紀元前509年
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テンプレート:Yearbox 紀元前509年は、ローマ暦の年である。当時、古代ローマにおいては、「ブルトゥスとコッラティヌスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元245年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前509年と表記されるのが一般的となった。
できごと
共和政ローマ
- 王政ローマが打倒され、共和政が始まる。
- 執政官の最初のふたりが選出される。
- 王位を追われたタルクィニウスの復位を画策した陰謀が発覚し、加担した者が処刑される。
- タルクィニウスが率いたウェイイやタルクイニイの軍勢は、シルウァ・アルシアの戦い (Battle of Silva Arsia) でローマ軍に敗れた。執政官プブリウス・ウァレリウス・プブリコラは、共和政最初の大勝利を3月1日に祝った。
- 9月13日 - ローマのカンピドリオの丘の上に建設されたユピテル・オプティムス・マキシムス、ユーノー、ミネルウァ神殿の奉献式が、満月の日に行なわれた。
- カルタゴがローマとの相互不可侵条約に調印した[1]。
中国
誕生
死去
- ルキウス・ユニウス・ブルトゥス - 共和政ローマ執政官、共和政ローマの創設者
- ティトゥス・ユニウス・ブルトゥス、ティベリウス・ユニウス・ブルトゥス - ルキウス・ユニウス・ブルトゥスの息子たちであったが、彼らのおじにあたるウィテッリ家 (Vitellii) のふたりや、アクィリ家 (Aquillii) の3兄弟らとともにタルクィニウスの陰謀に加担したとして処刑された。
- アルンス・タルクィニウス - 王政ローマ最後の王タルクィニウスの次男
- スプリウス・ルクレティウス・トリキピティヌス (Spurius Lucretius Tricipitinus) - 共和政ローマの予備執政官 (Consul suffectus)