盧泰愚
盧泰愚(ノ・テウ) 노태우 | |||
ファイル:Roh Tae-woo - cropped, 1989-Mar-13.jpg |
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任期 | 1988年2月25日 – 1993年2月24日 | ||
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出生 | テンプレート:生年月日と年齢 テンプレート:KOR1910・慶尚北道 大邱府 | ||
政党 | 民主正義党 | 配偶者 | 金玉淑 |
- REDIRECT Template:朝鮮の人物
盧 泰愚(ノ・テウ、 1932年12月4日 - )は、大韓民国の軍人・政治家。第13代大韓民国大統領(在任:1988年 - 1993年)。2013年現在最後の軍人出身の大統領。ハナフェ[1]の一員。本貫は、交河盧氏。号は「庸堂」(ヨンダン、용당)。
プロフィール
日本統治時代の大邱出身。朝鮮戦争勃発に伴い入隊し、陸軍士官学校で全斗煥と同期(11期)[2]。空輸特戦旅団長・第9師団長などを歴任し、1981年に退役。政務第二長官を経て体育相・組織委員長としてソウルオリンピックの実務全般を取り仕切った。
1987年、高まりつつある民主化要求に対し、次期大統領候補として「オリンピック終了後、然るべき手段で信を問う用意がある」と声明(6・29民主化宣言)を発表。直後の1971年大韓民国大統領選挙以来、16年ぶりに行われた民主的選挙で民主正義党から立候補し、大統領に当選した。選挙のときは親しみやすさと自身の耳の大きさ(韓国では話を聞く人は耳が大きいとされる)を前面に押し出し、朴正煕政権から続いていた軍人出身大統領と異なる印象を国民に持たせることに成功した。翌1988年2月25日に第13代大韓民国大統領に就任した。
大統領就任後、前大統領であった全斗煥政権時代の不正容疑を徹底追及する一方で、激しく対立していた金泳三・金鍾泌を与党に取り込むなど国政の安定を図った。
外交面では「北方外交」を提唱して共産圏との関係改善に乗り出し、1990年にソビエト連邦、1992年に中華人民共和国(中韓国交正常化)と国交を樹立した。
また朝鮮統一問題では、1991年9月17日には朝鮮民主主義人民共和国との国際連合南北同時加盟を実現し、同1991年12月13日に南北基本合意書を締結している。
1993年2月24日の大統領退任後、1995年に政治資金隠匿が発覚。さらに粛軍クーデター・光州事件でも追及され軍刑法違反として懲役刑を受け、1997年12月に特赦された。
2012年6月、大統領在任中に作った秘密政治資金の一部を、長男の妻の父親に預けたとして、検察に捜査を依頼した[3]。
2013年9月、未納となっていた追徴金230億ウォンについて、親族が代納すると発表した。この後、同じく追徴金の未納があった全斗煥元大統領側も、完済を発表した。
経歴
- 大邱にて出生。
- 大邱工業高校に入学後、4年時に慶北高校に転校[4]。
- 韓国陸軍士官学校入学(11期)
- 1956年 歩兵小隊長
- 1960年 軍事情報大学 英語翻訳将校
- 1961年 防諜部隊 情報将校
- 1964年 大韓民国国軍ベトナム戦争参戦開始
- 1971年 歩兵連隊長
- 1974年 空輸特戦旅団長
- 1975年 サイゴン陥落(ベトナム戦争終結)
- 1978年 大統領警護室 作戦次長補
- 1979年 首都警備司令官
- 1979年 第9師団長
- 1980年 陸軍中将、保安司令官
- 1981年 予備役編入(大将)、政務第2長官
- 1982年 初代体育部 長官、南北韓高位会談 首席代表、内務長官
- 1983年 ソウルオリンピック組織委員会 (SLOOC) 委員長、ソウルアジア競技大会組織委員会 (SAGOC) 委員長
- 1984年 大韓体育会長 兼 大韓オリンピック委員会 委員長
- 1985年 第12代 国会議員(全国区、民正党)、民正党 代表委員
- 1987年 民正党 大統領候補、民正党 総裁、1987年大韓民国大統領選挙に勝利
- 1988年 第13代大統領就任
- 1990年 大韓航空機爆破事件実行犯の金賢姫死刑囚に対し、特赦の決定を下す
- 1993年 第13代大統領退任
- 1995年 大統領在任中の不正蓄財とかつての粛軍クーデター・光州事件の追及を受け懲役刑
- 1997年 特赦を受ける