秩父鉄道2000系電車

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ファイル:Chichibu-2002.jpg
秩父鉄道2000形の第2編成のデハ2002。 (1992年頃)
ファイル:Chichibu Railway 2301.JPG
1000系と並ぶ第1編成のデハ2301 。
(2000年頃)

秩父鉄道2000系電車(ちちぶてつどう2000けいでんしゃ)は、秩父鉄道にかつて在籍していた通勤形電車

概要

普通列車に使用していた500系(自社発注車)の老朽化が著しかったため、その代替として1991年(平成3年)に東京急行電鉄7000系を4両編成4本(16両)購入したものである。

入線に際しては、あまり手を加えられていない。ワイパー東急7700系と同様の大型に交換、前面帯の青色化、車両間の片引き戸を新設、保安装置の変更等が施工された程度である。なお、第三編成と第四編成は編成の向きが逆であったため、1991年12月7日に当時存在した秩父駅構内のデルタ線を使用し方向転換を行った。

第二編成は、1991年12月3日寄居駅 - 波久礼駅間でライトバンと衝突事故を起こした。車体、台車ともに損傷が激しく自社では復旧できないので、東急車輛製造の出張工事により修復された。またこの事故により1991年末で廃車になる予定であった500系の廃車時期が延長された。

かつて存在した準急には原則として当形式が使用され、正面助士席側窓下に「準急」の札を装着して運行していた。

当形式は車体長が18mで、3両編成とした場合、20m級の1000系に比べ全長が6m短い。そのため、4両編成としたが、逆にこれは輸送力過剰であった。さらに、地方中小鉄道でも車両の冷房化率が向上する中、秩父鉄道も自社保有車両の冷房化を進めていたが、2000系は1000系と同様の冷房装置を設置することが相当に困難であった。

そこで、東京都交通局から都営三田線で使用していた6000形を購入して5000系とし、2000系を2000年(平成12年)までに代替・廃車した。廃車後は車体を二分割の上、秩父市内で解体された。東急7000系はこの他4社へ譲渡されたが、事故以外による代替廃車および一社における形式消滅は秩父鉄道が最初となった。廃車体の一部が個人に引き取られたようだが、詳細は不明である。

編成表

 
羽生
第1編成 デハ2001 デハ2101 デハ2201 デハ2301
(デハ7017) (デハ7160) (デハ7159) (デハ7036)
第2編成 デハ2002 デハ2102 デハ2202 デハ2302
(デハ7035) (デハ7162) (デハ7161) (デハ7016)
第3編成 デハ2003 デハ2103 デハ2203 デハ2303
(デハ7021) (デハ7170) (デハ7121) (デハ7022)
第4編成 デハ2004 デハ2104 デハ2204 デハ2304
(デハ7061) (デハ7146) (デハ7145) (デハ7028)
括弧内は東急時代の車両番号である。

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関連項目

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