組織と統合の上、朝鮮総督府に改組された。
組織
内部部局
1907年(明治40年)時点
- 総務部
- 秘書課、人事課、文書課、会計課、地方課
- 農商工務部
- 商工課、農林課、水産課、鉱務課
- 警務部
- 警務課、保安課、衛生課
- 外務部
- 韓国課、外国課
- 法制審査会
所属官庁
1907年(明治40年)時点
- 通信官署
- 鉄道管理局
- 法務院
- 財政監査庁
- 観測所
地方機関
1905年(明治38年)時点
- 京城理事庁
- 仁川理事庁
- 釜山理事庁
- 元山理事庁
- 鎮南浦理事庁
- 木浦理事庁
- 馬山理事庁
歴代統監
韓国統監は韓国に駐剳する軍(韓国守備軍)の司令官に対する指揮権を有していた(統監府及理事庁官制第四条)。そのため文官の伊藤が就任して指揮権を持つことには現地司令官長谷川好道や元老山県有朋が難色を示したが、1906年1月14日明治天皇は参謀総長大山巌、陸軍大臣寺内正毅に自ら勅語を与えて伊藤の権限を認めた。これにより大日本帝国憲法下で唯一文官が軍の指揮権を持つ職となった[1]。なお、伊藤・曾禰と文官の統監が2代続いた後は、朝鮮総督も含めていずれも武官が就任している。
副統監
- 曽禰荒助:1907年9月21日 - 1909年6月14日
- 山縣伊三郎:1910年5月30日 -