第二次ソロモン海戦
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 第二次ソロモン海戦 | |
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colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 300px テンプレート:Small | |
戦争:第二次世界大戦 | |
年月日:1942年8月23日-24日 | |
場所:ソロモン諸島 | |
結果:アメリカの勝利 | |
交戦勢力 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | テンプレート:JPN1889 | テンプレート:USA1912 |
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 指揮官 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 南雲忠一中将 近藤信竹中将 |
F・J・フレッチャー中将 |
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 戦力 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 空母3隻 戦艦3隻 巡洋艦10隻 駆逐艦16隻 |
空母3隻 戦艦1隻 巡洋艦7隻 駆逐艦16隻 |
colspan="2" テンプレート:WPMILHIST Infobox style | 損害 | |
width="50%" style="border-right: テンプレート:WPMILHIST Infobox style" | 空母1隻沈没 艦載機25機損失 |
空母1隻中破 艦載機9機損失 |
テンプレート:Tnavbar |
第二次ソロモン海戦(だいにじソロモンかいせん)とは第二次世界大戦中、1942年8月24日にソロモン諸島の北で戦われた日本軍とアメリカ軍との間の海戦。連合軍側の呼称は東部ソロモン海戦。
背景
1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦で日本軍は主力空母4隻(赤城、加賀、蒼龍、飛龍)を一挙に失い、FS作戦は延期となった。代わりにソロモン諸島、ニューギニア諸島に航空基地を建造しオーストラリアを孤立化させるSN作戦を発動し、ガダルカナル島に飛行場を建設した。1942年8月7日、アメリカ軍はウォッチタワー作戦を発動し、ガダルカナル島とツラギ島にアメリカ海兵隊が上陸、フロリダ諸島の戦いの末に占領した。これに対し日本軍はニューブリテン島ラバウル基地から航空隊を、続いて第八艦隊を送り込む。8日-9日にかけて第一次ソロモン海戦が生起し、日本軍は勝利。米軍輸送船団は物資の揚陸を中止すると、米軍海兵隊を残して撤退した。だが日本軍も海軍陸戦隊を乗せた輸送船団が撃退され、ガダルカナル・ツラギ早期奪回は頓挫する。さらに海軍航空隊は輸送船団数十隻を撃沈したと誤認戦果を報告し、日本軍上層部は米軍が撃退されたと信じてしまう。
日本軍は8月25日ごろまでにガダルカナル島を奪回することと決め、近藤信竹中将の第二艦隊、南雲忠一中将の第三艦隊が増援部隊輸送の支援を行うこととなった。第二艦隊は8月11日、空母「翔鶴」、「瑞鶴」、「龍驤」を主力とする第三艦隊は16日に、17日には戦艦「大和」以下山本五十六連合艦隊司令長官も、それぞれトラックに向け出撃した[1]。特に第三艦隊は空母を主戦力と明確に位置づけた本格的な機動部隊であったが[2]、日本海軍の規定では、南雲より先任である近藤が第三艦隊を統一指揮することになっていた[3]。また第一航空戦隊(空母:瑞鳳)、第二航空戦隊(空母:飛鷹、隼鷹)は練度不足のため、日本で訓練を続けている[4]。17日には日本軍一木支隊を乗せた駆逐艦6隻がトラックを出発し、18日にガダルカナル島に上陸した。19日、一木支隊の増援部隊が護衛の軽巡洋艦「神通」などとともにトラックを出発した[5]。
一方、アメリカ軍も空母「エンタープライズ」、「サラトガ」、「ワスプ」を主力とする第61任務部隊(F・J・フレッチャー中将)をこの方面に進出させた。20日、日本軍の偵察機がガダルカナル島南東で空母を含む艦隊を発見した[6]。そのため、第三艦隊はトラック入港を取りやめ南下した。さらに、トラックにあった第二艦隊(近藤信竹中将)も同日出撃した。21日、一木支隊はアメリカ軍に攻撃を行ったが、圧倒的に優勢なアメリカ軍の反撃で壊滅した。ラバウル基地の第十一航空艦隊と第二十六航空戦隊は米軍空母を求めて攻撃隊を発進させたが、何の成果もなかった[7]。
海戦
8月23日朝、アメリカ軍のPBYカタリナ飛行艇が日本軍の増援部隊を発見する。「サラトガ」から攻撃部隊が送られるが天候不良のため発見できなかった。同日午前、「ワスプ」は燃料補給のため南下した。南雲機動部隊は索敵を行いつつ南下したが、午後4時ごろ北上した[8]。日本海軍航空隊(基地航空隊)は23日も何の戦果もあげられず、宇垣纏連合艦隊参謀長は「何を目標にしているのだ」と失望している[9]。
