紀元前275年
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紀元前275年は、ローマ暦の年である。当時は、「デンタトゥス と カウディヌスが共和政ローマ執政官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元479年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世初期以降、この年は紀元前275年と表記されるのが一般的となった。
できごと
エジプト
共和制ローマ
- ピュロスがシチリアから撤退する時、マニウス・クリウス・デンタトゥス執政官指揮するローマ軍に自分が大いに数で優っている事に気がつく。延々と続いたベネウェントゥムの戦いの後、ローマの司令官で政治家のガイウス・ファブリキウス・ルスキヌスがピュロスと和平交渉をする。これはピュロスが、全てのイタリア領を喪失することになった、イタリア遠征の終了とエペイロス帰還を決断したあとだった。
シチリア
ギリシア
バビロニア
- バビロニアの住民が移住し、バビロニアは衰退する。
中国
- 秦の丞相の穰侯魏冄が魏に侵攻する。韓の暴鳶が魏を救援するが、魏冄に撃退され、4万人が斬首される。魏は8つの城を割譲することで、講和を求める。魏冄は再び魏に侵攻し、魏の名将芒卯を破り、北宅に入る。秦の軍は、魏の首都大梁を包囲する。魏は、温を割譲して講和を求める。秦軍は、大梁の包囲を解く。
誕生
- クィントゥス・ファビウス・マクシムス、共和政ローマの政治家、将軍(+ 紀元前203年)
- ハミルカル・バルカ、カルタゴの将軍(+ 紀元前229年/228年頃)