王通

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王 通(おう とう, ? - 617年大業13年))は、中国代の儒学者文中子(ぶんちゅうし)の方が通用している。

名族である太原の王氏の傍系の出身である。孫には初唐の詩人で王勃がいる。

18歳の時に秀才科に及第したにもかかわらず、官には就かなかった。607年仁寿3年)に文帝に対して「太平十二策」を上呈した[1]。が、納れられなかったため、郷里である龍門県(山西省)に戻り、著述に専心した。その許には一千人単位の門弟子が集まった。その中からは朝の建国の功臣たちが多数輩出した。その著書『文中子中説』は弟子たちとの対話を集録したものであり、北宋の阮逸が注を付した。ただ、この書の内容や真偽に関しては、諸説紛紛たるさまを呈した。

脚注

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  1. 森鹿三「文中子」『アジア歴史事典』8巻収録(平凡社, 1961年)、195頁