24日午前0時、日本軍は軽空母「龍驤」、重巡洋艦「利根」、第十六駆逐隊(時津風、天津風)を分派し、陸軍上陸予定日25日を前にガダルカナル島攻撃に向かわせた[10]。朝、アメリカ軍の偵察機が「龍驤」を発見する。午前11時30分、「龍驤」からガダルカナル島へ攻撃隊が発進した。フレッチャー司令官は「翔鶴」と「瑞鶴」の存在に気付かず、11時45分、サラトガ攻撃隊を「龍驤」に向かわせた。宇垣参謀長は、「龍驤」がちょうど囮のような役割になったと表現している[11]。12時過ぎ、筑摩水上偵察機がアメリカ艦隊を発見し、消息を絶った[12]。午後1時、「翔鶴」から第1次攻撃隊(関衛少佐:九九式艦上爆撃機27機、零式艦上戦闘機10機)が発進した。午後1時8分、南雲機動部隊はSBDドーントレス2機の奇襲を受け、「翔鶴」の艦橋舷側すれすれに至近弾となる。13時50分、「サラトガ」からの攻撃隊が「龍驤」を発見する。「龍驤」は爆弾4発、魚雷1本を被弾・被雷し、18時に沈没した。午後2時、「瑞鶴」から第2次攻撃隊(高橋定大尉:九九艦爆27、零戦9)が発進する。第三艦隊は、第二艦隊、連合艦隊司令部のいずれにも攻撃隊発進を伝えなかったため、付近を行動していた第二艦隊(近藤艦隊)は敵どころか味方の位置さえ掴めず、独自行動を強いられた[13]。南雲が無線封鎖を解いたのは第一次攻撃隊発進後のことであり、第十一戦隊以下の前衛艦隊に「今夜夜戦を以って敵を撃滅すべし」と命令した[14]。近藤は「第一次、第二次攻撃に引き続き第三次夜間雷撃を以てす。なお前衛の夜戦により敵を撃滅せんとす」という南雲部隊の電報を傍受し、米軍の位置を推測しつつ南下している[15]。
午後2時すぎ、戦艦「比叡」偵察機が米軍機動部隊を発見、報告する[16]。午後2時28分、日本軍第1次攻撃隊がアメリカ艦隊に対し攻撃を開始する。翔鶴隊の攻撃により、「エンタープライズ」に爆弾3発が命中した。瑞鶴隊は「サラトガ」に爆弾命中・火災発生を記録したが、実際の損害はない。日本軍の第2次攻撃隊は敵を発見できず、日没午後4時15分を迎えた。南雲機動部隊はブーゲンビル島のブカ基地に新郷少佐率いる零戦30機、九七艦攻3機を派遣して帰投した[17]。出番のなかった九七式艦上攻撃機を指揮する村田重治少佐は、第二航空戦隊の奥宮正武航空参謀に「艦爆ばかり出したから、折角やっつけた空母を逃がしたね」と皮肉を述べている[18]。
参加艦艇
日本海軍
アメリカ海軍
第61任務部隊
- 第11任務群
- F・J・フレッチャー中将、C・H・ライト少将
- 空母:サラトガ
- 重巡洋艦2隻、駆逐艦4隻
- 第16任務群
- T・C・キンケイド少将
- 空母:エンタープライズ
- 戦艦:ノース・カロライナ
- 重巡洋艦:ポートランド
- 軽巡洋艦:アトランタ
- 駆逐艦:バルチ(嚮導)、グウィン、グレイソン、ベンハム、モーリィ
- 第18任務群
- F・C・シャーマン少将、N・スコット少将
- 空母:ワスプ
- 重巡洋艦2隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦7隻
損害
- 日本海軍
- 空母:龍驤沈没
- 艦載機:25機損失
- アメリカ海軍
- 空母:エンタープライズ中破
- 艦載機:9機損失
その後
8月25日、日本軍増援部隊はガダルカナル島からの航空攻撃で駆逐艦「睦月」、輸送船「金陵丸」が撃沈され、ガダルカナル島行きを断念した[19]。日本軍の輸送作戦は失敗し、海戦はアメリカ軍の戦略的勝利で終わった。草鹿龍之介参謀長は、B-17爆撃機の発進基地であるエスピリトゥサント島、ニューカレドニア島、ガダルカナル島のヘンダーソン飛行場の空襲圏を「クモの巣」と表現している[20]。南雲機動部隊の戦力では、米軍機動部隊で補強された「クモの巣」を破ることができなかった[20]。
31日、珊瑚海の哨戒を行っていた空母「サラトガ」は日本軍の潜水艦「伊26」の雷撃を受け損傷し、この修理には3ヶ月を要した。さらに、9月15日には空母「ワスプ」が潜水艦「伊19」の雷撃により浸水と誘爆を招いて大破し、巡洋艦「ソルトレイクシティ」、「ヘレナ」、駆逐艦「ラフェイ」、「ランズダウン」に乗員を移乗の後、復旧が行われた。しかし、被雷後、燃料に引火して発生した火災を鎮火できず、自沈処分のため駆逐艦「ランズダウン」の放った魚雷3本が命中、「ワスプ」は伊19の攻撃による被雷から約6時間後に沈没した。
「サラトガ」の大破、「ワスプ」の沈没により、この方面で活動可能な空母は「ホーネット」のみとなってしまった。アメリカ海軍も空母戦力を失うが、ガダルカナル島のヘンダーソン基地航空隊増援によって航空優勢を確保した。日本軍はこの後、駆逐艦および大発による陸軍部隊機動や糧秣輸送(いわゆる「鼠輸送」、「蟻輸送」)を行うようになった[21]。
脚注
参考文献
関連項目
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- ↑ #戦藻録(九版)165-167頁、#草鹿回想162頁
- ↑ #草鹿回想155-156頁
- ↑ #草鹿回想169頁
- ↑ #草鹿回想161頁
- ↑ #戦藻録(九版)167-168頁
- ↑ #戦藻録(九版)168頁
- ↑ #戦藻録(九版)169頁
- ↑ #草鹿回想163頁
- ↑ #戦藻録(九版)170頁
- ↑ #戦藻録(九版)171頁
- ↑ #戦藻録(九版)172頁
- ↑ #吉田比叡142頁
- ↑ #戦藻録(九版)171頁
- ↑ #吉田比叡147頁
- ↑ #吉田比叡149-150頁
- ↑ #吉田比叡143頁
- ↑ #草鹿回想166頁
- ↑ #海軍功罪88頁、奥宮正武談。
- ↑ #戦藻録(九版)174頁
- ↑ 20.0 20.1 #草鹿回想165頁
- ↑ #戦藻録(九版)175頁