秋田仙北地震

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秋田仙北地震(あきたせんぼくじしん)は、1914年3月15日午前4時59分44秒、秋田県仙北郡大沢郷村(現・大仙市、旧・西仙北町)を震源として発生した。別名を強首地震(こわくびじしん)という。地震の規模はM7.1。

概要

秋田市震度5を記録し、東北地方を中心に北は北海道函館付近、南は関東地方までを揺らした。震度の数値はそう大きくはないが、94名の死者を出した。

被害

人的被害は死者94名、負傷者324名。家屋被害は全壊640戸、半壊575戸、焼失3戸であった。その中でも、仙北郡の被害は突出しており、死者86名、負傷者278名、全壊580戸、半壊483戸、焼失3戸。被害の大半を占める。

仙北郡の各村の被害状況は、神宮寺町(現・大仙市、旧・神岡町)宇留井谷地地区が、全戸数66戸のうち47戸が全壊、全人口452名で47名の死傷者を出した。大沢郷村北野目地区では、全戸数65戸で47戸が全壊、全人口368名で死傷者50名であった。家屋の80%近くが全壊、人口の10%以上が死傷した。特に、強首村強首地区(現・大仙市、旧・西仙北町)では、全戸数141戸のうち、全壊74戸、半壊38戸、破損29戸。合計は141戸となり、全ての家屋が壊れた。

さらに、雄物川に架かる木造の橋梁も崩壊した。

その他

この地震の特徴は、大沢郷村を中心とした、半径5km足らずの地域に極端に強い揺れが起こったこと、前兆となる地震が頻繁に起きていたことである。

この地震では前震が頻発。前震は、3月3日から始まり、次第に数を増した。その後は落ち着くも、震度2程度の地震が毎日あったという。前日の14日は、2回あり、15日に本震が発生した。なお、最大余震は、3月28日午前2時50分に発生したM6.1であった。

外部リンク

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