テンプレート:基礎情報 中国君主
穆宗(ぼくそう)は、遼の第4代皇帝。諱は述律。太宗耶律堯骨の長男。史書によれば、性格は非常に残忍で拷問を好んだとある。
生涯
天禄5年(951年)、第3代皇帝であった従兄の世宗が暗殺されると、世宗一族を滅ぼし自ら即位した。しかし即位後は奢侈に走って政治を顧みず、重臣も権力争いからそれぞれの派閥に分裂、遼は次第に衰退の兆しを見せ始めた。このため応暦15年(964年)に満州北部で遼に対する大規模な反乱が起こったが、応暦16年(966年)には反乱を鎮圧している。
応暦19年(969年)、王朝内の混乱から側近により暗殺された。享年39。
脚注
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