紀元前409年
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テンプレート:Yearbox 紀元前409年は、ローマ暦の年である。当時は、「コッススとメドゥリヌスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元345年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前409年と表記されるのが一般的となった。
できごと
ギリシア
- アルキビアデスがビュザンティオンを奪還し、アテナイへの反乱を鎮圧した。これによってアテナイはボスポラス海峡の支配権を確立し、黒海地方のボスポロス王国からの穀物の補給路を確保した。
- アテナイの将軍トラシュロス (Thrasyllus) が、中規模の軍勢を率いて海を渡り、イオニアへの侵攻を行なった。トラシュロスはたちまちコロポンを陥落させ、イオニアの農村地域を荒らしたが、エペソス郊外で、エペソス、ペルシア、シュラクサイの連合軍に敗れた。
- スパルタのパウサニアスは、父プレイストアナクスを継いで、アギス朝のスパルタ王となった。
- ロドスの町が、創建された。
カルタゴ
- シケリア(シチリア)のギリシア植民都市間の紛争と、アテナイとシュラクサイ(シラクサ)の間の消耗戦に乗じて、カルタゴがシチリア島における影響力の拡大に再び乗り出した。ハミルカル (Hamilcar)(第一次シケリア戦争のヒメラの戦い (Battle of Himera (480 BC)) で敗北し、戦死したカルタゴの将軍)の孫ハンニバル・マゴ (Hannibal Mago) が、強力な軍勢を立ててシチリア島に侵攻した。ハンニバル・マゴは、シケリアのギリシア勢力を破り、3000人のギリシア人捕虜を虐待、殺害して、祖父の仇を討った。ハンニバル・マゴは、セリノス(テンプレート:Lang-grc、テンプレート:Lang-la:現在のセリヌンテ (Selinunte)) とヒメラ (Himera) を占領し、戦利品を得てカルタゴに凱旋した。
文学
- トロイア戦争を主題としたソポクレスの悲劇『ピロクテテス (Philoctetes)』が上演された。